あれから(中編)

「何なんだ?一体」
「さあ、僕にもはっきりとは」
「三蔵は?」
「何か、偉い人に呼ばれたらしくって出て行っちゃった」

ここは、この街の外れの山に建つ寺の一室。
もう、かなり遅い時間だというのに、宿から連れ出された三蔵たち三人と、酒場から引っ張ってこられた悟浄。今は、従者三人が狭い部屋で頭を突き合わせている。

「大体、よく三蔵がOKしたな。こんな時間に、寺なんざ」
「なんでも、本山の意向を受けているという事で‥‥三蔵も、断り切れなかったみたいですよ」
「で、何で俺たちまで?俺、酒まだ残ってたっつーの」
「さあ‥‥」
「何なんだろーね」

首を捻る三人を、僧侶が呼びにやってきた。
「どうぞ、こちらへ」

訳も判らぬままに、ついて行く。案内された部屋は応接室のような形式のもので、見れば三蔵は中央に置かれたテーブルを挟んで、高僧らしき老僧と対峙していた。その周りを遠巻きに修行僧たちが取り囲んでいる。
悟浄たちが部屋に入る。と、じろりと三蔵は三人を一瞥し、不機嫌もあらわに眉間に皺を寄せた。

「何故、あいつらを呼んだ?奴らには関係ない」
「関係なくは無いでしょう。やはり皆さんもご自分の事ですから、ちゃんと知っておく権利があると思いまして」

自分の事?三人は互いの顔を見合わせた。一体、何の話だ?

「さっきから答えは出しているはずだ。耳が遠いのか?」
「これは、お戯れを」
「俺は、旅のメンバーを入れ替えるつもりは無いと言ってるんだ!」
 

三人は、思わず息を呑んだ。
 

 

 

「確かに、現在の桃源郷は狂った妖怪が跋扈する魍魎世界と化しております。危険は承知の上。ですがその艱難辛苦に耐えてこそ、真の修行の道が開かれると申すものでございましょう。人間の力だけでは三蔵様をお守りするに不足だと仰られるならば、せめて一人だけでもお供にお加え願えませんでしょうか?」

どうもこの老僧は、供の三人が完全に三蔵のボディガードとしてのみ、その利用価値があると思っているらしい。だから、入れ替えても別段いいではないかと言っているのだ。

「‥‥‥生憎とジープは四人乗りでな」
「ええ、ですから―――」

そこで老僧はちら、と悟浄に一瞥をくれた。老僧の言わんとする事を、何よりも雄弁に物語るその視線。

(成る程、俺とメンバー交代しろというわけだ)

完全な妖怪よりも、僅かでも人間の血が混じった自分の方が、三蔵の側にいることを疎まれる現実は、いつまでも軽くなる事はない。
今まで幾度となく経験してきたおかげで、痛みをやり過ごす方法にだけは十分に長けた。いつもなら、嵐が過ぎ去るのを待って、何事もなかったかのように三蔵の側に戻ればそれでよかった。

だが、今回は、果たしてそれで済むのだろうか。

ここ数日間の三蔵の自分に対する態度を思い出し、悟浄は僅かに目を伏せた。

 

悟浄の心中を他所に、老僧は自らの構想を語り続ける。

「最高僧であらせられる三蔵法師様の弟子が、妖怪ばかり、というのでは他に示しがつきません。ここに控えております僧たちは、修行中の身ではありますが、信仰心に厚く、法力も強い者ばかり。また武術にも秀でておりますゆえ、その辺りの妖怪など問題ではありません。必ずや三蔵様のご期待に添えるものと確信いたしております」
絶対に、断られるはずの無い申し出だと信じて疑っていない口ぶりだ。

「三蔵様、是非拙僧をお弟子にお加え下さい」
「いえ!是非私をお供に!」
それは口々に、自分をアピールする若き修行僧たちも同様だった。

「必ずやお役に立って見せます!」
興奮した修行僧の一人が、一歩前に踏み出した時、他の若い僧の腕に体がぶつかった。そのはずみで手にしていた数珠を取り落としてしまったのだが、それはちょうど三蔵の足元まで飛ばされた。
近寄って手を伸ばすにも躊躇われるほど、三蔵に近しい場所に。

「恐れ入ります、三蔵様、あの‥‥‥」
「何だ」

そっけない返事。
悟浄たち三人にはそう聞こえたが、周りの僧侶たちには違っていたらしい。他を圧倒する、気高いその声、その姿。この高貴で美しいお方に、腰を折らせる事など誰が出来ようか。

