お見合いに行こう!(Vol.8)

「よく降るぜ、全く‥‥」

次々と空から舞い降りる、羽毛のような白。
悟浄はひとり一人夜空を見上げながら、髪に積もる雪を払った。

 

 

昼過ぎから本格的に降り始めた雪は、夜になっても止む気配はなく。早々に作業を切り上げた現場の連中と、事務所で一杯やっていたのだ。

「なんだよ悟浄、もう帰るのかよ?もしかしてコレか?」
「若いってのはいいねぇ、お盛んで」

小指を立てて口々にからかいの言葉を投げかける、年齢も出身地もまちまちな男たち。
それぞれの事情を抱えこの北国で働く連中は、自分のことを話さない代わりに他人の詮索もしない。だからといって、他人との付き合いを拒絶するわけでもなく、仕事がハネると酒だ賭け事だと時間を費やす。互いの心には踏み込まない上辺だけの付き合いは、居心地のいいぬるま湯に漬かっているようなものだ。
以前のように、朝から晩まで働く必要のなくなった今では、仕事を終えた後に同僚たちと酒を飲むのも珍しくなくなった。賭け事を覚えたのは、前にいた仕事場。案外自分には博才があるということも初めて知った。

「足元気ぃつけろよ、転んで気でも失ったら雪に埋もれちまうぜ?」
「こいつは大丈夫だろ。埋もれてたってすぐ見つかるさ、その派手な頭じゃあよ」
「ホント、どうやって染めてんだー?いつまでも色が抜けねーなー」

興味津々とばかりに身を乗り出した若い男の頭は、茶色に染めた髪の根元から地毛が伸び、まだらに黒くなっている。

「‥‥‥毎日、大変なのよ」

曖昧に返事を返し、引き止める仲間を振り切って事務所を出た。短く、息を吐く。

(もう、ここも限界かな‥‥)

ここにきてから3ヶ月。まあこんなものだろう。
口は悪いが気のいい連中に、何となく去り難いものを覚えて留まっていたが。この髪と瞳の色のことを気付かれないうちに、別の場所に移ろう。
昨日まで笑っていた奴らが、突然顔を引きつらせ、石を投げつけんばかりに自分を恐れる姿は、慣れているとはいえあまり見たくは無いものだ。

突然変異。何度も医者たちに言われた、その言葉。なんの因果で紅い色を纏って生まれてきたのかは知らないが、それは幼い頃から奇異の視線を浴び、義母に疎まれるには十分な色だった。
とどめに、妙な伝染病だ。人々の恐怖を掻き立てるだけ掻き立てたそれは、一応の沈静化をみた今でも、人々の心に言い知れない赤への嫌悪を根強く残していった。

悟浄が歩いている間にも、どんどん雪が髪を覆ってゆく。
不意に笑いがこみ上げてきた。
空ですら、この色を隠したいと思うらしい。
 

 

この色を疎まなかったのは、たった一人の親友と――――そして、もう一人。
この紅い色を綺麗だと言ってくれた人だった。

今でも、時々夢に見る。
忘れようと足掻いたのは最初だけだった。
今頃、美人の彼女の一人や二人出来ただろうか。もう、自分のことなど忘れただろうか。
 

彼を自分の人生に巻き込まなかった事だけが、今の悟浄の誇りだった。

髪に降り積もる雪を振り払う努力を放棄し、悟浄は道を急いだ。
 

 

 

 

悟浄の母親が亡くなったのは、三蔵に別れを告げてから半年後の事だった。

 

それは、朝からの冷え込みが一日中続いた、とても寒い一日だった事を悟浄は覚えている。容態が急変してから数日間、悟浄は殆ど母親の病室に篭りっきりの日々を過ごした。
そしてその日も、悟浄は母親の側から片時も離れず、ずっと付き添っていた――――。
 

 

はっと、悟浄は目を覚ました。
軽く頭を振ってぼやけた頭を叩き起こす。慌てて時計を確認すると、転寝をしてしまったのは5分足らず。規則正しい電子音が、義母の命が続いていることを知らせてくれている。安堵のため息を吐きつつ、悟浄は義母の手を握り締めた。
ゆっくりと長い時間をかけて衰弱した彼女の体力は、あらゆる機器の手助けを受けても生命活動を維持出来ないところまで落ち込んでいた。
義母の手を握り祈るように額に押し付ける悟浄に、医師は覚悟を促した後、こう付け加えた。

