Smile(後編)

「ふぃー。ただ今帰りましたよ〜、って何、どしたの皆?」

確かに自分が出かけるときには、出発の準備をしていたはずだが。どう見ても、三人とも旅支度が済んだようには見えない。菓子をボリボリと齧っていた悟空が悟浄に告げる。

「出発は昼過ぎに変更だってさ」
「え?何で?」
「三蔵、本当に半日でいいんですか?」
「長くいたって仕方ねぇだろ、こんな街」
手にした新聞から顔も上げずに答える三蔵。

「‥‥僕が心配してるのは悟浄なんですけど。ま、程々に。さて、悟空。僕たちは行きましょうか」
「三蔵、カード貸してv」
「無駄遣い、すんじゃねぇぞ」
「????」

一体何が起こっているのか、悟浄にはさっぱりだった。
何で出発を延期したんだ?
どうやら八戒と悟空は街に遊びに行くらしい様子だが、どうして三蔵が素直にカードを渡したんだ?
八戒は何を心配してたんだ?

「どこへ行く?」

八戒と悟空に続き、部屋を出て行こうとした悟浄を、三蔵は呼び止めた。

「いや、あの‥‥出発、延びたんだろ?俺も、出かけようかな〜なんて」
「それじゃあ、意味がねーんだよ」
「はい?」

新聞を乱暴に放り投げ、眼鏡を外すと三蔵は悟浄に近付いた。左腕を取り、腕に貼られたタトゥーのシールを引き剥がす。

「ちょっ‥‥!」
突然の三蔵の行動に、悟浄の制止も間に合わなかった。そこに現れたのは、一筋の、傷跡。恐らくは、銃弾が掠めたものだ。

「コレは何だ」
「えーと、これは――ちょっと大きな猫に」

昨日、いつもと変わらぬ様子で帰ってきた悟浄だったが、腕に、派手な刺青のシールを貼っていた。普段通りのふざけた笑いを浮かべ、三蔵に見せながら言ったものだった。

『似合う?カッコいいでしょ、これ』

返事の代わりに、ハリセンを喰らわしてやったのだが。
三蔵は、黙ってその傷に唇を寄せた。

「お、おい、さんぞ‥‥」
「昨日の親子が、会いにきてたぞ」
「!」
「お前に、謝りたいってな」
瞬間、悟浄の顔に暗い陰がよぎったのを三蔵は見逃さなかった。

「‥‥‥悪ぃな」
「何で、謝る?」

悟浄は三蔵の顔を両手で包み込み、額をつき合わせるように覗き込んだ。三蔵を労わるような、穏やかな笑みを浮かべて。

「嘘、吐かせちゃってさ」
「嘘じゃねぇ」

そう、嘘ではない。例えそれが、真実ではないにしても。

「分ってる、けど――お前にも迷惑かけたんじゃねぇ?」

ゴメンな。そう言う悟浄に三蔵は眩暈さえ覚えた。こいつはこういうときだけ妙に察しがいい。あの男が本当は何をしに来たのか。少なくとも自分に謝るためではないという事が、悟浄には分かっているのだ。

「そんな、皺寄せんな。いい男が台無しだぜ?」
小さく笑いを含んだ声でそう言うと、悟浄は三蔵の眉間にふわりと口付けた。まるで、三蔵を慰めるかのような行動に、三蔵の眉間の皺はますます深くなる。

「てめぇが――」
笑うからだ。傷ついたのは自分の方なのに、俺を労わって笑うからだ。

三蔵は、悟浄を引き寄せて口付けた。もうそれ以上、笑わずに済むように。
 

 

 

あの親に育てられた少年は、成長しても、あのまま悟浄を好きだと思うのだろうか。それとも、今度会った時には、親と同じく悟浄に銃を向けるのだろうか。
ベッドの上、汗ばんだ体を寄せ合いながら、三蔵は紅い髪を弄ぶ。
荒い呼吸を繰り返す悟浄に、髪を手放さないまま話し掛けた。

「猫なんざ、どこにでもいるもんだ」
「‥‥‥」
「今度猫に引っかかれたら、ちゃんと言え」
「たいした事‥‥ねーって」
「バイ菌が、入るだろ」

小さな傷口から、じわじわと悟浄を侵食する。放っておいても、自分で直してしまうだろうが、何故だかそうはさせたくなかった。
うっわ、過保護ママ〜。悟浄の揶揄にポカリと拳をくらわすと、再び、腕の傷に唇を這わせる。

「俺が、消毒してやる」

すぐにその体に覆い被さり、もう一度熱を分け合う行為を開始した。
 

だから、俺は何も見なかった。

悟浄が泣き出しそうに、それでいて本当に嬉しそうに笑っていたなんて事も。
 

 

「Smile」完

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