「い、いえ。失礼いたしました」
若い僧は慌てて傅き、三蔵の足元に恭しく手を伸ばして自ら数珠を拾い上げた。その姿を一瞥にもしない三蔵の姿に、僧侶たちからは羨望を含んだため息が漏れる。
何という、荘厳さであろう。まさしく最高僧に相応しい威厳に満ちた態度。やはり、妖怪たちをこの方の側に置いておくことなど出来ない――。

修行僧たちの『三蔵の弟子の座』争奪戦は、ますます熱を帯びたものになっていった。
 

 

 

(あーあ。早く終わってくんねーかな。大体、誰がこの生臭の弟子だっつーのよ)
 

悟浄は先程から火の点いていない煙草を、所在無さ気に銜えていた。
勝手にやってくれ、俺はもう帰る。という科白が喉元までせりあがってきている。自らも当事者の筈だが、完全に自分の意思を無視して繰り広げられるこの部屋の光景は、嫌悪を通り越して既に滑稽ですらあった。

どうにも腹の立つ連中だ。三蔵崇拝は珍しい事ではないが、それをわざわざ自分たちに見せる必要もないだろうに。ここで面倒事を起こして三蔵に迷惑をかけるのもどうかと思うが、このまま黙って付き合ってやる義理もない。
こちらは一応の遠慮をして、煙草に火も点けてないのに。どうやら無駄な気遣いだったようだ。

悟浄はポケットからライターを取り出し、銜えっぱなしだった煙草に火を入れるべく慣れた仕草で蓋を開けた。
周りの僧侶たちが顔をしかめる。
どうせ『所詮下賎の者は礼儀知らず』とか思われているのだろうが、構うものか。
だが、肝心のライターはカチ、カチと音を立てるばかりで、火が点かない。

「ガス切れじゃないんですか?」
「ちゃんと手入れしてんのかよ、悟浄」

両隣から、声がする。二人とも「煙草を吸う」行為自体を咎める様子がないところをみると、悟浄同様、かなりこの場の雰囲気には嫌気がさしているらしい。
それでも何度かカチカチやっていると、ようやくオレンジの炎が上がった。

まるで、今にも消えてしまいそうな――――。
どこか心もとないその炎が、今の自分と三蔵の関係を象徴しているようで意味もなく焦る。

自らの考えに軽い嫌悪感を抱きながら、その儚い炎が消える前にと悟浄が煙草を近付けようとした、その時だった。
 

 

不意に伸びてきた手に、悟浄のライターは奪い取られた。
あ、と思う間もなく、炎が消える。

不意に湧き上がる、憤怒。
殺気に近いオーラをたぎらせて目を上げた悟浄の前に立つのは――――玄奘三蔵法師、その人だった。
 

 

悟浄は一瞬、呼吸を忘れた。
 

 

今までの三蔵なら、こんな風に悟浄を排斥されようとした場合、黙っている事などなかった。逆に悟浄が思わず宥めてしまうほどに、怒りをあらわにしたものだ。
悟浄だけではない、八戒や悟空の事だって―――。『自分たちとは違う生き物』と見下すような態度を取られれば、誰であろうと氷点下を思わせる一瞥をあびせ、黙らせた。
今、悟浄はどう考えても理不尽な扱いを受けようとしている。それなのに、三蔵は怒りを見せるどころか、悟浄が煙草を吸おうとするのまで制した。その場の僧侶たちが、そうして欲しかっただろう行動を取ったのだ。
 

だとしたら、考えられるのは一つ。

―――三蔵もここの坊主たちと同じく、自分との旅を終わらせたがっている
 

 

自分たちの意を汲み取って、行動を起こした三蔵に対する賞賛のため息と、身の程もわきまえず傍若無人に振舞い、咎めを受ける禁忌の子供に対する嘲笑が、空気の振動として感じられる。感覚が過敏になっている自分を悟浄は自覚した。
 

―――やっぱ、終わり、かよ。
 

指先が。銜えた煙草が。震え出しそうになるのを気力で抑え込む。
八戒と悟空が息を呑んで自分たちの様子を見守っている。そして周りの僧侶たちの視線も、痛いほどに感じていた。
 

―――誰がこいつらの前で、みっともない姿なんざ晒してやるものか
 

俺はこれから全てを失う。自分に残るものがあるとすれば、このくだらない意地と、安っぽいプライドだけだ。
 

 

悟浄は、全ての表情を殺して、前に立つ三蔵を真っ直ぐに見つめた。
 

その口から発せられるであろう、『終わり』の言葉を受け止めるために。
 

 

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