お見合いに行こう!(Vol.6)

ほんの数時間前、三蔵は会社の一室で会長である叔母と対峙していた。

「俺が、奴の負担になってただと‥‥?」

目の前の叔母を思わずねめつける。
ふざけんな、と言いかけ、叔母の目に宿る形容し難い光の前にその言葉を飲み込んだ。
高圧的ではないが、反論を許さない――荘厳さを感じさせるほどに威厳に満ちた、その瞳。

高ぶった神経が急速に冷えていくのを三蔵は感じた。
平静を取り戻した心の中で、叔母の言葉を反芻する。

それは、悟浄が嫌々呼び出しに応じていたという意味だろうか。金が目的で自分に会っていたのではないと、たった今確信したばかりだというのに。

叔母の断定的な口調にその確信がぐらつくのが情けない。

「T町の、吠登総合病院――そこに、奴の母親が入院してる。母親といっても、義母だがな。奴は妾腹なんだよ。知ってたか?」

いきなり話題を変えられ、一瞬三蔵は戸惑った。が、すぐに頭を振る。互いの家族のことなど、話題に上ることすらなかった。
 

叔母は訥々と悟浄に関しての調査結果を語り始める。
それは三蔵の知らない事ばかりだった。
 

生まれてまもなく父方の家庭に引き取られたこと。
結局父親はまもなく家を出て行き、戻ってこなかったこと。
その頃から義母の虐待を受け始め、小さな体に痣が絶えることが無かったということ。
「今でこそ大騒ぎしているが、少し前までは家庭の問題として見て見ぬ振りの風潮が強かったからな」
せめて話し相手になってくれるダチでもいれば気が紛れたんだろうがな、と叔母は悟浄の瞳と同じ色の切花をくるくると弄んだ。
さらに、話は続けられる。

悟浄には兄がいたこと。
自分の子供であるその兄を、母親は溺愛していたこと。
そして、ついに破綻の時が訪れ‥‥‥義母がまだ子供だった悟浄を殺そうとしたこと―――。
 

告げられる事実に、三蔵は言葉もなく立ち尽くす。
 

「弟が殺されかけている現場を目撃した兄貴は、その間に割って入り――結局は母親を刺し、階段から突き落とした。弟を庇ったって訳だ。‥‥‥そしてそのまま姿を消した」
痛いほどの静寂が、辺りを漂う。三蔵は、妙な暑さと息苦しさを覚えずにはいられなかった。

「正当防衛か過剰防衛か‥‥。罪に問われるかどうかという問題でもないのかもしれんが、母親を手にかけた、という衝撃は小さくはないさ。警察が行方を捜したが、足取りは未だ掴めずじまいだ。外国に逃亡したとの噂もある」

「まだガキの‥‥悟浄を置いてか?」
三蔵の口調に非難の色が篭るのに、叔母は苦笑した。

「まあ、兄貴としては、これで弟も母親から解放されて生きていける、という目論見があったんだろ。子供一人、行政側も放って置く訳にはいかんからな。事実、奴は施設に入れられ、そこで育った。だが、兄貴には誤算があったな」
三蔵の眉が顰められる。また僅かに室温が上がった気がした。

「母親が、死ななかったことだ」
「!」

「‥‥母親は、生きていた。しかも、植物状態に陥ってな。そのまま、今も生き続けている。その生命を維持するのに、どれだけの費用がかかると思う?奴の母親は食事も、排泄も自力では出来ん。寝返りをうつ事すらな。当然、完全看護だ。人件費だけでも相当なモンだ」

――それで、金か。

自分を殺そうとした母親の命のために、朝から、それこそ夜中まで必死に働く悟浄。疲れ果て、痩せた後姿が脳裏に浮かび、三蔵の胸を締め付けた。

 

いつも悟浄は笑っていた。
その笑みが、心から湧き出ているものではないという事は、三蔵にもすぐに分かった。
まるで自分を曝け出すのを恐れるように、乾いた笑顔とふざけた物言いで自身を固めて。
それは幼い頃に身に付いた自己防衛の手段。
他人と関わらず、踏み込ませず―――ひとりならば、誰かに傷付けられることも無い。

 

「本当は、お前に付き合う暇なんか無ぇんだよ、奴は。なのに昼のバイトを辞めて時間を空けた。その分、わざわざ夜中の仕事で埋め合わせてな。大変だったと思うぜ?」

―――確かに、悟浄は自分と出会ってから、いつも何処かしら疲労の色を滲ませていた。
俺が、悟浄に無理をさせていた。奴の負担を重くしていた。

―――他ならぬ、俺が。

「相手を犠牲にしなきゃ成り立たん恋愛なんざ‥‥‥やめちまえ」

三蔵の心に深く打ち込まれる、言葉の楔。
もし叔母の言葉が、単に悟浄との仲を咎めるものであれば、ここまで胸に迫らなかったかもしれない。だがそれは、自分の甥の軽率さを諌めてでも悟浄を思いやる、大慈の響きを含んでいた。

