あれから

あれから(前編)

あの、怒涛の一夜から三日が経過している。
 

悟浄は宿の部屋で、ひとり怒っていた。
今思い出しても腹が立つ。あの生臭坊主は、酒に酔った勢いで「あることないこと」―――実際は全て事実だったので「あることあること」だったが――――喋り捲ってくれたのだ。
おかげで、後で八戒と悟空にどれだけからかわれたことか。
しかも、本人は全く覚えてないときたもんだ。

(今度という今度は、ぜってーガツンと喰らわしてやる!大体坊主のクセに、何であんなに‥‥‥)

そこで色々と思い出してしまった悟浄は、一人顔を赤くしながらベッドに突っ伏した。
もう三日、あいつに触らせてやってない。それはつまり、自分もあいつに触れてない、という事だ。喉の渇きにも似た、何かを感じる。

(いや、ここで甘い顔してどうするよ。少しは反省しやがれってんだ!)

悶々と考える悟浄の耳に、控えめなノックの音が届く。あいつかもしれない、と悟浄は不機嫌な声を作った。
「‥‥‥誰だよ」
だが、入ってきたのは、想像とは違う人物だった。
 

 

「あ、今がっかりしたでしょ?」
「してねーよ」

それはそれは優しげな微笑を浮かべる、この事態の原因を作ったとも言うべきもう一人の人物。

「またまた。本当は仲直りしたいんでしょう?意地張らずに許してあげてくださいよ。三蔵、元気ないんですから。悟空だって心配してるし」
「八戒、お前あいつの肩持つのかよ」
「まあ、僕も調子にのってしまいましたし‥‥責任感じちゃってるんです、僕。ね?だから僕に免じて、仲直りして下さいよ、ね?」

まるで子供を宥めるかのような口調に、馬鹿にされてるのかと一瞬思ったが、八戒の瞳は意外にも真剣な光を湛えていた。どうやら、本気で責任を感じているらしい。
何だかんだ言っても、皆それぞれ三蔵を大切に思っている。八戒とて、例外ではないのだ。
そして自分は、八戒には妙に弱い。

「―――わーった」

ため息と共に吐き出された悟浄の言葉に、八戒は嬉しそうな笑みを零した。
 

 

八戒に押されるようにして悟浄が三蔵の部屋の前までやってきた時、中からは悟空の声が聞こえていた。悟空も、三蔵に自分との仲直りを進言しているのだろうと、悟浄が扉を叩くために手を上げようとした時、その声は聞こえてきた。
 

『誰があんな馬鹿河童に謝るか!済んだ事をいつまでも根に持ちやがって、器が小せぇんだよ!』
 

何だと‥‥?
 

ヒク、と顔が引きつる。隣にいた八戒も、流石にこの事態は予測できなかったのか、微動だにしない。

 『大体、謝るも何もこの三日間ろくに話も‥‥!』 

そこで、三蔵の科白は途絶えた。扉の前で怒りのオーラを全身から発する人物の気配が伝わったのだろう。

「ご、悟浄。落ち着いて」

珍しくうろたえる八戒の言葉を無視し、悟浄は穴を開けない程度での最大級の蹴りを扉に入れると、そのまま踵を返した。ドアの開く音がしたが、振り返らず足を速める。

「おい!」
腕を掴まれた。だが、やはり悟浄は振り返らない。

「‥‥触るな、って言ったよな?」
怒りを含んだ、冷たい声。

「もうお前の事なんか知るかよ!もっと器のデカいって奴とやらを探して相手して貰えばいいだろ!俺に手ェ出してみろ、舌噛みきって死んでやる!」

結局悟浄は一度も振り向くことなく、三蔵の手を振り解いた。
 

 

 

それから、さらに三日。

四人の間には最悪の空気が流れていた。正確には三蔵と悟浄の間が険悪なだけで、八戒と悟空はそのとばっちりを受けているだけだったが。ジープの上でも、必要最低限の会話しか交わされない。この空気に最初に耐えかねたのは、悟空だった。

「ねぇ。もういい加減に悟浄と仲直りしてよ、三蔵。俺、もうイヤだよこんなの」
「‥‥‥」

四人部屋を取った筈が、悟浄の姿は無い。二日前、悟浄は三蔵と同室が決まると早々に出かけていって、朝まで戻ってこなかった。恐らく、今日もそうだろう。

「確かに、こう毎日余計な疲労を重ねては、いざという時にどんなミスを犯すか分かりません。悟浄に謝ってくれませんか?あれは貴方が悪いですよ。貴方だって、本当はそう思ってるんでしょう?」

「‥‥‥」

返事をしない三蔵に、悟空と八戒は顔を見合わせて息をつく。

ちょうどその時、重苦しい空気を切り裂くようなノックの音が、室内に響いた。
 

 

 

その頃、悟浄は酒場で一人、酒を飲んでいた。
ここ数日、夜は出歩くことが増えた。大体は、賭場で遊んで酒を飲んで朝まで、というパターンだ。誘いをかけてくる女たちは多くいたが、今はそれにのる気にはなれなかった。
悟浄にしてみれば、この間のアレはほんの売り言葉に買い言葉で。三蔵がすぐに謝ってくれば、そこで終わる筈のモノだったのだ。
ところが実際は、三蔵は自分に謝るどころか、避けるようになったのだ。
八戒と悟空は気付いていないだろう。恐らくは自分が三蔵を避けて、夜出歩いていると思っているに違いない。だが、実は避けられているのは自分の方なのだ。それが嫌で、なるべく三蔵の側に近付かないようにしている。

ふと、悟浄は思った。

(もしかして‥‥別れる気、だったりして‥‥?)

自分はあの時、何と言った?
 

―――もっと器のデカいって奴とやらを探して、相手して貰えばいいだろ!
 

まさか。あれを真に受けて‥‥‥とか。いや、いくら何でも、そんな事は。いや待てよ。もし、三蔵が自分と別れる口実を探していたとすれば?
この喧嘩が、奴にとって渡りに船、だったとしたら?
俺の器が小さいと奴は言っていた。たった数日触らせなかったくらいでそう言うのは、俺が只の性欲処理の相手だったからか?それで、もう飽きたとか?
そんな関係こっちから願い下げだ。そしたら、こっちから切ってやる。
そして、旅も止めてやる。
そして、そして‥‥‥。

‥‥‥そして、俺は、どうなる?

その想像に、自分でも呆れるほど鼓動が早まった。
胸を押さえて体を丸める悟浄の前に、人影が立つ。

「沙悟浄殿ですね?」

胸を押さえたまま、目を上げると―――二人の修行僧と思しき人物が、悟浄を見下ろしていた。
 

 

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