幽谷洞奇談(7)

洞窟で過ごすようになってから丸四日。
三蔵の確信どおり、悟浄は何とか動けるまでの回復をみせていた。
そうするとじっとしていられないらしく、今しがたも『体が洗いたい〜!!』と川まで出かけ、ふら付いて転びかけては、付き添いの八戒をヒヤヒヤさせていた。

本人曰く『もう全然OKよ』らしいが(それを鵜呑みにする者は誰もいないのだが)、まだ血が足りていないのか、少々顔色は悪い。だが、数日前に比べれば雲泥の差だ。

八戒も悟空も、安堵の表情を浮かべていた。
ようやく四人に、いつもの空気が戻る。

「本当に回復が早いですねぇ」
「すっげー。骨までくっ付いてる!」
「俺って、丈夫さがウリだからv」
「体力馬鹿には薬は要らんといういい見本だな」

明日には出発できそーよ、と悟浄は本当に嬉しそうに、そして少しだけ申し訳なさそうに、笑った。

 

「それじゃあ、ちょっと道を確認してきますね。ルートを外れてしまいましたから」
そう言うと八戒は、ジープを伴い外へ向かう。

「待って八戒!俺も俺も!」
この狭苦しい洞窟でじっとしている事がたまらないのだろう、八戒を追いかけて、悟空も飛び出していく。

「猿!また妙な物拾ってくんじゃねぇぞ!」
「分かってるって!」

悟空は探検と称しては、退屈しのぎに洞窟の周りを走り回っていた。
それだけなら良かったのだが、その度に「形が変わっていたから」とか「可愛かったから」とかの理由で、落ちていた木の枝や野兎を拾っては洞窟に持ち込み、三蔵のお小言をくらっていたのだ。
それが、悟浄の気分を紛らわせるための悟空なりの気遣いだという事は、三蔵も気付いていたが。

「本当に分かってんのか、アイツは」
「大変だねぇ、お父さん」
ポンと、肩に置かれる手。いつものように「うぜぇ」と振り払おうとして、三蔵は動きを止めた。

 

悟浄が。

自分に。

触れている。

 

「お前‥‥」
「ん、もう平気。ワーリかったな、お前にもヤな思いさせちま‥‥」

続きは、三蔵の口内に飲み込まれた。
ほんの数日、触れていなかっただけなのに。
懐かしいマルボロの味が、悟浄の脳内を支配していく。三蔵の舌を迎え入れて、悟浄の体は歓喜に震えた。何故、これを怖いと思ったのだろう。既にそれが理解できない。
今は、欲しかった。ただ、三蔵が欲しかった。

三蔵は思い切り悟浄の体を引き寄せた。悟浄の腕が三蔵の体に回る。この数日、触れたくて、そして触れられなかった分を埋めるかのように、互いの体温を確かめ合う。

「ん‥‥う‥‥ふっ‥‥んん‥」
激しい口付けに、悟浄の腰が砕ける。三蔵は悟浄を支えながら、ゆっくりと腰を下ろさせる。悟浄の腕が三蔵の首に回され、そのまま二人は口付けを交わしながら倒れこんだ。三蔵の手が悟浄の服の隙間から侵入し、体をまさぐる。口付けは悟浄の首筋に移り、敏感なところを攻められて、悟浄は熱い吐息を漏らし―――――と、三蔵はそこで急に動きを止めた。
悟浄の首筋に顔をうずめたまま、動かない。

「三蔵?どした?」

悟浄の問いかけにも三蔵は動かない。だが、やがて僅かに体を震わせると、悟浄から体を引き剥がした。いや、引き剥がそうとした。実際は、悟浄が首に回した腕に力を込め、それを引き止めた。
 

「‥‥やんねぇの?」

「お前、自分の状態分かって言ってんのか?四日前には死にかけてたんだぞ。いくら何でもまだ直りきって無ぇだろうが」
「でもさあ、俺はしたいわけよ。これ我慢する方が体には悪いと思うんだけどなぁ。お前だって、辛いでしょ?」
「だから、誘うな」
「ヤダ、したい」
「手加減できねぇんだよ、気付け馬鹿」
「しなくていいから、そんなもん」

―――マジ殺してぇ‥‥この馬鹿河童‥‥っ!!!

