お見合いに行こう!(Vol.9)
「俺を待たせるとはいい度胸だな」 不意に冷たい指で顔をなぞられ、悟浄は我に返った。触れ合った全ての部分から凍るような冷気が伝わり、三蔵がかなりの長い時間をあそこで費やした事を伺わせている。 「我慢しろ。とっとと帰ってこないお前が悪い」 相変わらずの尊大な態度。あの頃と何も変わらず振舞う三蔵の様子に、悟浄は内心の動揺を必死に押し隠した。 「そっちが勝手に来たんだろ!つーか、お前!さっさと下で声かけりゃいいじゃねぇか!」 言い逃れを許さない紫の瞳。う、と悟浄は言葉に詰まる。 確かに自分が東京を後にしたのは、この目の前の自分を捕らえて離さない綺麗な色から、少しでも離れるためだった。近くにいれば、いつどこで偶然姿を見かける羽目になるかもしれない。その時に自分が平静でいられるとはとても思えなかった。 「こういう体勢で、話も出来るしな」 再び、顔に冷たいものが触れる。 「何やってんだお前!?何考えてんだよ!?」 「なぁ、三蔵。俺達―――さよならしたよな?」 内に秘めた激情と慟哭。全てを押さえつけると悟浄は冷静を装い、なるべく穏やかに声を発した。腹に力を入れないと、声が震えてしまう。 「その理由も、納得してくれたよな?」 住む世界が違う。何もかもが、違いすぎる。それは、時間が解決する事のない、重い現実。 「俺は別れたつもりはねぇよ」 もう、言葉すら出ない。あまりの衝撃に眼を瞬かせている悟浄を気にする風もなく、三蔵はゆっくりとその耳元に唇を寄せる。悟浄が僅かに身を震わせたのは、唇の冷たさによるものか、それともその感触によるものか。 「悟浄」 名を呼べば伝わってくる、息を呑む気配。それすらも愛しくて、三蔵は更に囁いた。 「俺から、逃げられると思うなよ?」 夢でしか見ることの出来なかった金色の光に視界が覆い尽くされ、やはり自分が夢の中にいるのではないかと、混乱する思考の中で悟浄はぼんやりと思った。
話は聞くからとにかくこの体勢はよしてくれという悟浄の懇願に渋々と体をどけた三蔵は、再び部屋の隅にある古ぼけた写真を振り返った。 「一年前、か―――。ちょうど同じ頃だったな」 ぽつり、と呟かれた言葉に、悟浄は首を傾げる。
今からおよそ一年前。場所は東京、天候は―――雪。 『では、三蔵氏が取締役に就任する事に関してご異議のある方は‥‥』 手を上げたのは、他ならぬ三蔵本人だった。面々からの訝しげな視線が集中する。 『就任を承認してもらう前に、言っておくことがある』 そこで三蔵の口から語られたのは――――紅い髪と紅い瞳を持つ、同性の想い人のこと。 対外的にマズいんじゃないかとか、個人の嗜好だから問題は無いだろうとか、口々に考えを述べ合う役員たちの姿を、三蔵は黙って見守った。 『じゃあ、こうしようぜ』 それまでニヤニヤと笑って見ていた『会長』――三蔵の叔母だが――が口を開くと、重役たちはピタリとざわめきを止めた。 『こいつがどれほどの底力が出せるのか、試してみりゃあいい。それを見た上で、取締役に就任させるかどうか判断しても遅くねぇだろ。まずは――そうだな、おい次郎。未着手の新規プロジェクトのプランがあっただろ。アレ持って来い。こいつにやらせる』 秘書は慌てたように上司に駆け寄った。気苦労が多いのだろう、次郎と呼ばれたその秘書は、実際の年齢よりは幾分老けて見える。 『お待ち下さい、あのプロジェクトは投資に見合うだけの収益が見込めないということで企画途中で中止に――』 会長は革張りの椅子をくるりと一回転させると、口元に指を添え優雅に微笑んだ。どう見ても、楽しんでいる。 『一年だ。一年で結果を出せ。そのプロジェクトだけで収益を上げて、事業として軌道にのせろ。もし会社に実損を与えた場合は、就任の話はチャラだ。‥‥‥ああ、それからもう一つ条件を付ける。その事業を進める上で、どういう企業と提携、取引するのかは任せるが、必ずお前に男の恋人がいるということを先方に話せ。――――勿論、契約前にな』 『そんな‥‥‥?会長、それはあまりにも‥‥』 三蔵の取締役就任に力を入れていたある役員が、思わず反論しかけたが、会長の一言で口を噤んだ。「観世音グループ」の会長である彼女の言葉は絶対だ。逆らうことなど考えられない。 短すぎる期限。そして取引先へのカミングアウト。おまけに三蔵は学生だったという事もあり、今現在無役の状態だ。確かにそれをクリアして事業を成功させることが出来るのならば―――多少のリスクを差し引いても、これからの会社の運営を任せるに足りる手腕があるかどうかは疑うべくもないのだが。 ――――それにしても、条件が厳しすぎる。 会長が密かに、自分の甥である三蔵に目をかけていることを知っている会長秘書は、内心驚いていた。だが、様々な思惑や疑問が交錯する中、会長は実に楽しそうに頬杖を付き、自分の甥に視線を投げかけている。 『自分には無理だと思うなら、辞退しても構わんが――――どうする、三蔵?』
