幽谷洞奇談(8)
翌日だったはずの出発が、何故かさらに一日延期され、ようやく三蔵一行はこの森を後にするための準備に取り掛かった。 「でもさあ、なんでアイツ悟浄食わなかったんだろー?確かにマズそうだけどさ〜」 「‥‥お前らなぁ‥‥」 散々な事を言われているのだが、腹を立てる気にはならない。
洞窟を出た四人は、一旦悟浄が怪我を負った地点の近くまで戻った。そこからでしか、ジープで進める道が無いのだ。 正直、二度と見たくはない。 「あにすんだよ、イキナリ!」 噛み付いてくる悟浄の様子を目の端にとめながら、三蔵は先へと歩き出す。
悟浄が怪我を負い、担ぎ込まれた洞窟の前で、三蔵は窮奇に対峙したまま考え込んでいた。 ―――何で、ちゃんと言わねぇんだ 悟浄が、自分を想う気持ちが強いというのは喜ばしい限りだが、どうして隠そうとするのか。全てを見せて欲しいとまでは言わないが、これはどう考えても自分にも関係している事なのだ。何故、隠そうとする? 悟浄の葛藤を知るはずも無い三蔵は、胸のうちで何故、何故と繰り返すうちに、自分が最も疑問に感じるべき事が他にあることに気が付いた。 「何故、あいつを助けた?」 『注文を付けられてな』 その問いは、予想されたものだったのだろう。窮奇の返答は間髪を置かず返ってきた。 噂に違わず、相当なひねくれ者らしい。だが、三蔵は僅かに違和感を覚えた。 「本当の理由は、何だ?」 『あいつではない――お主だ』
「‥‥‥」 「―――善人しか食わんと聞いていたが」 三蔵の返答が思いもよらない物だったのか、窮奇は少し目を見開くと、ふぉっふぉっと低い笑い声をたてた。 『最近の人間は面白いな。皆、そうなのか?』 急に質問を変えた窮奇に、三蔵は僅かに目を眇めて答えた。 「別に。ただの下僕だ」
成る程な、と呟くと、窮奇はすっくと立ち上がり、ゆっくりと三蔵の横を通り過ぎて、森へと入っていこうとした。 「食わねぇのか?」 そのまま2、3歩足を進めたところで、不意に足を止めて振り向いた。 「ああ――いつも、苦労している」 このひねくれものの妖獣は、悟浄が自分の命に頓着しなかったから、助けたと言いたいのだろうか。 三蔵は、その後姿に、ただ黙って一礼した。
「おーい、さんぞー?たれ目ハゲぼーずー?何ボーっとしてんだ?」 「‥‥‥誰がハゲだって?」 あの時はそう言っていたが、三蔵には窮奇がひねくれた性格を発揮して悟浄を助けたのだとは思えなかった。 「全く、どこが気に入ったんだか」 小さく呟き、歩き出した三蔵の頭の中に、聞き覚えのある低い声が響いた気がした。 『お主に、言われたくはないな』 咄嗟に振り仰いだ崖上には、その獣の姿はもうどこにも無く。
「幽谷洞奇談」完 |
ま、まとまってます?ちゃんと(ドキドキ)。
窮奇さんに最後に締めていただきましたが、いかがだったでしょうか?
苑生様に、捧げます。