お見合いに行こう!(Vol.8)
「よく降るぜ、全く‥‥」 次々と空から舞い降りる、羽毛のような白。
昼過ぎから本格的に降り始めた雪は、夜になっても止む気配はなく。早々に作業を切り上げた現場の連中と、事務所で一杯やっていたのだ。 「なんだよ悟浄、もう帰るのかよ?もしかしてコレか?」 小指を立てて口々にからかいの言葉を投げかける、年齢も出身地もまちまちな男たち。 「足元気ぃつけろよ、転んで気でも失ったら雪に埋もれちまうぜ?」 興味津々とばかりに身を乗り出した若い男の頭は、茶色に染めた髪の根元から地毛が伸び、まだらに黒くなっている。 「‥‥‥毎日、大変なのよ」 曖昧に返事を返し、引き止める仲間を振り切って事務所を出た。短く、息を吐く。 (もう、ここも限界かな‥‥) ここにきてから3ヶ月。まあこんなものだろう。 突然変異。何度も医者たちに言われた、その言葉。なんの因果で紅い色を纏って生まれてきたのかは知らないが、それは幼い頃から奇異の視線を浴び、義母に疎まれるには十分な色だった。 悟浄が歩いている間にも、どんどん雪が髪を覆ってゆく。
この色を疎まなかったのは、たった一人の親友と――――そして、もう一人。 今でも、時々夢に見る。 彼を自分の人生に巻き込まなかった事だけが、今の悟浄の誇りだった。 髪に降り積もる雪を振り払う努力を放棄し、悟浄は道を急いだ。
悟浄の母親が亡くなったのは、三蔵に別れを告げてから半年後の事だった。
それは、朝からの冷え込みが一日中続いた、とても寒い一日だった事を悟浄は覚えている。容態が急変してから数日間、悟浄は殆ど母親の病室に篭りっきりの日々を過ごした。
はっと、悟浄は目を覚ました。 『キミも少しは眠らないともたないよ?今はお母さんも安定してるから、寝ておいで』 さすがに厳しい医師の顔となっているニィ医師に説得され、しぶしぶ仮眠室へと向かった。 一応横になりはしたが、義母の様子が気になってなかなか寝付けない。それでも仮眠室の硬いベッドで何度も寝返りをうっているうちに、いつの間にかウトウトしたようだ。 夢を見た。それは音のない、色彩だけの夢。 義母と、兄が笑っている。二人とも自分に笑顔を向けてくれている。 そんな‥‥そんな‥‥。 ――――呼吸が、出来ない――――。
夢から覚めてはじめて、悟浄は自分が息を止めていたことに気が付いた。しばらくもがいた後、何とか呼吸を思い出す。こめかみを伝い落ちる汗。荒い息がやたらと部屋に響いて、茫洋とした不自然さを感じる。 ―――静かすぎる。 本当にこちらが現実かと一瞬迷う。もし夢の続きなら、出口を探さなくては――――と見回した先に窓があった。薄ぼんやりと明るい光が差し込んでいる。悟浄はようやくその静けさの原因を理解した。 雪だ。 いつの間に降り出したのか、外など気にする余裕も無かったために気付かなかった。引き寄せられるように、悟浄が窓辺へ一歩を踏み出した時、仮眠室のドアが乱暴に開かれた。
慌しく飛び込んできた看護婦の様子で、何が起こったのかはすぐに分かった。 ――――俺に見取られて死ぬのが嫌だったの?母さん。 不思議と涙は出なかった。
そして悟浄は都心を離れた。もう、そこにいる意味も無くなったからだ。 行き先は、誰にも言わなかった。医者にも、八戒にも―――勿論三蔵にも。 そして再び巡る、雪の季節。
