WAKE UP!(9)

(ここは‥‥何処だ?)

真っ暗な闇。一筋の光も無い。方向さえ存在せず、どちらが上なのかすら分からない。ただ、暗闇の中で浮遊している自分。

同調に、失敗したのか‥‥?
 

三蔵が内心焦りを覚えた時、目の前にそれは現れた。

「お師匠様‥‥?」

紛れも無く、自分の大切な、誰よりも守りたかった人が目前に立っている。自分を見つめる、相変わらずの優しい笑顔。
三蔵が動けないでいると、ゆっくりと抱きしめられた。

「立派になりましたね、江流」

優しく頭を撫でてくれる。ああ、お師匠様だ。この優しい手も、暖かな腕も。

「さあ、行きましょう、江流。これからは、ずっと一緒ですよ」
「何処に行くのですか、お師匠様」
「何も心配しなくてもいい所です。何もかも忘れて、貴方はただ、私と共に穏やかに過ごせばそれでいい」

お師匠様と、ずっと一緒に、穏やかに――何もかも忘れて。

ナニモカモ、ワスレテ―――
 

 

駄目だ!

 

三蔵は、流されそうになる自分を叱責した。引きずられてはいけない。これは夢なのだ。取り込まれたら、戻れなくなる。
ともすれば乱れそうになる自分の心を必死で押さえつけ、三蔵は一つ大きく息を吸い込むと、口を開いた。

「お師匠様、貴方とここにいるわけにはいきません。大事な奴が待ってるんです」
「大事な?」
「お目にかかれて幸せでした。ですが、もう行きます」

師匠の腕から体を離そうとするが、腕に込められた力はますます強くなっていく。ぎりぎりと、体を締め付けられた。
「お‥ししょ‥」
「私より、大事な人がいるのですか、貴方には。待っていたのに、ずっと貴方を待っていたのに!」

突然漂う腐敗臭に、三蔵が思わず目を向けると、腐りただれた光明三蔵の顔があった。
余りのおぞましさに、束縛を逃れようと体をよじり、突き飛ばした――が。

 

「貴方がもう少し強ければ、私は死なずにすんだのに!」

 

その言葉に、動けなくなった。

あの日の出来事が、頭の中で何度も再生される。守れなかった事への後悔が、三蔵の心を覆い尽くす。
「せめて今度は、私を‥‥助けて下さい、江流」
半分溶けかかった光明三蔵が、ずるずると這いずって自分に近づいてくる。助けを求めながら手を伸ばしてくる師匠の幻影に、三蔵の理性は完全に吹き飛んだ。

(俺が、弱かったからお師匠様は死んだ‥‥)
(俺には大切な奴をつくる資格なんて、無い‥‥)

完全に思考の淵に沈みこんだ三蔵の体に、血まみれの光明三蔵の腕が絡みついてくる。だが、三蔵にはその手を振り払う気力はもう無かった。

(このまま、俺はここに‥‥この血の海が俺には似合ってる‥。ああ、赤いな‥だが‥‥この赤は違う‥‥?‥‥何の赤と‥‥比べてるんだ‥‥俺は‥‥?)

突然、脳裏に浮かぶ一人の男の姿。それが自分にとってどういう存在かを認識した瞬間、三蔵の体から、黄金に輝く光がほとばしった。
 

 

これはお師匠様なんかじゃない。自分が生み出したただの幻影だ。
こんな処でグズグズしている暇はない。探さなければ、奴を。
 

 

光がおさまった時には、光明三蔵の幻影も、消え去っていた。
 

 

―――――代わりに、膝を抱えてうずくまる悟浄が、そこにいた。
 

 

 

やっと、見付けた。

三蔵が駆け寄り、声を掛けようとした時、不意に背後から声がした。

『お前を愛する奴なんて何処にもいやしねえよ』

咄嗟に振り向くと、三蔵自身が立っている。
「な‥‥」

『お前なんざ、俺が本気で相手するとでも思ったのか?』
今度は反対側から掛けられる声。やはりそこにも自分がいた。
『生まれてくるべきじゃなかったな』
『目障りだ、死ね』

言葉の度に、自分が増えていく。三蔵はこみ上げる吐き気をぐっとこらえた。あっという間に、周りを囲まれる。悟浄を見ると、全く反応していない。焦点の定まらない目が、うつろに宙を見つめていた。

三蔵は湧き上がる怒りを抑えることが出来なかった。こんな目に、合わされていたのか。予想はしていたが、実際目の当たりにしてみると、想像以上の悟浄の悲しみを感じる。
しかも、よりにもよって自分の姿を使われたのだ。自分の口から、悟浄の心をえぐる言葉が発せられているのだ。

「悟浄、目を覚ませ」

もしかしたら、この言葉も奴にはこのまま届いてはいないのかも知れない。だが、呼びかけない訳にはいかない。何とかして、ここから連れて帰らなくては。

「悟浄!悟浄!」

何の反応も無い。今の悟浄はまるで、魂の抜け殻のようだった。三蔵の目の前にいる悟浄は、この意識の核と言うべき存在だ。それが完全に壊れてしまっているのなら、もう悟浄を目覚めさせる手立ては無い。
周りは、もうどれくらいの数になったのか、三蔵たちが口々に悟浄を責めている。三蔵には、この幻影を消すことが出来ない。悟浄が自ら追い出すしかないのだ。

三蔵は悟浄の背後に座り、体ごと抱き込んでやった。

「もう、遅いのか‥?お前には、もう俺の声は届かないのか?」

周囲の騒音で自分の声でさえうまく聞こえない。だが三蔵は、敢えて低く抑えた声で、悟浄に語りかけた。聞こえるはずの無いその声に、悟浄の瞳が揺らめいた事にも気付かずに。

「一緒に、いてやるよ悟浄‥‥最期まで」

ここに入ってからどれくらいの時間が経ったのだろう。八戒と悟空があの小銃を使うか、そのまま眠ったまま生き永らえさせるか。
どちらにしても、悟浄を連れて帰れなければ、自分も戻るつもりはない。

悟浄の瞳に生気が戻りつつあることに気付かない三蔵は、目の前にある首筋に顔をうずめ、呟いた。

 

「‥‥愛している」
 

 

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