幽谷洞奇談(4)

それから三蔵達は、ジープを駆り、山道を駆け下った。暗く、荒れた山道を下るのはジープにも相当な負担だったが、文句一つ言わず、八戒の運転に身を委ねている。

誰も、口を利かなかった。

人を食う伝説の魔獣から悟浄と血の匂いがした。
これが何を物語るのか、認めたくは無かったのだ。

(俺は、自分で見たものしか信じない)

三蔵は、自分に言い聞かせるように、心の中で繰り返した。
 

 

崖下に到着するなり、ジープは変身を解いて地面にへたり込んだ。

「お疲れ様でしたね、ジープ。お前は此処で休んでいなさい」
「キュウ!」

八戒の言葉に抗議するように、鋭く一声発すると、ジープはそれでもよたよたと飛び上がり、八戒の肩に乗った。

「お前も、心配なんですね……」

身を摺り寄せてくるジープを撫でながら、八戒は呟いた。
 

 

先ほど覗いた月も、再び姿を隠してしまった。辺りは更に深い闇に包まれている。その漆黒の闇の中、三蔵達は必死で悟浄を探していた。

「あの崖から落ちたとなると、ここら辺のはずだが‥‥‥」
「三蔵!こっち!血の匂いが強い!」

悟空が駆け出す。三蔵と八戒は弾かれるように後に続いた。
 

辿り着いた場所で、思わず、息を呑んだ。
落下地点から、此処まで、恐らく這いずって来たのだろう、血痕が蛇の通った跡の様に残っていた。

そして、崖の下には血だまり。

かなりの出血量が見て取れる。普通の人間なら、間違いなく失血死だ。
だが、肝心の悟浄の姿はどこにも無い。

この出血からして、悟浄の負った怪我は相当なものだと推測できる。いくら悟浄に妖怪の血が流れているとはいえ、そんな体で動き回る事ができるはずが無い。

誰かに、動かされた―――と考えるのが自然。なら、それは。
肉食獣は、獲物を捕らえた時、安全な場所まで運んでから食す。つまりは、そういうことなのか。

(そんな馬鹿な、あの人が‥‥そんな馬鹿な)
(嘘だ!嘘だ!悟浄が食われちまったなんて、嘘だ!)

八戒と悟空は、言葉を発することも出来ず、ただ必死に頭の中で否定の言葉を躍らせていた。
 

 

 

突然、三蔵の気が大きく膨らみ、八戒は思わず後ずさった。それは、今まで感じたことが無いほどの殺気だった。

「悟浄を‥‥どうした?」
三蔵が口を開く。

「三蔵?」
「あいつをどこにやったかと、聞いているんだ―――貴様!!」
振り向きざまに、発砲する。銃声が静寂の森の空気を切り裂くように響いた。

そこに立っていたものは、白い翼の妖獣。

す、と三蔵の銃弾をかわした窮奇が、三人を見ていた。
 

 

八戒は少なからず驚いていた。
自分たちが動顛して他の事に気を配る余裕を無くしていた時に、三蔵は悟浄を連れ去ったであろうものの気配を探っていたのだ。
それだけ、三蔵にとって悟浄の存在が大きいという事を示している。結果がどうであれ、自分の目で確認しなければ納得できないのだろう。
自分や悟空も、それは同じだ。だが。

――――悟浄を失えば、この人はどうなってしまうのだろうか。

不意に浮かんだその考えを、八戒は自責の念とともに胸の奥へしまいこんだ。
今は、まだ悟浄の安否は不明なのだ。少しでも可能性があるうちは、諦めない。
そうやって、自分たちはここまで来たのだ。そしてこれからも、それは変わらないはずだ。
三蔵から視線をはずし、八戒もまた窮奇に向かい合った。
 

「答えろ‥‥人語は操れるはずだ」

銃を構えたまま、三蔵は殺気を抑えず問い掛ける。悟空は如意棒を、八戒は気を手に集め塊を生み出していた。
三者三様の殺気の込められた視線を受けて尚、轟然と佇む伝説の妖獣。こんな場面でなければ、その姿は賞賛に値するべきものだったであろうが。

窮奇はゆっくりと、体の向きを変え、歩き出した。

「待て!貴様‥‥!」
『ついてくるがいい』

三蔵の制止を遮る様に発せられたその声は、低く。
離れているにも拘らず、まるで直接頭に流れ込んでくるように、ハッキリと響いた。
 

 

 BACK NEXT