『キミも少しは眠らないともたないよ?今はお母さんも安定してるから、寝ておいで』

さすがに厳しい医師の顔となっているニィ医師に説得され、しぶしぶ仮眠室へと向かった。
 

一応横になりはしたが、義母の様子が気になってなかなか寝付けない。それでも仮眠室の硬いベッドで何度も寝返りをうっているうちに、いつの間にかウトウトしたようだ。

夢を見た。それは音のない、色彩だけの夢。

義母と、兄が笑っている。二人とも自分に笑顔を向けてくれている。
動けずにいると、ふと肩を叩かれた。振り向くと三蔵の姿。やっぱり、笑っている。思わず、自分も笑った。
大切な人たちに囲まれて。嬉しそうに自分に笑ってくれて、自分もそれに応えて。
嬉しくて、楽しくて。―――これが『幸せ』なのかと照れくさかった。
笑いながらもう一度三蔵を振り返ると、綺麗な金色の髪が、何故か少しくすんでいるような気がした。
『‥‥?』
見る間に、どんどんと三蔵の髪の色が光を失っていく。強い意志を秘めた美しい紫の瞳も、見る見る黒味を増してきた。どうすれば良いのか分からなくて、焦りのまま救いを求めるように義母と兄の方を見れば――――二人の姿は消え失せていた。
焦りばかりが強くなる。二人は何処に行ったのかと三蔵に問いかけようとして、息を呑んだ。
いつの間にか、三蔵の髪と瞳が、自分と同じ紅い色に染まっている。
目の前の大切な人は、先ほどの笑顔は錯覚だったと思えるほどに、暗く哀しい顔を自分に向けていた。
 

そんな‥‥そんな‥‥。
ガクガクと体が、震えだす。
 

――――呼吸が、出来ない――――。
 

 

 

夢から覚めてはじめて、悟浄は自分が息を止めていたことに気が付いた。しばらくもがいた後、何とか呼吸を思い出す。こめかみを伝い落ちる汗。荒い息がやたらと部屋に響いて、茫洋とした不自然さを感じる。

―――静かすぎる。

本当にこちらが現実かと一瞬迷う。もし夢の続きなら、出口を探さなくては――――と見回した先に窓があった。薄ぼんやりと明るい光が差し込んでいる。悟浄はようやくその静けさの原因を理解した。

雪だ。

いつの間に降り出したのか、外など気にする余裕も無かったために気付かなかった。引き寄せられるように、悟浄が窓辺へ一歩を踏み出した時、仮眠室のドアが乱暴に開かれた。

 

慌しく飛び込んできた看護婦の様子で、何が起こったのかはすぐに分かった。
そして、妙に納得してしまった。
 

――――俺に見取られて死ぬのが嫌だったの?母さん。
 

不思議と涙は出なかった。
ただ、大きな空洞が、悟浄の心に穿たれた。
 

 

 

そして悟浄は都心を離れた。もう、そこにいる意味も無くなったからだ。

行き先は、誰にも言わなかった。医者にも、八戒にも―――勿論三蔵にも。
東京を去る日にも、やはり雪が舞っていた。列車の窓越しに遠ざかる三蔵の会社の巨大なビルを、悟浄は見えなくなるまで目で追った。
 

そして再び巡る、雪の季節。
 

 

 

悟浄が今住んでいるのは、今の仕事場から程近い、鉄筋アパートの2階。以前より少し広い部屋を借りてはいたが、基本的に物がないのは変わらないので、引越しは楽だ。今度は南にでも行こうかと考えを巡らせているうちに、あっという間にアパートに帰り着く。
と、階段の下に佇む人の気配。訝しげに眉を顰めた悟浄だが、そこを通らねば自分の部屋には戻れない。

暗がりの中、ベージュのダッフルコートのポケットに両手を突っ込み、フードを頭からスッポリ被った上、顔を隠すように俯いて立つ姿は、結構どころかかなり怪しい。
随分と前からそこにいるのだろう、フードにも肩にも雪が降り積もり、まるで雪だるまのような状態だった。
 

(服装と体格からして、中身は男だな)
 

よし、無視しよう。

なるべくそいつの方を見ないように、悟浄は階段の手すりに手をかけた。
 

「誰か、人待ちしてんの?アンタ」

意を決して前を素通りした筈、だったのだが。気付いた時には意思に反して口が勝手に動いていた。
しまった‥‥確か前にもこうやって、うっかりと緑の目の落し物を拾ってしまったんだ、と思わず反省してしまう。結局そいつは友人として、自分の中では特別な位置を占める存在になりはしたけれど。

『知らない人に無闇に声をかけてはいけません』

確か奴にも、後でそう注意された。お前が言うなよ、とその時は取り合えず突っ込んでおいたが。小学生に与えるみたいな注意を、あいつからはよくされたものだ。

だが、目の前の人物からは、何の反応も返されなかった。まさか立ったまま死んでるんじゃねーだろーな、と思うほど、悟浄の問いかけを綺麗に無視してくれる。自分より僅かに背の低いその人物。暗がりの中で俯かれては、フードに隠された表情を伺うことも出来ない。
ならばここで放っておけばいいものを。どうして更に言葉を重ねてしまうのか、悟浄にもよく分からなかった。