「それで!?どうなったんだよ!?」 三蔵に『さよなら』後のことを説明されていた悟浄は、役員会で自分のことを公表したと告げられ、焦りまくっていた。知らぬ間とはいえ三蔵の足を引っ張っていたのでは、いたたまれない。だが、悟浄の問いに返されたのは、三蔵の呆れたような盛大なため息。 「‥‥少しは考えろ。ヘタうってりゃ俺が今ここに来てるわけねぇだろうが。色々あったけどな、最終的に去年の会社の収益は2割アップした。俺が手がけたのは観世音が未進出の分野だったが、この成功でうちが第一人者の地位に踊り出るのも時間の問題だ。―――これで、文句が出る筈もねぇ。満場一致で取締役に推されたさ」 まあ、ラッキーなところもあったがな。と三蔵は続ける。 「‥‥パートナーに恵まれたからな。お前のダチの、八戒‥‥大したヤリ手だな、あの男は。今度の仕事がスムーズに運んだのも、奴の力が大きい。仕事で組むとすれば奴以上に心強い味方はねぇな‥‥‥‥」 敵にさえ回さなけりゃな。その部分は口には出さず、三蔵は心の中で呟くに留めた。 「‥‥そういや奴も、てめぇに拾われたクチだそうだな?警戒心ってものはねぇのか、てめぇには」 沸々と湧き上がる不機嫌を取り合えず目の前の紅い髪の男にぶつけてみる。八つ当たりされているなどとは夢にも思わない悟浄は、もごもごと言い訳にもならない言葉を呟いていたが、はっと我に返ったらしい。 「んな事、今はどうでもいいだろ。そうじゃなくて!」 「いくら仕事が成功したからって、どうしようもねぇ問題があるだろうが!」 あまりにもさらりと返され、悟浄はその言葉の意味を理解するのにしばらくかかった。 「じゃ、じゃあ企業イメージとか!雑誌にスッパ抜かれたりしたらさ」 胸に沸いた僅かな感慨を気取られないよう言葉を続けた悟浄に返されるのは、迷いの欠片もない言葉と視線。それは大きな喜びと微かな痛みを伴って、悟浄の胸に突き刺さる。 「けど、やっぱり社員とか株主とかの感情が」 突然、テーブルの上に置いていた腕を掴まれ、悟浄はビクリと身を竦めた。それに構わず、三蔵は身を乗り出し、悟浄へ顔を近付けて来る。 「お前はあの時―――俺にはもう自由が無い、と言ったな」 これ以上はない、というほど引き寄せられても、悟浄は硬直したまま動けなかった。振り払わなければと思う心ばかりが焦り、体が言うことを聞いてくれない。 「だが、俺が自分を殺してこれからの人生を歩んだとして、それは俺だといえるのか?だったら別に会社を継ぐのは俺じゃなくても構わないという事だ。ただ経営者としてのマニュアル通りに報告書に眼を通して判を付いて――――はっ、冗談じゃねぇな。俺は俺だ。俺は自分のために、自分がやりたいように生きる。てめぇとの事だって、誰に知られたって構わん。社員たちがそんな俺に付いて来れねぇってんなら、潔く辞めてやるよ。もっとも、俺は諦めが悪い上に強欲でな。お前も、会社も、どちらも失うつもりなんざ毛頭ねぇが」 強い口調とは裏腹に、三蔵はゆっくりと労わるように悟浄の体を抱きしめる。 「けど――」 尚も言い募ろうとする悟浄の額に、三蔵は唇を押し当てた。再会直後とは違い、ひとつひとつ悟浄の抵抗が無いのを確認するようにゆっくりと進められる三蔵の動きに、封印したはずの想いが止め処なく溢れ出す。でも――――それでも、俺は――――。
「お前は、本当は何を恐れてるんだ?」 不意に呟かれた三蔵の言葉。はっとして顔を上げると、三蔵の美しい紫の瞳と視線がかち合った。先ほどまで強い光を漲らせていた三蔵の瞳が、今は心なしか哀しい色を湛えているように見える。 「―――?」 三蔵の質問の意味が良く分からない。頭の中で何かが光ったような気がしたが、悟浄は気が付かない振りをした。気付きたくはなかった。今だけは。
「‥‥大丈夫だ」 さらに強く抱きしめられ、耳朶に流し込まれる低音に、悟浄の全身は麻痺してしまう。何が?と問おうとしたが、口を上手く動かすことが出来ない。 「大丈夫だ、悟浄―――大丈夫だ」 言い含めるように、宥めるように。何度も何度も繰り返されるその言葉。 額に、瞼に、鼻先に――。優しく降り注ぐ雪にも似た三蔵の口付けに、悟浄は何も考えられなくなっていた。 ――――もし許されるなら、このまま。せめて、今だけでも、夢の続きを。 悟浄は静かに瞳を閉じて、三蔵の唇を受け止めた。
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三蔵様、「並」を目指して頑張りましたが、大人になったというよりは、
ただ強引さに拍車がかかっただけ、という説濃厚。悟浄さんはヘタレてます。
強引な展開は自覚してますので、責めないでやってください///
大学出たての兄ちゃんが、いきなり取締役になれるか?と思ったそこのお嬢さん!
そんな常識は捨ててください!なんたって三蔵様ですから!
一年で事業が成功するわきゃない、と思ったそこの奥さん!
そんな細かいこと気にしないで下さい!だって三蔵様ですから!(ヤケ)
悟浄さんのためなら、潰れかけた日本経済さえ半年で立て直しますよ、彼は。
…………さーて、次は悟浄さんが頑張る番です。(いつ終わるんだろ、これ……)