お見合いに行こう!(Vol.4)

「おーう。シケたツラしてんじゃねーか」

形だけのノックを響かせ、三蔵の執務室に顔を覗かせたのは、この会社の会長である三蔵の叔母だった。

旧財閥からの流れを汲む『観世音グループ』の総資産は、国家予算に匹敵するとも言われている。この目の前の女性はお飾りの会長などではなく、その巨額の資産を護り、さらに成長させている経済界の首領とも言っていい存在だった。
三蔵も内心では敬意を払っていたが、表面上はただの口うるさい叔母に接する態度で周りをヒヤヒヤさせている。

「るせぇな、今講義のレポート書いてんだよ。用がないなら出てけ、クソババア」
「おーおー。ご機嫌斜めだねぇ。お前、大学の宿題なんか講義中にちゃっちゃと済ませとけ。それから俺は『会長』だ。ここは一応お仕事するトコロだぜ?社員たちにも示しがつかねーじゃねーか」
「知った事か。俺には、関係――」

関係ない、と言おうとした三蔵を、『会長』は手を振って制した。

「関係なくはねぇよ。ひとつ言っておく。お前はいずれこの会社の経営に携わる立場だ。お前がどういうつもりだろうと、それこそ関係ないんだよ。周りはお前を当然そういう目で見て、そういう付き合いを望むわけだ。すごいぜ?口を開けばおべんちゃらの嵐。『犬になれ』って言やあ、その場で3回どころか100回でも回りそうな連中が自分を取り囲んでくる様はよ。当然、付き合う奴を選ばなけりゃ、自分も腐っていく。金目当てで近付いてくる奴なんざ、これからわんさか湧いてくるんだぜ?いちいち気にしてたら身がもたねぇぞ」

まるで明日の天気を話すように口ずさみながら、窓際に置かれた花瓶の切花に手を伸ばし、匂いを嗅ぐ。
そうやって花を手に微笑む姿は、慈愛に満ちた仏のようだと誰かが言っていた。確かに、不思議な魅力の持ち主だと三蔵も認めざるを得ない。10代の小娘のようにはしゃいでいたかと思えば、不意に何もかも見透かすような、達観した視線を寄越す。その眼に見据えられると、自分の小ささを思い知らされるような気さえするのだ。
口が悪いのが玉に傷というところだが、三蔵にとって今の発言は聞き逃せないものだった。

「てめぇ‥‥調べやがったな?」

先ほどからの話の内容は、どう考えても自分と悟浄の事を当てこすったものだとしか思えない。最後に奴に会ったあの日から、すでに一週間が過ぎようとしていた。
記憶から追い出そうとしても追い出せない、あの紅い色が瞬時に浮かんできて、三蔵の不機嫌に拍車がかかる。
だが、どこか楽しそうな口調の『会長』は、悪びれる様子もない。

「当然だろ。立場上、得体のしれねぇ奴が身内に近付くのを黙認はできねぇよ。お前が誘拐でもされて身代金でも要求されてみろ、えらい迷惑だ」
「そんなドジ踏むか」
「まあ、良かったじゃねぇか。もう会わねぇんだろ?金の亡者の悟浄君とは」
「‥‥‥‥」

先ほどから三蔵は、この突然の来訪者に対して疑問を抱いていた。
一体、こいつは何をしに来た?
会長職はそんなに暇でもなかろうに、甥の失恋をからかいにわざわざ来たのか?実際、やりかねないババアだが。

「どうせなら、金を払ってヤらせて貰えばよかったんじゃねーか?向こうもそうじゃなくちゃお前に近付いた甲斐がねぇよ。今頃、連絡がなくてガックリきてるぜ?」
 

――――!!

 

「‥‥‥‥あいつは、そんな奴じゃねぇ!」
思わず三蔵は、机を叩いて立ち上がっていた。
 

「あん?何言ってんだ?はっきり言われたんだろ、金目当てだって」
「違う!大体金目当てなら、何でわざわざそれを俺に言う必要が‥‥!」

はっ、と三蔵は我に返った。
そうだ、悟浄は違う。金を目当てに近付いてきた連中などとは、全然違う。

知っていたのに。
初めて出会った時、あいつは金を振りかざして引き止めようとした俺に本気で怒りをぶつけてきた。
『貧乏人に金恵んでやって満足か!?』
あの時触れた、あいつの誇り高さ。誰にも頼る事無く一人で生きる、そのプライドの高さ。
だからこそ、自分はここまであいつに惹かれたのだ。
 

何故、気付いてやれなかったのだろう。
 

本当に金が目的ならば、三蔵の想いが自分に向けられていると知った時、それを利用しようとするのが普通だ。いくらでも付け込める筈なのだ。
なのに、奴はそうしなかった。
あの言動は、まるで。
まるで、自分を怒らせるためのような―――?
 

思考の淵に沈みこんでいた三蔵は、目の前の叔母が優しい目で自分を見ている事に、気付いてはいなかった。

レポートを放ったまま上着を掴み、部屋を飛び出そうとした三蔵の背中を声が追う。
「何処に行く?」
「るせぇ」
「‥‥ガキだよ、お前は」
「何だと?」
「奴なら、今日は出かけてるぞ」
‥‥バイトか。なら、奴の家の前で待つか。

「吠登総合病院――知ってるか?」
「病‥‥院?」
そう言えば、あの時かかってきた電話。あの時確かに悟浄は『先生』と―――。

「奴が金に困ってるのは、本当だ。お前と会うようになってから、色町での仕事も始めたみてぇだな」
その発言の意図を図りかねて、三蔵は叔母の顔を思わず見つめた。
 

「お前は、奴の負担になってたんだよ」
 

先ほどまでの磊落な笑顔は何処にもなく。
叔母の真摯な視線に射抜かれ、三蔵は動けなくなった。
 

 

