お見合いに行こう!(Vol.3)
息苦しさからか、悟浄が僅かに身を捩る。 やがて悟浄が目を覚まし、反射的に突き飛ばされても、三蔵は別段驚きはしなかった。 当然の反応だ。 段々と頭が覚醒してきたのだろう。悟浄の目が驚愕に見開かれるのを確認してから、三蔵はゆっくりと元の位置に腰掛ける。だが、悟浄の視線は三蔵を追わず、呆然と前方の宙を見つめたままだ。 「なんで‥‥」 それで、三蔵には分かってしまった。 ただの友人なのだ。こいつにとっては。 沈黙。 つい先ほどまではあんなに心地良かった静寂が、今は痛いほど耳に響く。 自分の携帯が鳴っている、という事実でさえ、うまく認識できていなかったらしい悟浄は、2度目のサビの部分にさしかかった所でようやく我に返った。まるで、今目が覚めたかのように頭を2、3度振ると、電話を探る。 携帯の画面に映し出された発信元を確認する悟浄の顔が、僅かに曇る。 「バイトあるから。そろそろ俺行くわ」 それはいつもの、悟浄の台詞。珍しく喧嘩別れをしない時は、悟浄のこの言葉が、その時間の終わりを告げる合図だった。 「じゃあ、また連絡くれよ」 普段は告げられない余分な台詞を加えられ、三蔵は愕然とした。 連絡しろ、だと――?三蔵は耳を疑わずにはいられなかった。 伝わったはずだ。自分が悟浄をどう想い、どういう目で見ていたのか。こんな誰が見ているかわからない場所で、思わず口付けてしまうほどに、その想いは深いものだと。 だが、どう見ても、三蔵の想いを受け入れるという様子は悟浄には見られない。 「ふざけんな‥‥」 行き場のない怒りが、三蔵の中に湧き起こる。立ち去ろうとする悟浄の胸倉を掴み、睨み付けた。本来なら、ここで怒るべきなのは悟浄の方なのかもしれないが、そんな事を考える余裕は今の三蔵には無い。 「‥‥どういうつもりだ」 三蔵の問いを受け、悟浄は鼻でせせら笑った。 「どーもこーもねぇよ。そりゃー、仲良くしとくに越したことねーだろ、普通」 先ほど見せた狼狽も、震えも、今はどこにも無い。ただ、いつもの皮肉気な笑みを、いつも通りに浮かべていた。それこそ、何も起こらなかったように。 「知ってると思うけど、俺、超貧乏なんだよね―――んで、お前、金持ちじゃねーの。どういうつもりかなんて、それで、わかんねぇ?」 「俺に惚れてたんだ?」 ヤメろ、もう。 「まあ、今回のキスはサービスするけど」 それ以上、言うな。 「今度からは、俺が欲しけりゃ払うもん払えよ――金ヅルちゃん?」 顔面に入れた筈の拳は、動きを予測されていたのか悟浄の顔に届く前に、受け止められた。 「顔はやめてよ、商売モンだからさ」 ガッ。 崩れ落ちる悟浄の目の端で、こちらには一瞥もくれず歩み去る三蔵の後姿が遠ざかっていった。
その日の夕方、悟浄は痛む腹を摩りながら八戒の事務所を訪れていた。 少し久し振りに会うその友人は、前に会った時と同じく、書類の山に埋もれていた。 「悪ぃ―――ちょっと、ここで寝かせてくんねぇ?」 「いいですけど、ちゃんと帰って布団で寝たらどうです?」 八戒の言う『あのバイト』先とは、歌舞伎町にある高級ホストクラブ。以前、高いギャラと気前良く与えられるチップに惹かれ、しばらく働いた事がある。 だが、長くは続かなかった。 客に心にも無いお世辞を言うことも、一夜を共にすることも、別にどうという事は無かった。 自分に入れ込んだ客が、他のバイト先にまで押しかけてきて揉めた、という出来事をきっかけにして、足を洗った。 3年ぶりで店を訪ねた悟浄を、オーナーは手放しで迎え入れた。悟浄は結構な売れっ子で、辞める時も最後まで必死に引き止められたものだ。 ‥‥‥そう言えば、こいつと出会ったのも、丁度その頃だったな。 悟浄の胸に沸き起こった僅かな感慨は、当の八戒の台詞で掻き消された。 「そんな無理しても、あの人に会いたいですか?」 時々、こいつの聡さが疎ましく思える時がある。例えば、自分でも気付いていなかったような事を、当然であると言わんばかりの口調で指摘してくるような時。 「んなんじゃ、ねーよ‥」 「‥‥まあ、いいですけどね‥‥後で後悔だけはしないようにして下さいね」 「もう、会うこともねぇよ‥‥」 無理やり閉じた目の奥の闇に浮かぶのは、あいつの後姿。 「なんで‥‥」 なんで、終わらせるんだよ? ――――俺は、夢を見ていられたのに。
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