悟浄が今住んでいるのは、今の仕事場から程近い、鉄筋アパートの2階。以前より少し広い部屋を借りてはいたが、基本的に物がないのは変わらないので、引越しは楽だ。今度は南にでも行こうかと考えを巡らせているうちに、あっという間にアパートに帰り着く。 暗がりの中、ベージュのダッフルコートのポケットに両手を突っ込み、フードを頭からスッポリ被った上、顔を隠すように俯いて立つ姿は、結構どころかかなり怪しい。 (服装と体格からして、中身は男だな) よし、無視しよう。 なるべくそいつの方を見ないように、悟浄は階段の手すりに手をかけた。 「誰か、人待ちしてんの?アンタ」 意を決して前を素通りした筈、だったのだが。気付いた時には意思に反して口が勝手に動いていた。 『知らない人に無闇に声をかけてはいけません』 確か奴にも、後でそう注意された。お前が言うなよ、とその時は取り合えず突っ込んでおいたが。小学生に与えるみたいな注意を、あいつからはよくされたものだ。 だが、目の前の人物からは、何の反応も返されなかった。まさか立ったまま死んでるんじゃねーだろーな、と思うほど、悟浄の問いかけを綺麗に無視してくれる。自分より僅かに背の低いその人物。暗がりの中で俯かれては、フードに隠された表情を伺うことも出来ない。 「もう遅いしさ。出直して来た方がイイんじゃない?この雪、多分今夜いっぱいやまねぇし?」 凍死しちゃうぜ?との警告にも、その雪だるまは無反応だ。 悟浄はやれやれと頭を振った。 「なんだったらさ。そいつ戻ってくるまで、うち来る?コーヒーくらいは入れるけど?」 初めて、その人影が揺らめいた。
「ちゃーんと雪払ってから上がれよ?今、コーヒー入れっから、テキトーに座ってて。ヒーター調子悪くてさあ、突然切れたりするけど、一発殴ってやればまた動くから」 キッチンでカップを取り出すカチャカチャという音に被さって、あれやこれやと世話を焼く悟浄の声が部屋に響く。 「‥‥あー、拝んでくれたんだ、悪ぃね」 コーヒーを手にキッチンから出てきた悟浄は、テーブル代わりの雀卓にカップを置きながら胡坐を掻いた。 「写真、若い時のしかなくてさ。それ、うちのお袋なの。美人だろ?」 位牌の横には、今の悟浄よりさらに幾分若い、まだあどけなさを残す女性の幸せそうな笑顔の写真。幼い頃に起こったあの事件の後、施設に移るために荷物を片付けていた時、見つけたものだ。初めて見る義母の屈託のない笑顔。どうしても処分できなくて、以来、ずっと手元に残している。 「いい加減フード取れば?つかコート脱ぎなよ。まだ寒いなら温度上げるぜ?」 悟浄の言葉に返されたのは、呆れたような微かなため息。反応があったことに、悟浄は内心驚いていた。―――そして。 「信じられねぇお人好し加減だな‥‥」 初めて、その人物は口を開いた。よく通る、心地よい低音。――――この声、は‥‥? 事実を認識する前に、体が動く。咄嗟に立ち上がろうとした悟浄の腕を、その人物が振り向きざまに掴む。あ、と思う間もない。気が付けば、悟浄は男に押し倒されていた。 ――――ああ、やっぱり綺麗だ。 「‥‥三蔵」 その人の名前を呟いてみる。想うだけしか許されない、遠い世界の人の名を。 これは夢だ。きっと俺は帰り道の途中で転んで、雪に埋もれちまったんだ。あんなに『気ィつけろ』って言われたのに、締まらねぇなぁ。でもいいや。こんないい夢が見られるなら。この夢の中でそのまま終われるのなら、それも悪くはない話だ。 「何、呆けてやがる」 そんな悟浄の、せっかくの幸せな時間は、不機嫌極まりない声音に掻き消された。続いて与えられたのは、頭部への痛み。思い切り叩かれ、悟浄はこれが夢ではないことをようやく認識する。 「さ、三蔵!?な、な、‥‥!?」 完全にパニックに陥った。 どうして、三蔵がここにいる?どうして、三蔵に組み敷かれてるんだ、俺? 「てめぇは‥‥‥無防備に他人を拾ってんじゃねぇよ」 混乱のあまり、じたばたと暴れる悟浄に降りそそぐのは雪ではなく、不機嫌を通り越し怒りすら含んだ低音。そんな声ですら心地良くて、どうすればいいのか分からなくなる。 「おい聞いてんのか、悟浄?」 二度と聴く事はないと思っていたその声に名を呼ばれ、悟浄は無性に泣きたくなった。
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