お見合いに行こう!(Vol.13)

三蔵を、迎えに行こう。

悟浄がそう思いついたのは、三蔵の帰国まであと二日を残した日の深夜、客の注文に応じカクテルを作っている最中だった。
空港まで迎えに行ったら、きっとあいつは驚くだろう。部下が一緒にいれば話は出来ないかもしれないが、少なくとも自分を見つけた時の三蔵の驚いた顔を拝む事は出来る。

我ながらいい思い付きだ。

その時の三蔵の顔を想像し、やはりバイトである若いホステスにグラスを渡しながら、悟浄は口元を綻ばせた。
 

 

その日の仕事が引けた後、自分の雇い主であるママに、明日からしばらく休みを貰いたいと申し出た。雇われた当初こそ色目で悟浄を見ていた彼女だが、悟浄に脈がないのを見て取るやスッパリと引き、その後は、まるで実の息子に接するように何だかんだと世話を焼いてくれる。元々、気のいい女性だった。

以前の自分なら、間違いなく鬱陶しいと思っただろう。他人など信じられなかった、誰にも依存せず生きる事を他人と深く付き合わない事だと錯覚していた、あの頃ならば。

『大事なものは、手放しちゃ駄目だよ』

そう教えてくれたのも、彼女だった。駆け落ち同然で一緒になった旦那と別れた時、彼女はまだ20歳そこそこだった。定職を持たなかった彼女は親権を得られず、まだ幼かった息子とは会えなくなってしまったのだという。
攫ってでも手元に置くべきだったよ、と寂しそうに笑った。

『後で後悔しても遅いんだからね』

素直に、聞けた。
 

 

「恋人にでも会いに行くのかい?何だか、嬉しそうだけど」
「うーん‥‥‥‥まぁ、似たようなモンかな」

金髪の仏頂面を思い出して、悟浄は僅かに苦笑する。そんな悟浄の顔を、ママはじっと見詰めていたが――――やがて、『残念だね』と呟いた。

「アンタは客受けもいいし、何でもソツなくこなすし――――それに、寂しくなるよ」
彼女の台詞に、悟浄は思わず吹き出した。

やだなぁママ、すぐに戻ってくるってば。

だが、そう言って笑う悟浄に、彼女は清算したその日までの給金を手渡しながら告げたのだ。

「アンタが戻って来たいなら、いつでも戻っておいで。でも、私はアンタが戻って来ない事を祈ってるよ」
どちらにしても、連絡はいらないからね。そう続けると、綺麗に微笑んだ。

「それって‥‥‥クビって事?」

馬鹿だねぇ、この子は。苦笑交じりに呟くと、彼女は戸惑う悟浄を優しく抱きしめた。息子を送り出す、母親の抱擁だった。
 

 

 

 

どうせなら、一日早く出かけて八戒にも会っておきたい。そんな悟浄の計画は、朝っぱらから無残にも狂った。

「だりぃ‥‥」

朝、身体の節々の痛みで眼が覚めた。起き上がろうとすると、あたかも布団に何らかの別な重力がかかっているかのように、身体が動かない。
熱があるらしいのだが、体温計なんて気の利いたものは置いていない。もし、例えそれが悟浄の部屋にあったとしても、自分の熱が何度ある、という事実を認識するだけの話だ。
病院は大嫌いだったし、今の時間では薬局も開いていない。熱の高さへの対策を講じない以上、測るだけ無駄だった。

朝一番のフライトには予約も入れてはいなかったが、この季節の平日に満席になる事はまずない。早く着替えて空港に向かわないと、と考えた悟浄だったが――――そこで記憶は途切れてしまった。
 

結局、そのまま眠り込んでしまったらしい。次に眼が覚めたのは、翌日の朝だった。初めは日付が変わっている事に気付かず、偶然窓の外に見えたゴミ出しに集う奥様連中の井戸端会議の様子に曜日を知り、丸一日経過している事実を認識した。

――――ヤベ、遅れる!