「もう遅いしさ。出直して来た方がイイんじゃない?この雪、多分今夜いっぱいやまねぇし?」

凍死しちゃうぜ?との警告にも、その雪だるまは無反応だ。
返事を諦めた悟浄は、軽く肩を竦めると階段を上り、2、3歩上ったところで足を止めた。再び振り向くと、やはり微動だにしていない、その人影。

悟浄はやれやれと頭を振った。

「なんだったらさ。そいつ戻ってくるまで、うち来る?コーヒーくらいは入れるけど?」

初めて、その人影が揺らめいた。
 

 

 

 

 

「ちゃーんと雪払ってから上がれよ?今、コーヒー入れっから、テキトーに座ってて。ヒーター調子悪くてさあ、突然切れたりするけど、一発殴ってやればまた動くから」

キッチンでカップを取り出すカチャカチャという音に被さって、あれやこれやと世話を焼く悟浄の声が部屋に響く。
相変わらず何の返事もない部屋の様子を悟浄が伺うと、片隅に置かれてある義母の位牌の前に座し、手を合わせる後姿が目に飛び込んできた。

「‥‥あー、拝んでくれたんだ、悪ぃね」

コーヒーを手にキッチンから出てきた悟浄は、テーブル代わりの雀卓にカップを置きながら胡坐を掻いた。

「写真、若い時のしかなくてさ。それ、うちのお袋なの。美人だろ?」

位牌の横には、今の悟浄よりさらに幾分若い、まだあどけなさを残す女性の幸せそうな笑顔の写真。幼い頃に起こったあの事件の後、施設に移るために荷物を片付けていた時、見つけたものだ。初めて見る義母の屈託のない笑顔。どうしても処分できなくて、以来、ずっと手元に残している。
悟浄はカップに口をつけ、胸に沸いた苦いものを、コーヒーの苦味で誤魔化した。背を向けたままの人物にもコーヒーを勧める。それでも、男はやはり黙ったままだ。

「いい加減フード取れば?つかコート脱ぎなよ。まだ寒いなら温度上げるぜ?」

悟浄の言葉に返されたのは、呆れたような微かなため息。反応があったことに、悟浄は内心驚いていた。―――そして。

「信じられねぇお人好し加減だな‥‥」

初めて、その人物は口を開いた。よく通る、心地よい低音。――――この声、は‥‥?

事実を認識する前に、体が動く。咄嗟に立ち上がろうとした悟浄の腕を、その人物が振り向きざまに掴む。あ、と思う間もない。気が付けば、悟浄は男に押し倒されていた。
脱げたフードから、輝かんばかりの金髪が零れ落ちる。蛍光灯に照らされ、それは眩しく輝いた。目の前には、薄い紫の瞳。真っ直ぐに、自分を見つめている。

――――ああ、やっぱり綺麗だ。

「‥‥三蔵」

その人の名前を呟いてみる。想うだけしか許されない、遠い世界の人の名を。
それでも一日も忘れたことのない、誰よりも大切な、初めての想いをくれた人の名を。
 

これは夢だ。きっと俺は帰り道の途中で転んで、雪に埋もれちまったんだ。あんなに『気ィつけろ』って言われたのに、締まらねぇなぁ。でもいいや。こんないい夢が見られるなら。この夢の中でそのまま終われるのなら、それも悪くはない話だ。
ああ、あったけー。雪の中って暖かいっての、本当だったんだ――――。
 

「何、呆けてやがる」

そんな悟浄の、せっかくの幸せな時間は、不機嫌極まりない声音に掻き消された。続いて与えられたのは、頭部への痛み。思い切り叩かれ、悟浄はこれが夢ではないことをようやく認識する。
夢でないなら、じゃあ、この目の前にいるのは―――!?

「さ、三蔵!?な、な、‥‥!?」

完全にパニックに陥った。

どうして、三蔵がここにいる?どうして、三蔵に組み敷かれてるんだ、俺?
何だ何だ、一体何が起こったんだ!?

「てめぇは‥‥‥無防備に他人を拾ってんじゃねぇよ」

混乱のあまり、じたばたと暴れる悟浄に降りそそぐのは雪ではなく、不機嫌を通り越し怒りすら含んだ低音。そんな声ですら心地良くて、どうすればいいのか分からなくなる。
 

「おい聞いてんのか、悟浄?」
 

二度と聴く事はないと思っていたその声に名を呼ばれ、悟浄は無性に泣きたくなった。
 

 

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