お見合いに行こう!(Vol.7)

「で、何?」

病院の裏手の、人気のない場所まで移動して、悟浄はようやく三蔵を振り返った。

「調べたんだろ、俺のこと。それで何?同情でも、しに来て下さったわけ?」

冷えた悟浄の視線。言葉。態度。
まただ。
あの時――三蔵が悟浄に口付けてしまった時と同じ。狼狽を消し去った後に悟浄が見せる、諦めに似た拒絶。
それを受けても三蔵には、今度は何の怒りも沸いては来なかった。
 

本当に、どうして気付いてやれなかったのか。
 

どこからか、無邪気に走り回る子供の楽しそうな笑い声と、それを嗜める看護婦らしい人物の声が聞こえてくる。二人の間を、風で運ばれてきた紙くずが転がっていった。
 

「慈悲深―い三蔵様は、憐れみの心で俺を救って下さるとか?残念だけど、こちとらそんなヤワじゃねーよ。もう、気付いてるよな?俺、たった今オトコに抱かれてきたの」

「悟浄」

「自分から腰振ってさ、アンアン喘いできてやったぜ?それだけじゃねぇよ、俺ホストやってるし?ちょっとチップ弾んで貰えば、誰とだって寝るぜ?もういいだろ!?俺はそういう奴なんだよ!!これで分かっただろ!もうこれ以上俺に‥‥‥!!」

「悟浄!」

不意に温かいものに包まれて、悟浄は体を強張らせた。やや遅れて、三蔵に抱きしめられていると気付く。

「いつも、辛いことばかり言わせちまうな‥‥」
呟かれる低い声。

――――見透かされてる!

顔に熱が上るのは、羞恥のためか――それとも、無意識の願望が満たされた喜びのためか。
本当は気付いて欲しかったのかもしれない、自分の嘘に。
例え、それを認めるわけにはいかなくても。
 

「病院を移れ」

再び流し込まれる低音。他人の声が自分の体に浸透していく感覚を、悟浄は初めて味わった。

「療養所なら、俺が手配する。当面の費用のことも考えなくていい。とにかく、ここから離れろ」
正確には、「あの医者から離れろ」だったが。未だ強張ったままの悟浄の耳元で、言い含めるように三蔵は告げた。

「な‥んだよ、ソレ‥‥お前、また‥‥」
「勘違いするな、別にテメェに恵んでやろうってわけじゃねぇ。勿論金は返してもらう。支払いが病院から俺になるだけのことだ、それで問題無ぇだろう」

三蔵の口調は紛れもない本気を滲ませていて。
悟浄は不覚にも溢れそうになった涙を、歯を食いしばって我慢した。
回された腕が、密着する胸が、何もかもが温かい。――温かすぎて、眩暈がしそうだ。
このまま縋ってしまいたくなるほどに、それは甘美な誘惑だった。
 

「俺はお前に会いたかった。会いたかったから、お前をいつも呼び出した。お前は、何故それに応じた?昼のバイトを調整してまで―――夜の仕事に就いてまで」

本当は、もう知っている。
叔母の話と、こいつの態度と。それらが指し示すものは、一つしかない。
だが聞きたい。こいつの口から。
 

「だから、それはお前の金を――」
「自分からは連絡の一つも寄越さずに、よくそんな事が言えるな」
「じゃあ、暇つぶし」
「暇じゃねぇだろうが。―――とっとと観念して、認めろ。俺に会いたかったってな」

どこまでも往生際の悪い悟浄に、三蔵の声に不機嫌なものが混ざり始める。とても告白を促すムードとはいえないが、それがあまりにもらしくて、却って悟浄の呪縛を解いた。

「お前こそいい加減、目ぇ覚ませよ!俺とお前じゃ住む世界が違いすぎる!」
ようやく硬直が解けた悟浄は、三蔵から体を無理やり引き剥がす。

「それじゃ答えになってねぇ。俺が聞いてるのはてめぇのココだ」
とん、と三蔵は悟浄の心臓の上を指で突いた。
 

真っ直ぐな、どこまでも真っ直ぐな三蔵の瞳が悟浄を射抜く。
結局は育ちの良さが出るのだろう。想いが全てを解決すると、想いがあれば全てを乗り越えられると信じられる、純粋な人。そして今、全身で自分にぶつかってきてくれている。

悟浄は、短く息をついた。
これ以上、嘘は、吐けない。
悟浄はサングラスを外した。自分も三蔵の前に素顔を晒す。
三蔵にとっては、初めて会ったとき以来目にすることのなかった悟浄の『本当の』瞳。
それは以前と少しも変わらず、澄んだ美しい紅だった。

「三蔵‥‥俺は、お前に惹かれてる」
瞳を逸らせることなく、真っ直ぐに相手の目を見据えて、悟浄は初めて自分の心を口にした。
 

 

 

 

「‥‥けど、一緒にはいられない」
「何、だと?」

悟浄から発せられた言葉に、三蔵は眉間に皺を寄せる。三蔵のいつもの不機嫌な顔だ。
そんな仏頂面が胸を締め付けるほどに懐かしく、いとおしいものに悟浄には感じられていた。