三蔵は黙ってドアノブに手をかけた。

「行くのか?」
咎める風でもなく、かけられる声。

「‥‥このまま終わらせるわけにはいかねぇよ」
会って、話さなければ。何もかもが手遅れにならないうちに。

「‥‥なら、もうひとつだけ聞いていけ」

どこか憂いを含む叔母の声に、三蔵は振り返った。
 

 

 

 

 

 

そして今。三蔵は病室で悟浄と向き合っている。

一週間振りに目にする悟浄の姿。また、少しやつれたかもしれない。
その顔は僅かに青ざめ、呆然と三蔵の顔を凝視している。
表情を取り繕うことも忘れ立ちすくむその姿は、いつもより少し幼くて。
サングラス越しでも隠し切れない、悟浄の狼狽。

その表情を見て三蔵は確信した。やはり、悟浄は自分から関係を断ち切ったのだと。
二度と会わないつもりだったのだ。金のことを持ち出して、わざと三蔵を怒らせて。

――――残念だったな。俺は諦めが悪いんだよ。

「『なんで』か聞きたいか?」
三蔵の問いかけに、悟浄はぴくりと反応した。

「だが、それを聞きたいのは俺の方だ。何故、嘘をつい‥‥」

 

不自然に、言葉が途切れた。

それきり押し黙った三蔵を、悟浄は不審気に見つめる。と、悟浄は三蔵が自分の喉下を凝視しているのに気が付いた。

「あ‥」
はっとした。
気付けば、手で隠していた。動転し自然と呼吸が荒くなる。

そこにあるものは、恐らく。

残されたのだ、所有の証を。わざと他人から見える位置に。
顔が上げられない。三蔵の顔を直視できない。
『女に付けられた』という言い訳をする余裕は、病室に入った時点で既に失われていた。

――――三蔵に知られてしまった。この薄汚れた俺を。

震え出しそうになる自分を叱責する。
取り乱すな。何でもない何でもない何でもない。
どのみち三蔵には嫌われて終わるということに変わりない。もう一度終わるだけだ。
落ち着け。何でもない何でもない何でもない。

だがどうしても、男の残した痕跡を隠す手を外すことが出来ない。

この期に及んで、まだ三蔵に良く思われたいと足掻く無様な自分。
 

醜態を晒しているという羞恥が、悟浄の体を硬直させていた。
顔を背けたまま固まる悟浄の耳に、三蔵の小さな声が届く。

「誰、に‥‥」

だがそれは、悟浄に『自分は何をすべきか』を思い出させるのに、十分な大きさだった。
 

 

 

思わず、三蔵は口に出していた。

「誰、に‥‥」
乾ききった口内から漏れる呟き。と同時に三蔵の脳裏に叔母の言葉が蘇る。

『もうひとつだけ聞いていけ』

叔母の顔が何処かしら哀しげに見えたのは、気のせいだろうか。
 

 

『最近の病院は、システムとしてあまり患者が長く入院する事を歓迎しない。それが、治る見込みのない患者なら尚更だ。10年近くの長期入院、しかも付き添いも要求してないってのは、その事情を考慮されてもかなりの特例だ。便宜を図られていると考えていいだろうな。何らかの見返りをもって』
『金、か?』
『奴は入院費用で手一杯だ。だとすれば、払うモノは限られる』
訝しげに目を細めた三蔵に、叔母は静かに告げた。

『ニィという医師がいる‥‥奴の母親の担当で、院内でも相当の力のある医師だ。――――後は、自分の目で確かめて見るんだな』
 

 

 

―――医者か!
 

ようやく理解した。
叔母が、表情を曇らせた意味を。
悟浄が母親への便宜と引き換えに、何を差し出しているのかを。
 

咄嗟に病室を飛び出そうとする三蔵を、悟浄は体をぶつけるようにして引き止めた。

「ちょっと待てよ三蔵!何するつもりだ!?」
「離せ!決まってるだろ、そいつをぶちのめして‥‥」
尚も病室を出て行こうとする三蔵を押さえつけながら、悟浄は叫んだ。

「いいんだ!俺が誘ったんだから!」
三蔵は思わず動きを止めた。僅かに首を回して悟浄の顔を見る。

「‥‥‥俺が、誘ったんだ」

言い聞かせるように、もう一度悟浄は呟いた。その視線は、もう三蔵から逸らせてはいない。

「出ようぜ‥‥こんな所でする話じゃねぇよ」

ちょっと出てくるからね、母さん。
眠る義母に声をかけると、まるで煙草を買いに出る、そんな雰囲気を漂わせて――、悟浄は病室を出て行く。

三蔵は、僅かに遅れて後に続いた。
 

 

BACK NEXT