幽谷洞奇談(6)
しばらくして、三蔵が洞窟の中に戻ると、悟浄は横たわっていた。 「八戒、悟空と一緒に荷物を取って来い」 確かに、荷物はジープから降ろして、崖の下に放置しておいたままだ。ジープでは運べる道ではないから、二人で行った方がいいのは理解できる。が。 三蔵の言葉が発せられた瞬間、悟浄が僅かに身を硬くしたのを、八戒は見逃さなかった。 「ですが、三蔵」 「聞こえなかったか?」 有無を言わせぬ口調に、八戒の反論は封じ込められる。いかに普段、八戒の発言力が大きいとはいえ、最終的な決定権は、常に三蔵にあるのだ。 ――大丈夫。三蔵が悟浄を傷つけるような真似をするはずが無い。 「わかりました、行ってきます―――悟空」 いかにも仕方がない、といった感じの八戒の声に促され、悟空は三人の顔を交互に見比べながら、立ち上がった。
八戒と悟空が出て行くと、三蔵は悟浄が横たわる場所とは反対側の壁際に腰を下ろした。自分から少し離れたその位置に、思わず悟浄はほっとする。 「なあ、三蔵‥‥怒ってんの?」 「俺が、怖いのか?」 いきなり、核心に触れられ、悟浄は返答に詰まる。 「‥‥‥‥ああ」 話したい訳でも、聞かれたい訳でもないのに、あまりの三蔵の淡々とした反応に、つい文句を付けてしまった。やられた、と思った時には既に遅い。三蔵は相変わらずの視線を悟浄に向けて、話を促している。 「‥‥‥あ‥のさ‥俺、時々‥‥本当に何年かに一度って位なんだけど‥‥その、アレが駄目な時があんだよ‥‥すぐ、直るんだけど‥‥さ」 あんま他じゃ聞かねーだろ、こんなの。と悟浄は僅かに目を伏せ、口元を歪めた。そんな悟浄に、いかにもやれやれといった風体で、三蔵は息をつく。 「やっと言いやがったな」 確かに、禁忌の子供がそうそう周囲に居るわけは無い。誰にも言えず、一人で解決してきたのだ。 三蔵は、こみ上げる感情――それはおそらく愛しさというものだっただろうが――を覚え、目の前の男に手を伸ばしたい衝動に駆られた。 「それに、今度はいつもと違うし。今まで、触れられるのまで怖いなんて事無かったのによ‥‥‥‥って、三蔵?」 三蔵を取り巻く空気の、僅かに和らぐ気配に、悟浄は訝しげな声を上げる。心なしか、三蔵の瞳を優しげな光が掠めたような気さえした。 「深いから、だそうだ」 顔に、血が上るのを感じる。確かに、今までと決定的に違うのはその部分だが。 「何故話さなかった?」 「残念だが、完全に『直す』方法は無いらしい。これから先何度そういう状態に陥るかは分からんが―――その度に逃げ回るつもりか?隠し通せるわけ無ぇだろうが。ちっとはその派手な頭を使ってみろ」 悟浄は、苦しいはずの体に、何か違うものが満ちていくのを感じていた。
一方三蔵は、内心気が気ではなかった。 よく見れば、悟浄が微かに震えているのが分かる。窮奇と、この不思議な洞窟に堆積する気によって、かろうじて一命を取り留めたとはいえ、大量の失血とまだ癒えていない体内の傷のせいで、かなり顔色も悪い。 「‥‥もう、黙って寝とけ。なるべく動くなと奴も言っていた」 三蔵の言葉に、悟浄は八戒の顔を思い浮かべる。洗濯する事になるはずの親友に、悟浄は心の中で手を合わせた。けれど、今日はせめて三蔵の匂いに包まれて眠りたい。そんな気分だった。 手を僅かに伸ばすだけで、体中がぎしぎしと悲鳴をあげる。回復している証拠だからと悟浄は自分に言い聞かせ、それでも三蔵にそれを気取られないように、法衣を手繰り寄せる。 (ああ、三蔵の匂いだな) 最近はその匂いに包まれて眠る事が多くなった。すっかり馴染んでしまった匂いに、安心したのか、急激に睡魔が襲ってくる。悟浄は思わず苦笑した。 (まるで、ぬいぐるみが無ぇと眠れねぇガキみてぇ) 今夜だけだ。こんな事考えるのは。多分血を流しすぎて自分はどうかしてしまっているのだ。 「こんなに触れてぇのにな‥‥」 「こんなに欲しいのにな‥‥」
「貴様‥‥死にたくなければ、もう黙れ」 悟浄はクスリと笑みをもらすと、そのまま静かに眠りに落ちていった。 「この野郎‥‥いつもは言わねぇクセに、こんな時だけ‥‥!」 誘いの言葉を受けるのは珍しい事ではない。だがこんな風に、心の底から自分の存在を求めている、と伝わってくる事は滅多にない。いつも何かを隠した笑みで、誘ってくるのだ。 「う‥‥」 悟浄が小さな呻き声を上げる。起こしてしまったかと一瞬焦った三蔵だったが、どうやら、そうではないらしい。夢の中で、ようやく苦痛を隠さなくともよくなった悟浄が、痛みと格闘している声だった。 (ヤセ我慢、しやがって) 三蔵は、悟浄の頬に手を伸ばし――触れる寸前で思いとどまった。これ以上は、悟浄を起こしてしまう可能性が高い。しばらく躊躇した後、汗で頬に張り付いた紅い髪を肌に触れないように注意深くどけてやる。 それでも、生きていてくれた。 窮奇は「まだ助かるかどうかは分からない」と言っていたが、間違いなく悟浄は回復する。 三蔵は、悟浄の姿を見失ってから初めて、安堵の息を漏らした。
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うちの悟浄さんってこんな人。というところでしょうか。
管理人は根っからの悟浄さん贔屓なので、どうしても悟浄さんに関する記述が多くなってしまいます。
うちの三蔵様がどんな人か、皆様にちゃんと伝わっているのか……ちょっと心配です。
(でも、管理人にも実はよく分かっていなかったり……///)