もう別の客がついているかも、と思ったが、その心配は杞憂に終わったようだ。彼は、まだそこに立っていた。ゆっくりと近づく。
「前金で3万。ホテル代はそっち持ちでノーマルプレイのみ。ゴム着用」
こちらが口を開く前に、条件を提示されて苦笑する。
「OK、それでいい」
名を尋ねると、凛、と答えた。そのまま、近くのホテルに案内される。いかにも、その目的で建てられたような場末の安宿。馴染みらしく凛はキーを受け取ると、振り返りもせず階段を昇っていく。俺は前払いのホテル代を払うべく、受付のジイさんに金を差し出した。
「あんた‥‥‥」
ジイさんにウィンク一つ投げかけると、チップを渡して教えられた部屋へと向かう。変わってない、この階段の軋み具合も。
部屋に入ると、凛の姿は無かった。どうやらシャワーを浴びているらしい。備え付けの冷蔵庫から缶ビールを取り出して一気に煽ると、デカいサイズのベッドに腰掛け、ハイライトに火を付けた。
思い出すのは、金髪の最高僧の姿。俺が過去に何をしていたか、もう感づいているだろう。何をしに出かけるかわかっていた筈だが、黙って送り出してくれた。仮にも自分の恋人が、他の奴と肌を合わせに行くのを見送らされたのだ。腹が立たない筈はない。傷付けてしまった、と思う。許されない、とも思う。それでも、放っておけなかった。このままにしておくことは出来なかった。
俺は2,3度頭を振ると、煙草をビール缶にねじ込んだ。
キィ、と浴室のドアが開く。
バスローブを羽織った凛は俺を見て、何故か少し驚いたような顔をしていた。
「じゃ、まず前金。‥‥はい、毎度。シャワー浴びてきたら?」
「いや‥‥もう済ませてきた」
「ヤル気満々だねお兄さん。じゃ、はじめよっか?」
跪いて俺のボトムのボタンに伸ばしてくる手を掴み、俺は口を開いた。
「その前に‥‥話していいかな。昼間、果物を君に渡したのは、俺の連れだ。けど、誤解しないでやって欲しいんだ。あいつは、君を憐れんだわけでも、蔑んだわけでもない。ただ‥‥」
「聞きたくないね」
ぶっきらぼうにはき捨て、離れようとしたが、俺に腕を掴まれていて適わない。
思ったとおりの反応。悟空の行動がいかに彼の自尊心を傷付けてしまったかがわかる。
「頼むから‥‥聞いてくれ。あいつは、お前さんに食べ物を恵んでやりたかったんじゃない、ただ、手を伸ばしたかったんだ」
「手?何言ってんの、あんた」
「あいつは、長い間一人で、ずっと一人で‥‥その時、差し伸べられた手が、嬉しかったんだと思う。あいつを孤独から救った手が、何よりも大事なものになってるよ、今でも」
浮かぶのは、俺にとっても大切な人。でも、今俺はそいつを裏切ろうとしている‥‥思わず暗い方向に沈んでいく思考を、無理矢理引き戻した。
「だから、人に手を差し出せば、きっと喜んでくれると信じてる。純粋なんだ。純粋な――ガキなんだ。自分が好きな食いモンを渡したら友達になれるって、馬鹿みたいに信じてる、どうしようもなく真っ直ぐな子供なんだ。許してやってくんねぇか?」
伝わるかどうかはともかく、言わずにはいられなかった。悟空の気持ちを誤解されたまま、ここを離れたくはなかった。
「で?あんた‥それを言うために俺を買ったの?」
未だ冷たい光を眼に宿したままの凛。このまま引くわけにはいかない。俺は、ずっと掴んでいた彼の腕を引き寄せた。
「まさか。俺は客だ。‥‥もちろんお前さんを抱きにきた」
「あ‥‥あぁっ‥‥んっ」
凛のものを口に含み、舌を使って愛撫する。指は胸の飾りを弄び、後腔の中をかき回す。感度のいい体だ。さぞ固定客も多いだろう。
「はあっ‥‥あ‥も、いい加減に‥‥来てよっ‥‥なんで‥俺ばっかり‥‥ああああっ!」
さっきから俺の舌と指でイカされっぱなしの凛が、何度目かの絶頂を迎えた。俺は黙って体を起こす。急に体を離した俺に、凛が荒い息のまま不信そうな目を向けた。
「悪ィ‥‥俺、駄目みたい‥」
「はぁ!?」
凛が俺の股間に目をやった。俺のものはくったりしていて‥‥立ち上がる気配もない。
「何なんだよあんた‥‥インポか?」
「いや違う!筈なんだけど‥‥」
「じゃ、俺がやってやるよ」
「いやいい、いいって!もう、疲れただろ!?」
「客の方が疲れさすほどサービスしてどーすんだよ!」
思わず顔を見合わせた俺たちは、どちらからともなく吹き出した。
それから二人で、ベッドに転がったまま話をした。凛は、医者を目指していて、学校へ通うための金を貯めているらしい。自分で勉強もしているのだと。誰にも言ってないんだ、内緒だぜ?と、ようやく年相応の笑顔で笑う。少し安心した。
と、不意に俺の髪に手を伸ばす。
「声かけられた時には暗くて気付かなかったけど、赤いんだね、あんた‥」
「ああ、まあね」
「‥‥‥俺、あんたの事、聞いたことある‥‥悟浄」
「‥‥そ、っか‥‥」
俺の吐き出す紫煙を目で追いながら、凛はしばらく黙っていた。
