あれから(後編)
シュボッ。 小さな音がしたかと思うと、目の前に炎が差し出された。 その場にいた全員が、三蔵の行動に驚愕していた。 先程までの勝ち誇った空気は一変し、僧侶たちは戸惑い、ざわめきたった。 「―――どうした。吸わんのか?」 呆然と佇んでいた悟浄は、三蔵の声に慌てて顔を近づける。吸い込んだ煙は、いつもと同じ苦さと、いつもとは全く違う何かを悟浄の体に染み渡らせた。 「お前が、持ってろ」 そんな悟浄に、三蔵は自分と悟浄のライター二つを同時に放ってきた。慌てて、受け止める。 「本山とどんなパイプがあるか知らねぇが、人が大人しくしてればつけ上がりやがって。どうやら耳が遠い連中ばかりのようだが、俺に同じ事を何度も言わせるな。ウゼぇんだよ」 そのまま三人を促して歩き始める三蔵に、我に返った僧侶の一人が追い縋る。 その言葉に、三蔵は初めてその歩みを止め、振り返った。 「では問うが、お前らに人が殺せるか?」 「な、何を!三蔵様、お口が過ぎましょうぞ!」 「狂っているのは妖怪ばかりだと思うか?旅を続けていれば、色んな人間たちに遭遇する――寺に閉じこもりっぱなしのアンタらにゃ分からんだろうがな。盗賊もいれば、人殺しが趣味の変態野郎もわんさかいやがる。そんな奴らに襲われた時、お前らはどうする?言っとくが、説法かまして改心させる暇なんざあると思うなよ。相手を殺せないなら、自分が死ぬしかない」 三蔵の押さえた声音が、却って怒りのボルテージの高さを表している。それを一身に受ける老僧は、傍から見てもハッキリ分かるほどにがたがたと震えていた。 「‥‥お前らに、その覚悟はあるか?」 「――ヒッ」 凄みを含んだ三蔵の声に耐え切れなくなった老僧は、ずるずると壁を滑るようにへたり込んだ。 「それが出来ん奴に用は無い。二度と下らん事は考えるな」 足早に部屋を後にする。今度は、寺を出る三蔵たちを追う者は、誰も居なかった。
「じゃあ僕たちは、こっちの部屋に移りますので。いやあ、急にキャンセルが出て良かったですねぇ。それじゃ、ごゆっくりv」 宿に戻ってきた途端、八戒は空き室が出たと聞くや否やそう言い残し、悟空と共に早々に姿を消した。去り際に、悟浄は悟空にも意味深に小突かれた。 二人に、気を遣ってもらったのは分かる。分かるのだが。 ‥‥‥‥気まずい。 二人きりの空間で、妙な居心地の悪さを二人は感じていた。いや、実際は悟浄がそう思っているだけで、三蔵はそうでもないのかもしれないが。 (ええと、やっぱ俺から何か言うべきなのかね。でも、もうヤっていいよ、てのも変だしな) 「おい」 ぐるぐると考えを巡らせていた悟浄は、不覚にも三蔵に声をかけられたのに気が付かず――――気付いた時には、ハリセンが顔面を直撃していた。 「〜〜〜〜〜っ!て!てめぇ、よくもこの悟浄さんの自慢の顔を〜〜!!世界中の女が泣いたらどうしてくれんだ!」 フン、と鼻で笑うと、三蔵はベッドにどっかりと腰を下ろし、煙草を取り出した。 お返しとばかりに憎まれ口を叩きながら、それでも隣に腰掛け、三蔵の煙草に火を点けてやる。手の中にあるのは、三蔵の百円ライター。自分の煙草にも火を灯すために何気にライターに目をとめると、先程の三蔵の行動が脳裏に蘇った。 (やべ、煙草が吸えねぇ‥‥) 無性に感じる熱さを誤魔化そうと、悟浄はあくまで軽く、隣で自分とは違う煙草の香りをさせている三蔵に声をかけた。 「そ、それにしたって、いいのかよ?あんなに脅しちゃって。知んね〜ぞ〜。本山にチクられても」 その言葉に、三蔵は僅かに眉根を寄せた。 ―――覚悟しとけ。必ず、分からせてやる。お前の馬鹿な頭でもちゃんと分かるまで、伝え続けてやるさ。 煙草の灰を灰皿にひとつ落とし、三蔵は横目で悟浄の様子を見やりながら口を開いた。 「俺があの場で本当にしたかった事――――教えてやろうか」 呼ばれて、何の警戒もせずに横を向く。 三蔵は、また黙って正面を向き、煙草を燻らせている。 なんだか分からない。こんな感情を、俺は知らない。 心臓だけが訳知り顔で、バクバクいってやがる。 「悟浄――」 名前を呼ばれて。引き寄せられて。額に三蔵の唇を感じて。髪を優しく梳かれて。 温かい。 ずっと、待ってた。この温もりを、俺は、ずっと。 今まで感じた事のない不思議な感覚に身を委ね、悟浄はゆっくりと瞳を閉じた。
「おい?悟浄?」 急に動かなくなった悟浄を不振に思い、顔を覗き込んでみると、悟浄は三蔵にもたれかかったまま眠っていた。 (こ、こいつ‥‥‥) 三蔵にしてみれば、今まで触れる事を許さなかった悟浄に伺いを立てるつもりで、軽い口付けで反応を見たつもりだったのに。OKならば、あわよくば、このまま‥‥‥。などと考えていたのだ。だが。 実に幸せそうな顔で、悟浄は眠っている。 その顔を壊したくはなくて、三蔵はため息をひとつつくと、悟浄を起こさないように気を付けながら静かに自分の体ごと横たえた。 まあいい。恐らく目が覚めたときには、お預け期間は終わっているだろう。 長い一週間だった、と三蔵は思った。
後で三蔵に聞いた。どうして俺を避けたのか、と。 「手を出したら舌噛み切って死んでやるとか言ってなかったか、お前」 顔見たら手ぇ出したくなるだろうが、だってよ。威張って言う事か、ソレ? そんな一言を迂闊に口にした自分を馬鹿だと思う。けど、それを気にしてずっと我慢していたらしいこいつは、もっと馬鹿だと思う。
でも結局、俺ばっか振り回されたみてーでちょっと悔しい。 そんな事、アイツには絶対言わねーけどね。
「あれから」完 |
悟浄さん、あなたは十分三蔵様を振り回しているわ。
という訳で、完結です。はな様と巴様には何とお詫びすればよいものやら……。
せっかくリクして下さったのに、こーゆー事になってしまいました(///)ゴメンナサイです。