Smile(中編)

「うちの子に何をするつもりだ!?」

そこには、ライフル銃を構えたまま、仁王立ちにこちらを睨む男の姿があった。無論、銃の照準は未だ悟浄に合わされたままだ。

「何だよいきなり。問答無用で撃つ事無いんじゃナイの?本気で狙ったろ、今」

パンパンと服についた土を払いながら、悟浄は相手を刺激しないよう、ゆっくりと立ち上がった。恐らくは、この屋敷の主人。少年の父親だ。この街の貧しい人々から吸いとった金で、でっぷりと太った体を揺らしながら、男は悟浄の頭に狙いを定め、引き金に手をかけている。

「止めてよ父さん!お兄ちゃんは僕を助けてくれたんだよ!」

少年が、父親にしがみつく様にして止めに入るが、男は銃を下ろそうとはしなかった。子供に「下がってろ」と短く命じると、悟浄に険しい顔を向ける。

「何が目的だ?金か?それとも子供の命か?」
「命って‥‥なんでそーなるわけ?」

完全に悟浄を不審者扱いだ。まあ、無理もねーか、と悟浄は苦笑した。

「息子に手出しはさせん!出て行け!」
「あのなあ、オッサン。ちっとは人の話を‥‥」
「この疫病神が!息子に呪いはかけさせんぞ!」
 

 

ああ、そっか――。
悟浄は、ようやく合点した。
 

 

金貸しという商売をやっている以上、当然人から恨まれることも、実際に攻撃を受ける事もあるだろう。必要以上の警戒は、てっきり商売上のトラブルからくる諸問題の自衛手段だと思っていたのだが、どうもそうではないようだ。
知っているのだ。悟浄の髪と、瞳の色の意味を。この街では、特に自分を奇異の目で見る者はいなかったから、少し気を抜いていたのだが。

悟浄はさっき通った庭の隅の祠に、仏像が祀られていた事を思い出した。どうやら、仏教への信心は深いらしい。おまけにこれだけの屋敷を持つほどの商売人だ。この街でも有力者のうちに数えられるに違いない。
恐らくは、寺院に多額の寄付をし、それなりの高僧と付き合いもあり――。
禁忌の子供の事を知っていても、不思議ではないという訳だ。しかし。

「呪いねぇ‥‥」

どういう話を聞いたのやら。悟浄は思わず笑ってしまった。

「何がおかしい!」
再び、自分を掠める銃弾。悟浄は常日頃、自分を鍛えてくれている三蔵の発砲癖に、この時ばかりは感謝した。

「いい加減にしろよ、あんた。くだらねー言い掛かりで軽はずみに撃ってんじゃねーよ」

ズイ、と男に一歩近付く。軽く脅して、そのまま去るつもりだったが、果たして男は、銃を放り出し、ひぃぃと地面に座り込んだ。「助けてくれ、助けてくれ」と繰り返しながらガタガタ震えている。まだ何もしてないというのに。

「おいおい、ちょっと」
「止めて!お兄ちゃん、父さんにひどい事しないで!」

父親を庇うようにして、少年が悟浄の前に立ちふさがった。
その姿と父親の姿を交互に見やると、悟浄はため息をつき、無言で腰を抜かしている男の脇を通り抜けた。そこで小さく少年に呼び止められ、振り返る。

「お兄ちゃん‥‥‥お兄ちゃんは、悪い人なの?」

困ったように、悟浄は笑った。
 

  

 

 

翌日、出発の準備を整えていた三蔵たちの元に、来訪者があった。子供連れの太った男は、この街で金融業を営んでいる、と告げた。

「昨日は、うちの息子がお世話になりまして」

その台詞で、三蔵たちは昨日悟浄が送っていった子供とその父親が挨拶にきたのだと合点した。男は、落ち着かない様子で、キョロキョロと辺りを見回している。

「あの、昨日息子を送って頂いた方は‥‥‥。何か私の事を仰っていましたでしょうか?」
「いえ、別に‥‥?今はちょっと出てるんですけど、悟浄が何か?」

悟浄は、昨日の買出しでワザとの様に買い忘れられていた自分の煙草を調達しに出かけていた。

「いえ、その。三蔵法師様のお連れとは存じ上げず、多少失礼な事を申し上げましたので――あの、本当に何もお聞きになっていないので?」
太った体をゆさゆさと揺らし、顔に吹き出た汗をぬぐう姿に、三蔵は僅かに眉を顰めた。