「‥‥‥ね、あんた好きな人いる?」
「ああ‥‥いるよ。一緒に旅してる」
「その人、あんたがここにいるって知ってんの?」
「ああ‥‥ちゃんと知ってる」
気付いてるさ。賭けてもいい。
そして、また沈黙の時が流れる。凛は何かを考えているようだった。
「帰って」
「え?」
「やんないんなら、とっとと帰って。次の客取るんだから。言っとくけど、金は返さないからね。ほら、さっさと支度して!」
俺はベッドからほとんど蹴り出されるようにして追い出された。部屋から出る瞬間、凛の
「馬鹿だね」
という声が聞こえたような気がしたが、気のせいだったのかもしれない。
どーしよ‥‥‥‥。俺は宿の部屋の前で立ち尽くしていた。本当なら朝まで帰らないはずが、現在時刻は日付が変わってまだ間もない。こんな半端な時間に戻ったら三蔵起こしちまう。‥‥いや、そういう問題じゃねぇな‥‥。言い訳の出来ない行動を取ったのは俺自身。実際には未遂だったが、それはあくまで結果論に過ぎない。恋人を置いて、他の男を抱きに行ったのだ。どうののしられても仕方ない。
覚悟を決めて、ドアを開けようとしたその瞬間。
「何ボーっと突っ立ってやがるんだ、とっとと入って来い」
開けられたドアの向こうに、三蔵が立っていた。
「‥‥早かったな」
「え?あ、うん‥‥まあ、ね」
何か言わねぇと、ちゃんと言わねぇと、と頭では考えるのに、口に出るのは意味不明なことばかり。ええい、しゃんとしろ、俺!
「あの、‥‥さん‥‥」
「悪かった」
「!?」
―――な‥‥んだ?何‥‥で?三蔵が謝ってるんだ?謝るのは俺なのに‥‥。
「辛いことをさせてしまったな」
「何を‥‥言って‥るんだ?三蔵‥‥俺が‥‥勝手に‥」
頭がパニックを起こし、うまく言葉が続かない。
「八戒になじられた‥‥。どうして、行かせたのかと。恋人なら殴っても止めるべきだったと。‥‥悟空には泣かれた。自分のせいでお前が行ってしまって、俺たちが気まずくなってしまうと」
ああ‥‥八戒にも心配かけちまったな‥‥悟空も泣かせちゃったのか‥‥ごめんな、俺のせいで。
「だが、俺が悪いと思うのは、お前を止めなかったからじゃない。お前は、自分の信じるままに行動しただけだ。そうだろう?その心を殺してしまえばお前はお前ではなくなる。俺はそんな風にお前の枷になるつもりはない」
―――お前は、自身の生き方を貫け―――
三蔵の言葉が蘇る。そう言ったのは、確かに三蔵。
じゃあ、俺を‥‥許すのか?三蔵‥‥このまま、何もなかったことのように‥‥。
「俺は、何もしてやれなかったな」
三蔵の手が、俺の頬に伸びる。
「お前が苦しむのがわかっていて、何も出来なかった。他の方法を、一緒に考えてやることすらな。何も‥‥考えられなかった。お前が他の奴と‥‥そう考えると気が狂いそうだった。口ではお前の行動を理解してやってるようなことを言っているが‥‥今でもそれは消えていない。心の奥底ではお前を責めている‥‥!情けねぇ、俺は‥‥」
頬に添えられた三蔵の指が、微かに震えている。
「三蔵!」
思わず、俺は三蔵に抱きついていた。
「ごめん‥!ごめんな三蔵!!お前を苦しめて、八戒や悟空にも辛い思いさせた‥‥。けど、もしまたこんな事があったら‥、きっと俺は同じ事すると思う。誰を傷付けても、邪魔させない、たとえお前でも‥‥」
「悟浄‥‥」
「責めてくれよ!ずっと許さないでいてくれよ!そしたら俺は償える。俺、お前のこと傷付けたけど‥‥その傷を癒すのは俺でありたいと思ってる。勝手なこと言ってるのはわかってる。けど、俺は‥‥んっ!」
続きは三蔵の口内に飲み込まれた。すぐに舌が入ってきて、俺はそれを追うのに夢中になる。激しい口付け。まるで奪い合うような。息があがるまで、求め合う。
「もういい、悟浄‥‥。もう何も言うな。俺だって、同じことだ。己のために、いつお前に辛い思いをさせるかわからない‥‥お互い様だ。お互い、だからこそ惚れたんだ」
「三蔵‥‥」
もう一度、唇を重ねる。自分のカラダが火をつけたように熱くなっているのがわかる。さっきは全く反応しなかった俺自身が熱を持ち始めているのを感じた。欲しくて欲しくて、たまらない。俺たちはそのままベッドに倒れこんだ。
「抱いてくれ、三蔵」
「お前‥‥いいのか?その‥‥」
三蔵が何を言いたいのかわかる。俺にとって男に抱かれるという行為は、ビジネス以外では有り得なかった。その行為に嫌悪がないとは言わない。だから以前も三蔵の態度に戸惑った。お前は、ちゃんと察してくれていたんだな。でも、もうどうでもいい。何でもいいからお前の熱を感じたい。早く俺を満たして欲しい。お前が俺を抱きたいんならそうすればいい。
「いいよ、お前の好きにして」
その言葉を合図に、三蔵が俺に覆い被さってきた。
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