お見合いに行こう!(Vol.2)

電話だ。

悟浄は、安アパートの自室で重い瞼を持ち上げた。この着信音は、あの男。
一ヶ月ほど前に出会ったばかりの、やたら態度のデカい、尊大な――綺麗な男。

何が楽しいのか、それから数日おきに連絡を寄越す。
不機嫌な顔を思い浮かべながら、悟浄はのろのろとした動作で携帯に手を伸ばした。
 

「遅い」

こちらが口を開くより早く、聞こえてきたのは、想像に違わず不機嫌な声。

「今から出られるか?メシ食うぞ」
「‥‥今から?」

初めて発した声は、気をつけたつもりだったがやはり僅かに掠れた。

「―――寝てたのか?」
相手の声に、こちらを気遣うような音が含まれるのを、悟浄は舌打ちでもしたい気分で聞いていた。

「疲れてるなら、また次に‥‥」
「いや、ちょっとウトウトしてただけだから。行くよ、今どこ?」

全ての神経を発声に集中して。
悟浄は今度こそ平気な声を出すのに成功した。
 

 

「だーかーら!お前ってどうしてそう自己中なんだよ?」
「てめぇに人のことが言えるのか!」

ここは往来のど真ん中。
人目も憚らず、男が二人、大声で喧嘩している。通行人は皆、二人を避けて歩いていたが、横を通り過ぎる瞬間には、誰もが僅かに目を見張った。
言い争いをしている男二人が、かなり人目を引く、いわゆる「いい男」だったからだ。
一人は金髪に紫の瞳。もう一人は燃えるような紅い髪――恐らく染めているのだろうが、男に良く似合っていた。

「もう、お前なんか知らねぇ!」

紅い髪の男はそう言い放つと、人ごみの中に消えていった。
 

―――また、やっちまったな。

その後姿を引き止めもせず見送って、金の髪の男――三蔵は、ひとつ息をつくと悟浄の消えた方角とは反対方向に歩き出した。

あいつと会うと、いつもこうだ。

最終的には、ケンカ別れ。口論になれば、お互い一歩も引かない。原因は、どれも覚えていないほど些細なことだ。今日だって、食事して街中を歩いていた途中までは、何でもなかったのだ。どちらが右を歩くとか左だとか、そんなことから始まった気がする。

不思議なのは、どんなに激しく罵り合って別れても、また数日経つと何事も無かったかのように会っている事。

三蔵には、わからなかった。

自分があの男に対して、今まで誰に対しても持ち得なかった感情を抱いてしまった事は、既に疑いようが無い。

気のせいかもしれないと。
考えずにいればそのうち忘れるんじゃないかと。

思うそばから紅い髪と瞳がちらちらと浮かんできて、どうしようもなく会いたくなってしまう。

初めての感情。奴の声を聞きたい。会いたい。

下らない事で喧嘩する事すら三蔵には新鮮な体験で、楽しいとまで思う自分に少々呆れた。
だが、それはあくまでも自分の感情だ。

―――悟浄は、どういうつもりで自分に会っているのだろう。

それが三蔵には、どうしてもわからなかった。
 

連絡は、いつも自分から。悟浄から電話を寄越したことは一度も無い。

だが誘えば必ずやってきた。バイトの都合で、と言われた事はあったが、その場で必ず空いた時間を指定してきて、次に会う段取りを取り付ける。
待ち合わせの時間に遅れ、息せき切って走ってくる悟浄の姿に、自分と同じ感情を期待しなかったといえば嘘になる。
俺は、特別なのだと、自惚れたくなる。

だが、それなら何故自分からは連絡を寄越さないのか。本当は、迷惑なのだろうか?

確かに、会ったからといって別に用事や話があるわけでもない。おまけに三蔵は話すのは得手ではないから、大体は悟浄が喋っている。当然、話が盛り上がるなどという事も無く。
恐らく、悟浄にとっては大して楽しくも無いはずだ。

なら、何故断らない‥‥‥?

三蔵の思考は、いつもここで堂々巡りに陥るのだった。
 

 

そして、今日も三蔵は悟浄を呼び出し、悟浄はちゃんとやってきた。

いつも通り、前に喧嘩した事など忘れたかのように、他愛のない話をする。
何をするわけでもなく、並んで公園のベンチに腰掛け黙って煙草をふかすこの時間が、三蔵は好きだった。
ちら、と隣の男を伺うと、煙草を銜えたまま目を閉じている姿が見える。

(寝てるんじゃねぇよ!)

やはり自分といるのは退屈なのかと、三蔵は内心穏やかではない。
取り合えず、叩き起こしてやろう。話はそれからだ。今日という今日は、ハッキリさせてやる。

「おい―――」

肩を掴もうとして、手を止めた。心なしか、悟浄の顔色が悪い。そう言えば、出会った頃より少し痩せた気もする。バイトを掛け持ちしていると言っていたが、相当キツいのだろうか。

三蔵は、そこでふと疑問を感じた。

 

悟浄の家には、一度だけ行った事がある。
よく建っている、と思うほど、それは古びたアパートだった。部屋の中に入って更に驚いた。さぞや散らかしているのだろうと想像していたのだが。
よく言えばワンルーム。平たく言えば一つしかない部屋の中には、ただベッドがぽつんと置かれていた。キッチンと呼ぶにはおこがましい流しの周りには、小さな鍋が一つ置いてある。窓には、サイズの微妙に合っていないカーテン。ベッドのほかには箪笥も、何も無く。洗濯物らしい衣類が数枚、部屋の隅に積み上げられているだけだ。
侘しい部屋、と言うのだろうか。

「座布団も無いけど、勘弁な」
「‥‥‥‥」
「あ。あんまり貧乏でびっくりした?いやあ、ちょくちょく引っ越すから、荷物は持たない事にしてるのよ。でも、ベッドはあるでしょ?さて何故でしょうー?‥‥はーい時間切れ。正解は、女を連れ込むのに‥‥」
思い切り、頭を殴ってやった。
 

 

あの暮らしぶり。必要最低限のものしか、いや、それすらも持たない生活。
あの時悟浄は、引っ越す事が多い理由は言わなかったが、大方の予想はつく。

今は閉じられた瞼に隠された、紅い瞳。

もっとも、悟浄は普段、黒のコンタクトを入れているので、起きていてもそれを見る事は叶わない。三蔵がそれを見たのは、初めて出会った時の一度っきりだ。

だが、例えそのせいで、住まいと職を転々としていると言っても。
こんなに疲れるまで働いて、贅沢三昧とはいかないにしても、普通の暮らしに困る事は無い筈だ。悟浄の様子に悲愴なものが無かったから、別にあの生活自体に不満があるわけでもないだろう。
ならば、バイトを一つ二つ減らしても、十分維持できる筈ではないのか。

何に、使ってる?
何のために、金を稼ぐ?

悟浄の事を何も知らない自分。三蔵は急に世界に一人取り残されたような孤独感を覚え、焦った。

無意識に、灰が落ちそうになっている悟浄の煙草を唇から抜き取る。

そして気が付けば。

 

自分の唇を、重ねていた。
 

 

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