幽谷洞奇談(5)

もう、窮奇の後についてから、どのくらいの時間がたったのだろう。
道の無い暗い森の中、三人はただ黙って歩いている。三蔵は、銃を手にしたまま、無表情に歩を進めていた。
三人からは、先程までの殺気は感じられないが、完全に窮奇を信用している訳ではないのがありありと分かる緊迫感を漂わせていた。だが今は、ただこの伝説の妖獣についていくしかないのだ。唯一の悟浄への手がかりなのだから。

一体どこまで連れて行くつもりなのかと八戒が問おうとしたとき、森の一角から臨む岩山の麓に、ぽつんと小さな穴が出現した。自然に出来た洞窟のようだ。
洞窟の前で、窮奇は立ち止まり、一度振り向いて三蔵たちを見やってから、入り口の脇に座り込んだ。どうやら、この中へ入れということらしい。

罠か。

一瞬の、逡巡。

「間違いないよ、中から悟浄の匂いがする」
悟空の言葉に、三蔵から最後の躊躇いが消えた。
 

 

 

暗い洞窟内に足を踏み入れた三蔵達の目に飛び込んできたのは。

洞窟のほぼ中央に置かれた、発光性の植物。
そのぼんやりとした光とは別に、赤い小さな光が別に一つ。携帯していたランプで照らしてみると、浮かび上がるのは予想された人物。

「よお」

煙草を咥え、笑って片手を上げる悟浄の姿がそこにあった。

 

「悟浄!無事だったんですか!」
「服、血まみれじゃん。大丈夫かよ?悟浄‥‥」
 

「出血の割には大した怪我じゃなかったみてぇ。なーんかさ、あの虎みたいのに助けて貰っちゃってさあ。アイツが、気で傷塞いでくれた。ビックリだぜ、アイツ人の言葉喋れんの。それによ、ここって、地形的にどーも色んな『気』が集まるところらしいぜ?怪我とか、治りやすくなるんだってよ、凄ぇよなぁ」
 

「‥‥貴様‥‥」

べらべらと喋りまくる悟浄の耳に、低く押し殺した三蔵の声が届いた。
 

「何?三蔵様?あーワリワリ、もしかして心配してくれたのかな?三ちゃんは?」

「こ‥の、アホンダラ!!!!!」
バシィ!!と容赦ないハリセンが悟浄の頭を直撃する。

「てっ!何しやがるこのクソ坊主!」
「さ、三蔵‥‥相手は一応怪我人ですし‥‥」
「知ったことか!この腐れ河童、一回殺す!」
「俺がてめぇなんかに殺られるわけねーだろ!」
「試してやろうじゃねぇか、この‥‥」

三蔵が一発殴ろうと、更に一歩悟浄に近付いた時、悟浄はびくっと身を竦めた。明らかに、怯えている。普段とは明らかに違う悟浄の反応に、八戒と悟空も目を丸くした。

「どうしたんだよ、悟浄‥‥?」
悟空の問いかけにも返答は無い。

「口ほどにもねぇな、馬鹿が」
三蔵は、苛立つ心を押さえ踵を返した。
「そいつ、見とけ‥‥。煙草吸ってくる」
 

 

 

洞窟の外に出ると、煙草を取り出した。
肺に満たされる、苦い煙。ほんの少しだけ、イラ付いた気分がまぎれる様な錯覚を覚える。だがそれは、ほんの一瞬の事だった。
自分に触れられる事に極端に怯えを示す悟浄。危うく自分を置いてさっさといなくなるところだった悟浄。何もかもが、三蔵の神経を逆撫でする。
それでも何度か紫煙を吐き出すと、振り向きもせずに言葉を発した。

「礼が必要か?」

自分たちを案内してきた時から変わらず、そこに座している窮奇。
まるで、悟浄を守るかのようなその姿に、三蔵は不思議な感動すら覚えた。勿論、まだ完全に信用したわけではないが。

『‥‥無用だ。まだ助かるかどうか分からん。我が塞いだのは外の傷だけだ。この場所は、あらゆる怪我を治すが、その急激な代謝による身体への負担も大きい。怪我の状態が悪いほど、その苦痛も増す。本来ならば、指一本動かす事すら辛いはずだ』

「らしいな」

この伝説の妖獣が、どういうつもりなのかは知らないが、ここに運ばれていなければ、悟浄はとっくに生きていなかっただろう。それほどの重傷だった。

驚いた様子も無い三蔵に、窮奇は首を少し傾げて問う。
『気付いておったのか?先程はそうは見えなかったようだが―――深い間柄にしては』
思い切りハリセンで殴って、怒鳴りあって―――とても相手の体を気遣っていたとは思えない。

「奴が自分で大丈夫だってんなら、こっちが余計な心配してやる必要はねぇよ。その担当は他にいるからな。それより――」

三蔵は、そこで一度言葉を切り、洞窟の前でうずくまる窮奇を見据えた。
「何故、俺とアイツが深い、と?」

『触れられるのを、怖がったではないか。人間と、妖怪の交わりによって生を受けた者の中でも、稀に出る現象だが―――知らんのか?』

窮奇の問いに沈黙で肯定の意を示すと、三蔵は煙草を足元で踏み消した。真っ直ぐに窮奇に向き直る。

「聞かせて、貰おうか」

時折霞んだ姿を覗かせる月が、三蔵と窮奇の姿を静かに見下ろしていた。
 

 

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