まだ、身体は思うように動かなかったが、急いで出ない事には三蔵の飛行機に間に合わない。今まで病気らしい病気もした事がなかったのに、よりにもよって、何で今なんだ!と悟浄は自分自身に苛ついていたが、仕方ない。動いていればそのうち具合も良くなるだろう。

(だっせー。興奮し過ぎて遠足の朝に熱出すガキかっつーの)

熱のせいか、コンタクトを入れると眼が猛烈に痛む。仕方なく、悟浄はサングラスを取り出すと、急いでアパートを飛び出した。
 

 

飛行機の中でも、移動のためのタクシーの中でも、悟浄はぐったりと半ば眠った状態で、ほとんど外界からの情報を遮断していた。時々心配げに声をかけられる事があるところをみると、余程ひどい顔をしているらしい。適当に返事をして、また目を閉じる。その繰り返しだった。
何か大きな事件でもあったのか、羽田でちらりと目にしたTVでは、早口で何事かを伝える外国人のリポーターの姿が流れていたようだが、今の悟浄はそんな事に気を配る余裕も無かった。

途中で買った熱冷ましが効いているのかいないのか、酷く頭が重く、眠い。

動かない身体を引きずって、それでも自然と早足になる。予定より随分遅れてしまった。
しっかり目を覚ますのは成田に到着してからでいい。驚いた三蔵の顔を見て笑ってやる時に、ちゃんと振舞えればそれでいい。とにかく急ごう。
もうすぐ三蔵が帰ってくる。もうすぐ会える。

高揚する気分に、身体の不調も和らぐ気がした。
 

 

 

 

結局悟浄が成田に到着したのは、三蔵の飛行機の到着予定時刻を30分近くオーバーした頃だった。
国際線の飛行機の延着は珍しい事ではないし、荷物の受け取りの時間を考えればそんなに絶望的な時間差でもない――――と、悟浄は自分に言い聞かせる。本当は、疲れている筈の三蔵を、もっと精神的に余裕をもって出迎えてやりたかったけれど。

だが、飛行機の発着情報の掲示板を見ても、三蔵の乗っている筈の飛行機の情報は見当たらなかった。

(あれ?)

とっくに到着していて、掲示が消えたのか。それにしては早すぎる気がするし。遅れているのなら延着の表示があってもよさそうなものだが――――。
手っ取り早く、悟浄は手近な係員に尋ねることにした。

「あの、11時に着くロスからの便なんだけど、もう着きました?」
何故かその係員は、僅かに顔を曇らせた。

「‥‥‥ご存じないんですか」
「何を?」
「事故があったんです。原因は‥エンジントラブルらしいですが」
「?欠航したの?」
「あの、本当に知らないんですか?」

奥歯に物が挟まったような男の物言いに苛々する。知らねぇよ、飛行機のエンジントラブルの事なんか。
それじゃあ飛行機は飛ばなかったのか。ならば三蔵はいつ帰ってくるのだろう。せっかく俺が迎えに来てやったというのに、急ぐことなかったな。あいつも予定が狂って、さぞかし怒っているだろう―――。
とにかく、先の予定が立たないというのは、非常に困る。

「じゃあ、やっぱ欠航?それとも代替機が飛ぶのかな」

その係員は、どこか痛ましいものを見る表情を、悟浄に向けた。

「‥‥‥トラブルがあったのは、離陸した後です―――――陸を離れた直後に、そのまま墜落したんです」

 

何を言われているのか、分からなかった。
 

 

 

 

 

 

 

『乗客乗員の生存は、絶望的だと‥‥』

そう告げる係員の声が、どこか遠くで聞こえていた。
そうですか、そりゃどうも。自分がその時係員に何と答えたのか良く覚えていないが、多分そんな事を口にしたと思う。
気が付くと、悟浄はロビーのソファに腰掛けていた。
 

目の前のテレビからは、ロスでの飛行機事故のニュースがひっきりなしに流れている。恐らくは昨日からずっと、この調子だったのだろう。先ほどの係員が、悟浄がこのニュースを知らないのを不思議に思っても無理は無い。
昨日は一日眠っていて、今日も殆ど眠っているに等しい状態だったのだ。テレビは何度となく目にしたが、内容はさっぱり頭の中に入っていなかった。半分は、体調のせい。そして、もう半分は――――浮かれていたのだ。三蔵に会えるという喜びで。
あれほど気にならなかったテレビの音が、今はどんなに耳を塞いでも直接頭蓋骨に響いてくる。頭が痛い。

『昨日ロサンゼルス空港で発生した、航空機の墜落事故の現場では、今も機体がくすぶり続け‥‥乗客乗員の遺体の回収作業と‥‥詳しい原因究明の‥‥』

何度も繰り返されるリポートが、悟浄の脳内でぐわんぐわんと響き、思考を麻痺させていた。画面が変わり、興奮した様子でインタビューに答える付近の住民のアップが画面を占拠する。