一向に手の力を緩めない悟浄のおかげで、未だに三蔵は悟浄を押し倒したままの体勢だ。おまけにバンバン誘いの言葉をかけてくる。正直、これは今の三蔵にとって拷問以外の何物でもなかった。
 
 

「俺さあ、自分が死ぬかもしれねぇ、って思った時さ、お前とあのまま別れるの、すげぇ嫌だって思った」

じっと三蔵の目を見つめ、悟浄は僅かに声のトーンを落とした。思わず三蔵も、悟浄の顔を見返す。

「明日、いやヘタしたら、今日どうなるかわかんねーじゃん、俺たち」
三蔵に口を開く間を与えず、悟浄は言葉を続けていく。

「だから、欲しい時には我慢したくねぇの、俺」

口調はいつもと同じだったが、見せている笑みは、いつもの、何かを隠したような笑いとは、少し違ったものだった。

「‥‥生き残る自信が無ぇヤツの科白だな」
「お生憎さま。俺は生き残っちゃうよ?悪ぃけど。けど、お前は一応人間だし、真っ先にヤバいでしょ。人様の恨みも買ってそーだし」

余計なお世話だ、と三蔵は悟浄を睨みつける。
「‥‥‥誰がてめぇより先に死ぬんだ?俺がそんなドジ踏むわけねーだろーが。やっぱりこの頭は飾りだな、貴様」
「結構。欲しい時に欲しいって言えない位なら、飾りでイイや、俺。」

盛大なため息をつく振りをして、三蔵は笑いをかみ殺した。

考えるより、動け、か―――。
ひどく絡みついた糸を無造作に解く。そんな芸当を、時々こいつは何気なくやってのける。その度に俺は密かにはっとさせられる。
そうやって、こいつは俺の理性のタガを簡単に外してしまうのだ。

「‥‥本当に、お前はどうしようもねぇな」

「あぁ?何がだよ、俺は‥‥」
だがそれ以上、悟浄は抗議の言葉を続けなかった。

三蔵の手が、優しく自分の髪に触れてきたから。

 

「‥‥お前が誘ったんだからな、我慢しろよ」
「だから、我慢はしないんだってば、俺」

にやりと笑った悟浄に目だけで答えてやりながら、引き寄せられるままに三蔵は悟浄に覆い被さっていった。
 

 

 

「ちょっと、そこらへん散歩してきましょうか、悟空」
「え?今帰ってきたばっかじゃん」
「いいから、行くんですよ」

自分たちがルート確認から戻ってみれば、洞窟の奥からは、すすり泣くように響く、悟浄の声。何をやっているのか、一目瞭然、いや一耳瞭然だ。
ゴォォォォと効果音が聞こえてきそうな迫力の八戒に、悟空はただコクコクと頷くしかなかった。

(まぁ今日は、勘弁してあげますよ、三蔵)

どうやら、悟浄の「三蔵が怖い」状態は、解決したようだ。ここ数日、三蔵も悟浄からは距離を置いていたから、二人の間では了承済みの理由があったのだろう。

(今までは、何でも真っ先に僕に話してくれてたんですけどねぇ)

それが無かったという事は、今回の悟浄の状態が、案外根の深いものだったということを示していた。事の重大さと悟浄の口の重さは、比例している。

だがもしそれが、何らかのトラウマを悟浄から引き出すものだったにせよ、三蔵と二人で、解決出来たのならば。
いずれ、自分たちにも笑って話してくれるだろう。

八戒は、親友の回復を心から喜んだ。――――僅かばかり沸き起こった寂しさを感じながら。

 

「直って良かったよな、悟浄」
「そうですね」

悟空の言葉が、体を指しているのかそれとも別の何かを指しているのか分らなかったが。
満面の笑みで、自分を見上げてくる悟空に、八戒もまた笑みを返した。
 

 

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