「アイツが、悟浄をこんな目にあわせたんだ」
アイツとは、言うまでも無く栄泉のことである。
「まだ、そう決まったわけでは」
限りなくクロに近いが、まだ断定するのは早すぎる。八戒はたしなめる様に言ったが、悟空は譲らなかった。
「アイツだよ」
「何か、心当たりでもあるのか」
「さっき外で、悟浄の叫び声が聞こえた時、アイツ、笑ったんだ」
悟空は思い出していた。つい先程の、悟浄の声。思わず耳を塞ぎたくなるような悲しみを含んだ叫びに、八戒と自分はおろか、周りにいた僧侶たちさえ狼狽し、どよめきたった。
しかし、その中でたった一人、栄泉だけは違っていた。
作業に直接参加していなかった栄泉は、かなり離れた所に立っていたのだが。こらえきれないように、その口元を歪めたのを、悟空は見逃さなかった。
その時は、その笑みの意味は分からなかったが。
「見間違いなんかじゃない。悟浄の声が聞こえた瞬間、絶対楽しそうに笑った」
恐らく、驚異的な悟空の視力に気付かず、油断していたに違いない。
――栄泉!あの野郎!
とっさに部屋を飛び出そうとした三蔵の前に、八戒が立ち塞がる。
「どけ、八戒」
「駄目です。今の貴方は冷静さを欠いている。そんな状態で乗り込んでも、相手の思うつぼです」
「いいから、退け!」
チャキ、と小銃を取り出し、八戒に向ける。だが八戒は引かなかった。三蔵の体から発せられる殺気は、会った瞬間に栄泉を殺しかねない程の凄まじいものだ。ここは寺院で、三蔵は曲がりなりにも僧侶である以上、そんなことはさせられない。
第一、悟浄に何をされたかも分かっていない状態なのだ。今、栄泉を殺してしまうわけにはいかない。
八戒が、自分が行くと申し出ようとした時、ノックの音が不意に響いた。
失礼いたします、と顔を覗かせたのは――――栄泉だった。
「先程大きな声がしたようですが‥‥いかがされま」
最後まで言葉を続けることは出来なかった。三蔵が、手にした小銃の台尻で、栄泉の顔を殴りつけたのだ。八戒にも悟空にも、止める暇の無いほどの早業だった。
「三蔵!」
思わず声をあげた八戒に、横顔だけで返事をする。
「心配すんな。殺しゃしねぇよ、今はな」
その声を聞いて、八戒は、自分の取り越し苦労を知った。大丈夫だ、三蔵は。自分のすべき事を忘れていない。少なくとも、すぐに栄泉を殺したりはしないだろう。
冷静さを欠いていたのは自分の方かもしれない、と八戒はモノクルを直す振りをして口元を緩ませた。頬を抑え、ひいひいとうめく栄泉の前にしゃがみ込む。
「悟浄に何をしたんです?」
「な‥‥何のお話ですか?私は何も‥」
「ごちゃごちゃ抜かしてねぇで、さっさと答えろ。10秒だけ待ってやる」
小銃を向ける三蔵を怯えた目で見上げる栄泉が、がくがくと震えながら懐から包みを取り出す。
「こ、これを‥‥」
「何です?」
無造作に受け取り中身を確かめようとした八戒に、悟空の鋭い声が飛んだ。
「!気をつけて八戒!その匂い!あん時悟浄に付いてた匂いだ!」
「!」
あの時。そう自分たちが悟浄から目を離してしまった時。確かに悟空はそんなことを――。
「八戒‥‥」
三蔵の声が聞こえる、だが体が動かない。これは――
その時、悟空が動いた。八戒の手からその包みを奪い、窓から外へ投げ捨てる。
「八戒!三蔵!しっかりしろよ、二人とも!」
体を揺すぶられて、二人は自分たちがあやうく意識を奪われる所だったと自覚した。先程の包みに入っていたのは、幻覚作用のある香に違いない。
「貴様‥‥!」
栄泉の胸倉を掴み上げて、三蔵が睨みつける。悟浄の意識も同じように奪い、何らかの術をかけたのだ。
「残念、失敗しましたか。彼のことを忘れさせて差し上げようと思ったのですが」
目の前にいる男は、先程までの怯えた様子の僧侶ではなかった。不敵な笑みを浮かべている、尊大な男。この男の、素顔だ。
「もう一度聞く、悟浄に何をした?」
「夢を見て頂いているだけですよ。貴方に、決別を言い渡される夢をね」
「何だと‥?」
「前もって、暗示をかけておいたのです。彼にとって一番貴方に言われたくないだろう言葉を、夢で聞き続けるように。そのうち夢は現実を浸食し、現実の貴方の言葉をも設定された言葉に変換してしまう。絶望が夢と現実を支配した時、永遠の夢が始まる――」
何を聞かせたのか、大体の想像はついた。半狂乱になった悟浄の姿が脳裏に蘇る。怒りで、目の前の男を跡形も無く切り刻んでやりたい衝動を、三蔵は必死で抑えた。
「奴にかけた術を解け‥‥今すぐにだ」
「そんな方法はありません」
ガウン、と栄泉の頭を銃弾が掠める。三蔵の本気を悟ったのか、栄泉の顔色がさっと変わった。演技ではない、怯えの色が浮かぶ。
「何故なのです!何故あのように忌まわしい者の事など‥‥!」
「‥‥ラストチャンスだ。悟浄の術を解け」
「本当に、無いのです!」
僅かながら言葉が震えている。だが、容赦する気持ちなど無かった。
「そうか、なら死ね」
引き金を引こうとした三蔵の腕を、八戒と悟空が押さえつけた。
「駄目です三蔵!いくら貴方でもここで僧侶を殺してしまっては、只ではすみませんよ!」
「離せ!コイツは悟浄を!」
「駄目だよ!三蔵がコイツ殺しちゃったら、悟浄が目を覚ました時に、きっと悲しむよ!」
悟空の言葉に、三蔵の殺気が薄らぐ。緊張の糸が切れたのか、栄泉はがくりとうな垂れた。
「もう‥‥遅い。暗示は完成されてしまった‥‥。彼は夢を見続けるのです。その肉体が生命活動を停止するその時まで。彼を救うには、もう死なせてやるしかない――」
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