ものすごい音がして、びっくりしたの。もう少しこっちに落ちてたら家も危なかったわ。いつかは大きな事故が起こるかもと心配してたのよ――――。

字幕が追いつかないほどに興奮して喋るブロンドの中年女性。
何の感情も篭らない表情で、悟浄はそれを眺めていた。
 

 

三蔵。
 

画面の女性のそれより、遥かに輝いていたその金髪。
 

親が外国人だったんだろ、と気にした風もなくさらりと話してくれたのはいつだったっけ。髪の色なんかどうでもいいだろ、って、そう続けてさ。俺の髪をくしゃくしゃと掻き回したよな。あれ、照れ隠しだろ?
 

なあ、三蔵。
 

嘘、だよな?
 

もう会えないなんて嘘だよな?
 

嘘だと、言ってくれよ。
 

誰か――――誰でもいい、こんなの嘘だと言ってくれ――――。

 

付き付けられた現実を認めたくはなくて。受け入れる事など到底出来なくて。
一体どの位の時間をそこで過ごしたのか。
時間の感覚などとうに無い。全てが意味を無くしてしまった。
失った。何もかも。この喪失感を埋める術など何処にも無い。埋めようとすら思わない。代わりは無い。三蔵の代わりなど考えられない。あいつしかいらない。三蔵しか欲しくない。
 

どうして。

どうして三蔵が。

どうしてこんな事に―――。

 

とぼけんな。本当は知ってるくせに。
頭の何処かで、声がする。
 

どうして、だって?
気付かない振りしてんじゃねーよ。そんなの決まってるだろ?俺が――――
 

込み上げてきたのは、涙ではなく笑いだった。

腹を抱えて、くつくつと笑った。周りの人間からの訝しげな視線も気にならない。何が可笑しいのか悟浄にも分からなかった。ただ、自分が壊れていく感覚だけが妙に鮮明だ。
ああ、そうだ。いっその事、狂ってしまえばいい。少しでも早く、自分を無くしてしまえばいい。
 

悟浄は笑い続けた。そうすれば、早く自分が消し去れるような、そんな気がした。
 

 

 

 

不意に、肩を叩かれた。
 

 

「お客様。失礼ですが、ここで何をしていらっしゃるんですか?」

顔を上げれば、空港の警備の制服。長時間ソファに座ったまま何をするでもない悟浄を不審に思ったのだろう。おまけに、先ほどからの挙動不審。一人で延々と笑っている姿は誰から見ても薄気味悪いものだった筈だ。

「べっつにー。何でもありまっせーん」

クスクスと笑いながら答える紅い髪の男に、警備員の眉根が寄る。もしかしたら、薬でもやっているのかもしれない。胡乱な視線が無遠慮に浴びせられた。

「ちょっと、奥まで一緒にいらしていただけますか」

ハイハイ、何処へなりとも参りますよ。ふざけた口調で立ち上がった悟浄は、急に眩暈に襲われ足元をふらつかせた。そう言えば、体調が悪かったんだっけ。咄嗟に掴んでしまった警備員の腕を離しながら、悪ィね、と呟いた。

「具合が、悪いのか?あんた」

悟浄の顔を覗き込むように様子を伺っていた警備員に、大丈夫だというように手を振る。無意識にサングラスを外し、額から滴り落ちる汗を拭った。
 

ひっ、と息を呑む音。
 

それが何を示しているのか、悟浄が気付いた時には、遅かった。
 

――――しまっ‥‥!!
 

「こ、こいつ、眼が赤いぞ!熱もある!」
 

きゃああぁっ
 

あちこちで上がる悲鳴。それに気付いた他の連中に、連鎖的に騒ぎが広がる。数ある感情の中でも、恐怖の伝染は異常に早い。
 

「うわああ!伝染る!死んじまう!助けて、助けてくれぇ!」

例の伝染病は接触感染だ。悟浄に触れられた警備員は半狂乱になって助けを求めて走り回り、辺りの人間はそれを避けようと叫びながら逃げ惑う。ロビーは、一瞬にしてパニックに陥った。それはまさに、阿鼻叫喚と呼ぶのが相応しい光景だった。
 