 

 

 

 

ここは、都心から少し離れた場所に建つ、吠登総合病院のとある病室。
白い壁に白いシーツ。設置された様々な医療器具のくすんだ金属の質感。その中で、燃えるような紅い色が、鮮烈に輝きを放っている。

「今日は顔色いいじゃない?具合いいの?」

悟浄は、横たわるその人の枕元の椅子に腰掛け、顔を覗き込むようにして話しかけている。

返事は、ない。

「ああ、誰かが持ってきてくれたんだ。綺麗な花だね」

病室に飾られた、薄い紫の花。看護婦が活けてくれたのだろうか。
せめて自分がいる間だけでもと、悟浄はその人の点滴を見て、寝返りをうたせ、体を拭いた。

その人とは、悟浄の義母。

もう10年近くも眠り続けている、いわゆる「植物状態」だった。体のあちこちにチューブやら管やら付けられている姿はいつ見ても痛々しいもので、幼い頃、悟浄は必死に母親の覚醒を願い続けた。それが適わないと悟った今も、やはり母親のこの姿を見るとチリチリと胸が痛んだ。
何もかも、自分のせいだから。

義母の手をさすりながら、悟浄の視線はやはり飾られた花へと注がれていた。

「綺麗な、色だよな‥‥」
紫は、忘れられない記憶の色。悟浄は未練がましい自分に、自嘲的な笑みを浮かべた。
 

紫を見ると、思い出す。
あいつの瞳。強い意思の込められた、美しい紫の瞳。
そして、あいつの姿。あの時の情景。
目を開けたら、あいつのアップがあって。唇に温かいものを感じて。
キスされてる。
そう気が付いて。―――嬉しかった。

『こいつにとっては、もの珍しい人種なんだろーな』
今まで遭遇したことが無いタイプの人間に対する、純粋な興味。三蔵が自分に連絡してくるのは、そういう事だと思っていた。どうせすぐに飽きるだろうと予想していた。
だから自分からは連絡しなかった。なるべく関わりを持たないようにしよう。何となく、ヤバい予感がした。深みに嵌ると、引き返せなくなる予感。

次は、断らなければ。
何度目かの連絡の時、バイトを口実に断りを入れた。だが、電話越しに落胆のため息を聞かされた時、気が付けば次の約束を取り付けていた。

会いたい。
自分でも、不思議に思う。
三蔵に、会いたい。
自分の感情に名前を付けることも出来ず、結局は誘われるままに会いに出かけた。
 

 

口付けられて、ようやく分かった。
自分が何故、あいつにあんなに会いたかったのか。どんなに忙しくても、バイトを削ってでもあいつと会う時間を心待ちにしてたのか。

惹かれてた。

本当はとっくに理解していたのかもしれない。この自分の感情を。
でも、気付かないようにしてた。気付けば、終わらせなければならなかったから。

『アンタなんか、生まれてこなければ良かったのに!』

遠い昔、母親に言われた言葉は今なお色褪せることなく蘇り、悟浄の全てを絡めとる。振り上げられた包丁は、本来ならば自分を貫くはずだった。
 

ごめんね、母さん。俺、まだ生きてるよ。
けど大丈夫。俺は今もちゃんとひとりだから。
 

『アンタは人を不幸にしかできないのよ!』
そうだね、わかってる。
 

―――だから、終わらせた。
気付いた時が、終わらせる時だった。
 

 

目の前で、母親が安らかな寝息を立てている。二度と目覚めることの無い、その眠り。
今は、幸せな夢を見ているのだろうか。
俺のいない、幸せな生活を送っているのだろうか。
俺がいなければ、母も兄も、幸せになれたのだろうか。
三蔵も、幸せになれるのだろうか。
 

答えの出ない問いに悟浄が気をとられていると、背後から粘りつくような声がかけられた。
 

「やあ、今日も来てたんですね。丁度良かった」
「‥‥どうも、ニィ先生。何かあったんですか?」
「ここじゃ何だから、部屋で話しましょう。どうぞ、こちらに」
悟浄はちら、と母親を見やると、無表情に医師の後を追った。
 

医師の部屋に入ると、先ほどとはうって変わった馴れ馴れしい口調で、男は話しかけてきた。ニィというその医師は、母が入院した当初からの担当で、もう10年来の付き合いになる。いつ来ても、この部屋の淀んだ空気がこの男の性質をも表しているようで、悟浄は好きにはなれなかった。

「こないだの理事会で、またキミのお母さんの事が議題に上がっちゃってさあ。いろいろ難しいんだよね、やっぱり病院は『治る見込みのある患者』を優先的に治すべきなんじゃないの?って意見があってさ。キミだって毎月の入院費用、大変でしょ?」

椅子にもたれ掛かり、机に足を乗せて話す姿は、とても名の知れた医師の態度とは思えないものだが、もう慣れた。

「費用の事は、何とかしますから――」

在宅看護に切り替えられたら、自分たちは終わりだ。母親の面倒と、自分の生活は両立できない。確かに入院費用は高額だ。だが、働く時間が取れなければ、食べる口が干上がってしまう。介護どころか共倒れだ。

「うん、それはいいんだけどね。何とか皆も説得しといたから、当分は大丈夫でしょ」
「先生に、お任せします。お願いです‥‥母を、見捨てないで下さい」

「じゃあ、とりあえず、理事会で頑張ったご褒美貰っちゃおうかな♪」
その医師は、机から足を下ろすと、片肘をついて悟浄を見上げた。その口元に浮かぶのは支配者の笑み。

「おいで」

悟浄は伸ばされた手を取るべく、ふらふらと男に近付いた。
 

 

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