そして全ては始まった(3)

次の日目覚めたのは、もう太陽がかなり高くのぼった頃だった。

「おはようございます、悟浄。僕たちはお先に朝食頂いちゃいましたよ。えーっと、三蔵はまだお休みですか?」
「ん〜、もうちょっと寝かしてやって。あいつ、俺たちと違って体力ねえから」

親友のいつもと変わらない笑顔で迎えられた朝。他の宿泊客はとっくに出立したのだろう、宿の食堂には俺たち二人だけだった。何か違和感を覚えたような気がしたが、とりあえず、そのままテーブルにつき置かれたパンを取る。八戒が、コーヒーをそっと差し出す。いつもと変わらない朝だった。そう、次の八戒の言葉を聞くまでは。

「おめでとうございます、悟浄」
「んー?」
コーヒーをすすりながら、寝ぼけた頭で適当に返事をする俺に、緑の眼の友人はにこやかに告げた。
「いやですねえ、とぼけちゃって。三蔵ですよ。想いが通じたんでしょう?」
 

 

ぶっ
 

 

俺は口に含んだコーヒーを、思いっきり吹き出していた。
「すみません!大丈夫ですか!」
「お・お・おまっ、ゴホッ、何で、ンなこと」
驚きのあまり、むせながらしどろもどろになる俺に、さらに追い討ちをかける。
「あれだけ大声で言い争ってれば、嫌でも聞こえますって。大丈夫ですよ、悟空はちゃんと眠っていましたし」

‥‥‥‥そーゆー問題か?‥‥

そういえば、猿がいない。ゴホゴホと潤んだ眼で周りを見渡す俺の意図を察して、
「悟空なら裏山に美味しそうな実がなっている木を見つけたとかで、出ていきましたよ?」
と教えてくれた。もちろん、俺のこぼしたコーヒーの後始末も忘れない。

相変わらず、聡いやつだ。別に隠すつもりはなかったが、こんなに早くバレるとは思わなかった。確かに、大声で怒鳴りあったりしてたし‥‥まあ、当然と言えば当然か。

「あ」
それでか。ようやく先程感じた違和感の正体に思い至る。八戒と悟空が、先に朝食を済ませていた事。あの2人は余程のことが無い限り、三蔵より先に朝食をとるような真似はしない。特に八戒は、どんなに自分が朝早く起きたとしてもそれは守っていたはずだ。
だが、今日は三蔵は当分起きてこないだろうと判断したわけだ。連日の疲れに加え、夕べは夜中にあれだけ大騒ぎしたのだ。おそらく、今日の出発は無理だろう。

途端、夕べの顛末を思い出して―――――俺は一人赤くなった。
‥‥‥‥なんか俺、すごい恥ずかしいこと言ってなかったか?確か、『怖い』だの『我慢してた』だの!しかもはなっから『俺と三蔵法師とどっち取る?』みたいな‥‥うわ!最低!
おまけに泣いてるし!‥‥いや‥‥それはお互い様なんだけど、なんか恥ずいだろ。大の男が泣き喚いて『怖い』って連発して――――え?

‥‥‥どうしよう‥‥俺‥‥言ったのか?あいつに?『なくすのが怖い』って?
俺は愕然とした。

‥‥‥どう思っただろう、三蔵。きっと、あいつの方がその想いは強い。
あいつの大事なお師匠様。たった一人の失いたくなかった人だと、夕べあいつも言っていた。怖くないはずないのに。それでも俺に手を伸ばしてくれたのに。なのに、俺は自分だけわめいて‥‥あいつに甘えた。
最低だ、俺。

「なあ‥‥八戒」
「はい?」
「俺は‥‥ガキだな」
「‥‥悟浄?」
「俺は、ガキだ」

それきりまた黙り込んだ俺に何も聞かない八戒の気遣いが、今は嬉しかった。

手にしたカップの中で揺れるコーヒーを見つめながら、あいつの言葉を思い出す。
『俺と共にあって欲しい』と求められた。そして『好きだ』とも。『嫌いじゃない』ではなく『好きだ』と告げられた。言葉の少ないあいつにとって、どれほどに重い言葉だろう。

初めて聞く、あいつの本心。それが嘘ではないと素直に信じられる。
あの時、確かに感じた。まばゆいばかりの黄金の光を。純粋で高貴な、あいつの魂の色を。その輝きがお前の隣に俺を導いてくれる。

立ってみせる。自分の力で、お前の隣に。―――それが、俺だろ?
そして俺は、気付いた。あいつに誓った『覚悟』のために、今の自分に一番必要なもの。

―――――俺は、強くなる。俺が、俺であるために。
 

 

 

「いやあ、それにしても意外でしたよね」

少し沈んでしまった空気を一掃するかのような、八戒ののんびりした声。
「だって、まとまったら、てっきりアレになだれ込むのかと思ってたんで‥‥。ちょっと心配してたんですよ。だってほら、あーゆーときの声ってやたら響くじゃないですか?いきなり最後まで突っ走られたら、もうどうしようかと‥‥。朝まで眠れないんじゃ、宿を取った意味ないですもんねぇ。おかげ様でよく寝れちゃいましたけど‥‥どうしてやらなかったんです?ああ、もしかしてどっちが下になるかが決まらなかったとか?」

ガタン!

あはは、と笑う八戒の前で、俺はテーブルに突っ伏した。
「なっ、何言ってんだ!!」
「あれ、おかしなこと言いましたか、僕?あっ、ひょっとして‥‥!もう既にやっちゃったとか?だとしたら、気を使ってくれたんですね、煩くしないようにって‥‥」
「!!勝手に決めんな!!!なんにもしてねぇ!!!!」
「そんなムキにならなくても‥‥冗談ですよ、冗談」

‥‥‥お前の冗談は笑えねぇ‥‥‥‥。
どこまでもサワヤカな八戒の笑顔の前で脱力した俺の耳に、食堂のドアが開く音が届いた。

 

 

「あ。おはようございます、三蔵」
「ああ」
「疲れはとれましたか?ああ‥まだ顔色が悪いですね。次はいつ街に入れるか分かりませんからもう1泊して少しゆっくりしませんか?ジープも休ませたいので‥‥」
「‥‥わかった。飯食ったら、もう一度寝る‥‥起こすなよ」
「はい」

繰り広げられる会話の中、俺は顔が上げられなかった。一体どんな顔して会えばいいんだよ?何て言やいいんだよ?とりあえず、赤くなんな!頑張れ、俺!

俺の胸の内を知ってか知らずか、三蔵は俺の後ろの席に腰掛けた。
「どうしたんです?なにもそっちのテーブル使わなくても‥‥。料理、取りにくいでしょう?」
奴のコーヒーを入れてやりながら、八戒が尋ねている。
「‥‥此処でいい」
背中あわせに感じる、三蔵の気配。もしかして、お前も照れてる?
今、こいつがどんな顔しているのか無性に見たくなって、こっそり背後を盗み見る。すると、ちょうど振り返った奴とばったり視線がかち合った。心臓が、跳ね上がる。

「あ‥と‥‥おはよ、三蔵‥‥」
「‥‥メシ取れ。少しでいい」
「お、おう」

どこかぎこちない会話を交わす。見ればコーヒーポットを手にしたまま、俯く八戒の肩が震えている。八戒!お前笑いすぎだろ!
気恥ずかしさだけが、部屋に充満していった。
 

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