「違‥‥俺、は‥‥」

それきり、悟浄は否定の言葉を飲み込んだ。
否定してどうなる。どうせ誰も俺の言葉など信じない。これからはお定まりのコースだ。
隔離され、また病院で頭から足の先まで調べられる。そんなの病気とは関係ねーだろと言いたいような検査までされて。その上、医師の中には前の検査の時にもいた筈の顔もちらほら見えたりするのだ。面倒臭くて、いちいち突っ込みはしないけれど。
医師たちにとっては、検査自体が楽しくて仕方が無いらしい。医学界では悟浄が伝染病に関係ない事を知らない者は既にいないに等しいが、突然変異によるこの紅い色の原因を突き止めれば、その世界では大きな顔が出来るのだと前に誰かに聞かされた。
 

他の警備員が集まってくる。皆が遠巻きにこちらを伺っている。僅かに離れた処には、悟浄に声をかけた警備員が衆人に追いやられ、呆然とへたり込んでいる。

人々が、こちらを指差し、恐怖に溢れた目で自分を見ていた。今まで幾度となく経験してきた筈のそれは、不思議と痛みをもたらす事は無く、ただ現実だけを悟浄に運んできた。

 

これが、俺だ。

最初っから、分かってたことだったんだ。
 

一瞬でも、信じてしまった。この手で掴めると、夢を見た。
でもそれは、例えば両手で掬った水のように儚くて。あっという間に手から零れ落ち、何も残らない。
 

望むべきじゃ無かった、最初から。
俺が望んだから、三蔵は――――。
 

『アンタは人を不幸にしか出来ないのよ!』

ごめんなさい、母さん。
これが、罰なの?貴女が下した罰なの?
 

あの綺麗な人を求めた、俺への――――。
 

 

麻痺していた心に、だんだんと悲しみが湧いてくる。
 

俺だ。
三蔵を死なせたのは、俺なんだ。
 

ごめん、三蔵。
巻き込んで、ごめん。
もう一度時を戻せるものならば。今度こそ、俺はお前とサヨナラする。一人で生きて、一人で死ぬ。黙って地獄に行くからさ。マジで約束するからさ。
だから、もう一度だけ――――夢でもいいから、もう一度姿を見せてくれよ。

 

四方から浴びせられる恐怖と嫌悪に満ちた視線。それを全身で受け止めながらぼんやりと悟浄は考える。
このままあっちに走って行ったりしたら、みんな怖いだろうな。下手したら射殺されちまうか。警官もいるし。ああ、でも、熱に浮かされた今なら、あんまり痛くねぇかもしんねぇなぁ。
その思い付きは、自分でも驚く程に甘く強く、悟浄を誘う。

そしたら――――もう、終われるんだ。
 

 

「悟浄!?」

ぐらつき始めた視界の端に、何か光るものが飛び込んできた。そちらから名を呼ばれた気がして目を凝らす。聞き覚えのある声。忘れる筈もない、その声。
 

そこには、たった今、夢でいいからと願った人が佇んでいた。珍しく、驚きを隠さない表情で。
 

そう、それそれ。その顔を見に来たんだよ、俺。
びっくりした?俺が此処にいてさ。ヘヘ、ざまーみろ。迎えにきてやったんだぜ。もう一緒には行けねーけど。お前は天国行くもんな。俺はちょっくら地獄に行ってくるわ。
 

最後の夢にしちゃ上出来だ。

もう、終わりにしよう。
 

警官の位置を確認し、そちらに走り出そうとした悟浄の腕を、誰かが掴んだ。振り向くと、コート姿の男。黒ブチの眼鏡に無精髭。口元に浮かぶシニカルな笑みは、あの頃と少しも変わらず――――。

「お久し振り、悟浄クン♪」

ニィ医師のどこか楽しげな声が、自分がいる場所を錯覚させる。ここは、何処だっただろう。
もしかしたら、今までの事は全て夢で。ここは母さんのいる病院で。三蔵なんて、自分が生み出したただの幻で。
俺の醜い願望が生み出した、ただの夢、で‥‥。

――――ああ、だからあんなに綺麗だったのか。

 

「悟浄っ!!」

夢の続きが、悟浄を呼んでいる。心なしか、先程よりも近い場所で声がする。
どこか安堵にも似た感情に包まれて、悟浄は意識を手放した。
 

崩れ落ちる身体を支えたのが、何よりも大切な、金色の「現実」である事にも気付かずに。
 

 

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