「お前、分かってねぇよ。さっき俺が言ったこと――俺とお前は、住む世界が違うって」
「だから何だ!?そんな事が理由になるか!」
なるんだよ、三蔵。悟浄はそっとため息をついて、三蔵の目を見据えた。

「ダチに聞いたぜ?お前‥‥春に大学卒業したら、会社の経営陣のメンバーになるんだろ。まあ、ちょっとは修行するのかもしれないけど」
「それが、どうし――」
「いいから黙って聞けって。お前には、もう自由なんかねーんだよ」

反論を口にしようとした三蔵は、そのまま言葉を飲み込んだ。悟浄の顔が、今までに無く真剣で、それでいて自分の知らない大人びた雰囲気を纏ったような気がしたからだ。

「お前、さっき自分が金を出すって言ってたけどさ――それ、お前の金か?違うだろ?会社の金だよな?お前は何だかんだ言ったって、まだ学生だしよ」

キツイことを言っているという自覚はある。だが、告げなければならない。このキレイな人を、これ以上自分に関わらせてはならない。今なら、まだ間に合う。
悟浄は自分の心を振り切るように、軽く髪を掻き上げた。

「いくらある程度自由になる金があるっつっても、入れ込んだオトコに使いました、じゃマズいだろぉが?」
それによ、と悟浄は続けた。三蔵は言葉を発することなく、紫の瞳を悟浄に向けている。こいつに相応しい、本当に綺麗な色だ。一瞬でも自分にそれが向けられていたことを、信じられないほどに誇らしく、嬉しく思う。

「若き跡取りが男と懇ろになってますってバレたら、ゴシップ誌のいいネタだ。会社の信用も落ちるし、取引にも影響する。いくらお前が有能だからって、今問題を起こせば誰も庇っちゃくれねぇぜ?経営ってのはシビアなもんだろ。問題ある跡取りをわざわざトップに据えたいって思う奴はいねーよ。ましてお前んとこぐらい大きな会社なら、色々ある筈だろーがよ‥‥?ライバル会社は勿論、派閥とか出世争いとかさ。そんな連中が虎視眈々とお前のスキャンダルを待っている――違うか?」

悟浄は一度言葉を切ると、煙草を銜えた。
自分のとは違う香りを漂わせるソレは、三蔵にいつも不思議な安堵感をもたらす物だった。だが、今は―――。

「何千人か何万人か知らねーけど、変なトラブル起こして社員全員路頭に迷わせる気か?お前には責任があるんだよ。それは、お前が会社の跡取りだって決まった時から既に背負ってるものなんだ。それともお前、俺のために会社捨てられる?」

三蔵は、咄嗟に返事が出来なかった。経営者という立場に執着するつもりはない。だが、自分が会社を継ぐ事は、自分にとっては大事な恩人が決めた事だった。既に故人ではあったが、その人を裏切ることは出来ない。
黙り込んだ三蔵から、悟浄は静かに視線を外した。

「お前は、もっと大人になるべきだ」
「!」
「今のままじゃ、我侭なガキが気に入りの玩具を手に入れたがって駄々捏ねてんのと変わんねぇよ。意志を通すには、それなりの力が必要なんじゃねーの。社会的地位、って奴を抱えてるなら尚更な‥‥‥なーんて、ちょっと偉そうだったかな、俺」

最後は少しおどけて、ことさら明るく悟浄は言葉を切り―――あ、そうだ、と思い出したように続けた。

「もひとつ、選択肢があるんだけど。お友達なら、付き合ってもイイんじゃない?たまに飲んだりするだけの、フツーの友達。なら問題無いと思うよ?それでもイイ?」

三蔵は、静かに頭を振った。
無理だ。友人として付き合う事など考えられない。自分が欲しいのは、そんな物ではないのだから。
側にいれば触れたくなる。触れれば抱きしめたくなる。抱きしめて、口付けて、そして―――。
その心を抑える事など、もう不可能だ。考えるまでもない。
 

さんきゅ。悟浄が小さく呟いた。
 

 

 

三蔵には、反論する術が何一つなかった。
『ガキだよ、お前は』
叔母に言われた言葉が、蘇る。あれは、こういう意味だったのだ。
ギリギリと、唇をかみ締めた。口の中に鉄の味が広がる。その様子に、悟浄はふっと表情を緩めた。

「噛むなよ‥‥傷になる」

躊躇いがちに三蔵の頬に手を添えて、悟浄はそっと三蔵に口付けた。触れるだけのその口付けが、泣きたいほどに胸を締め付ける。
傷にはなりたくねぇんだけど。そう呟く悟浄を抱きすくめたい衝動を、三蔵は必死で押さえつけた。

「さんきゅ、な。三蔵」

もう一度そう言うと、悟浄は笑った。やはり何処かしら無理を感じるその笑顔を見たくはなくて、三蔵は僅かに目を伏せる。
 

 

「‥‥さよなら」
 

音をなくした世界の中で、囁くような悟浄の声だけが、三蔵の鼓膜を震わせた。
 

 

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