「あの、一体何を――」
三人を代表し、八戒が疑問を口にしようとしたが、男は慌てて手を振って、それを遮った。
「お聞きになっていないのなら、いいのです。別に大した事ではありませんので、お詫びに来たという事だけお伝え願えれば」
心底ほっとした様子の男に、ますます疑念が募る。だが男は、皆の胸中の疑問を他所に、「そうですか、ならば――いえ、そんなことより」と汗を拭き拭き、話を続けた。

「実は三蔵様にお願いがございまして、本日はお邪魔させて頂きました」

男の中では、悟浄への謝罪はこれから始まる話の前フリだったらしい。ここからが肝心、と目をギラつかせている。

「是非、この街にしばらくご滞在いただいて、説法などお聞かせ頂けませんでしょうか?こちらに三蔵様がお立ち寄りになられたのも、全ては仏のお導き。実は私、この街の寺院にはかなり顔は利きますので、話はちゃんと通させていただきます。ぜひ、拙宅へ逗留いただきまして、広く街の民にお教えを――」

ぺらぺらと、よく喋る口だ。三蔵は内心イラつきを覚えていた。今までも街ごとに散々受けてきた誘い。だが、寺院関係者でもない人物から話があるのは稀だった。余程、自分の権力に自信がある男なのだろう、と推察できる。
言葉の端々に現れる、自己顕示欲。

あー、ムカつくな。

適当にあしらって、追い払うかと三蔵が考えたとき、今まで父親の影に隠れるようにして立っていた少年が、父親の袖をひいた。

「ねえ、父さん。あの疫病神のお兄ちゃん、いないんでしょ?もう帰ろ?」
「こ、こら」

焦る男の姿に三蔵は察した。昨日この男が悟浄にどんな「失礼な事」を言ったのか。
何のことは無い、この男は悟浄に謝る気などさらさら無いのだ。ただ、三蔵法師の連れだと聞いて、自分が報復を受けるのではないかと心配になったのだ。それだけではない、悟浄が自分のことを三蔵に何も告げていないことを知るや、三蔵の地位までも利用しようとしている。
聞こえよがしに「寺院に顔が利く」などと言っているのは、結局は金を積んでいる、という事に他ならない。目の前の男が、仏道を信心しているとは思えない、とまでは言うつもりは無いが、寺院への多額の寄付は、自分の商売への非難をかわす為のカモフラージュに過ぎないのではないか。そして、今度は三蔵を利用するつもりなのだ。三蔵法師が自分の家に滞在した、となれば箔もつく。
 

昨日、子供を送って帰ってきた悟浄の様子を思い出してみる。別に、変わった様子は無かったはずだ。何度考えても、いつもと変わらない悟浄しか思い浮かばない。
そこまで考えて、三蔵ははたと気が付いた。
悟浄にとってはこんな事は日常茶飯事なのだと。いちいち気に病んでいたら、やっていけないのだろう。
今まで、一体どのくらい、こんな事があったのだろう。自分たちには気付かせず、何事も無かったように、たった一人で飲み込んで。
だが、決して平気なはずは無い。自分の心に傷をつけながら、平気な顔をする術だけは得意になって。

きっと、昨日も困ったように笑っていたのだろう。
 

 

三蔵は拳を握り締めた。

「話は分かった。あんたが謝罪にきた事は、悟浄に伝えておこう」
「そ、それで三蔵様。この街へのしばらくのご滞在の件は‥‥」
「三蔵様は、話は終わったと仰ってるんですよ」

八戒がぴしゃりと男の言葉を遮った。いつもの微笑さえ浮かべていない。怜悧な美貌に気圧されて、男は言葉を失った。
 

その時だった。

「なあ、お前さ、悟浄のことどう思う?」
悟空が子供の前に屈み込み、顔を覗き込んだ。

「ごじょう?紅い髪のお兄ちゃんのこと?」
「そう。好きか?嫌いか?」

少年は、ちら、と父親の顔を窺うように見上げたが、悟空の笑顔に緊張がほぐれたのか、すぐに意を決したようにきっぱりと告げた。

「僕は、お兄ちゃん大好き!だって、助けてくれたし、アイス買ってくれたし、僕が父さんと母さんが好きだって言ったら、頭よしよしってしてくれたもん!」
「そっか」

嬉しそうに、悟空は笑った。
そうして今度は悟空が、子供の頭をよしよしと優しく撫でた。
 

 

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