そして全ては始まった(2)
「三蔵」 声をかけられて、俺は自分がぼうっとしていたことに気が付いた。一気に自分の胸のうちを吐き出して、気が抜けていたらしい。 そんな俺を見て、悟浄は笑みを浮かべた。穏やかな笑み。吸い寄せられるように見つめると、ふっと視線を外された。今更ながら、自分が奴に告げた事の意味を思い、知らず、鼓動が早くなる。 「今なら、まだ大丈夫だけど」 「?」 言われた意味が理解できず、訝しがる俺の視線を感じたのか、奴は言葉を続けた。 ‥‥‥何だと。俺は静まっていた心が再びざわめき立つのを感じた。 気持ちを受け入れてもらえないのは仕方がない。嫌がるこいつに無理矢理自分の気持ちを押し付けるつもりは毛頭ない。(だからといって、すんなり諦めるつもりもないが) だが、今こいつが言った事はそうではない。俺の気持ちを拒否する以前の問題だ。 「‥‥ふざけんな」 怒鳴り散らしたい心を抑えて、ようやく搾り出した声は、怒りのあまりか自分でも滑稽なくらい震えていた。 悟浄は目を閉じ、ひとつ大きく息を吐き出した。相変わらず笑みを浮かべている‥‥‥何笑ってやがんだ、こいつは。何笑いながら‥‥。 「お前、自分が何を言ってるかわかってる?」 気持ちが伝わっていないのか?どう言えば本気だと信じてもらえるんだ? 俺の心の葛藤を余所に、悟浄がゆっくりと目を開けて俺へと向き直る。 「悟‥‥」 「そんなことは‥‥‥」関係ない、と続けようとした俺を片手を上げて奴が制した。 「旅してる間は、まあいいよな。‥‥時々宿に泊めて貰えなかったりするぐらいで、別段支障はねーよ。けど、この旅が無事に終わったとしてどうよ?お前は寺に帰って三蔵としての責務を果たす。だよな?まあ、それでも時々会うくらいは何とかなるよな、寺のじいさん達の目を盗んでさ」 けど、と悟浄は続けた。 「いつか必ず来るんだよ、俺か、『三蔵』の称号かを選ばなきゃならない時が。上から命令があるかもしれねぇし、寺の坊主たちや、下手したら檀家から突き上げを食うかもわかんねぇ。あ、そうだ。お前の縁談なんてのもあるかもな。檀家の有力者の娘とかとさ。ああゆーのって、結構本人の意思お構いなしじゃん?」 捨てられないっしょ?お師匠様から貰ったものだもんね。 「誤解すんなよ。別に自分のことを卑下してるつもりはねーし‥‥お前の本気を疑ってる訳でもねーよ。けどな」 「それが、現実だ」 続けられた声が、静かな部屋にやけに大きく響いたように感じた。
俺は奴から目をそらさずに、ようやく口を開いた。 さっきから悟浄の話を聞いていて、気付いたことがいくつかあった。一つ目は、こいつが自分の気持ちを口にしていない、ということだ。 長々と自分たちの立場についての話をしたのは、こいつもある程度俺と同じ気持ちであって、踏み込むのに躊躇いを感じているからだ。 「それでどっちを選べばお前は満足なんだ?お前か?『三蔵法師』の称号か?」 笑みを浮かべていた奴の口元が、わずかに揺れる。 「笑わせんな。例えてめぇを選んだところで、どのみち俺から離れるつもりなんだろうが。自分のせいで俺が『三蔵』でなくなったのを気にしてな。自分の弱さ、人のせいにしてんじゃねえよ!」 今でも鮮明に思い出せる。自分が何よりも大事にしていた、守れなかったあの人。 「‥‥確かに俺にとって『三蔵』は特別の意味を持つものだ。先代の形見だからな。だがな、それを枷にして今大事なものを見失うほど、落ちてねぇんだよ!甘く見んな!」 悟浄の顔に張り付いていた笑顔が、すっと消える。 「悟浄、俺を見ろ」 二つ目に気付いた事。こいつは恐れてる。おそらくは俺と同じ痛み。大きすぎる、喪失への恐怖。手にしてしまえば、失うことが何よりも怖くなる。 「人がせっかく、我慢してんのに‥‥諦めようと思ってんのに‥‥」 こいつもかなり混乱しているらしい。自分が何を言ってるのか気付いてない。ほとんど、というよりまんま告白じゃねーか。 「悟浄‥‥」 言ってるじゃねーか‥‥。ようやく自分の発言の意味に気付いたらしい悟浄は、全くフォローになっていないことを言い出した。馬鹿だな‥‥こいつ、深みに嵌ってやがる‥‥。 本当は、気付かないふりをしてやりたかったが。 「なら、何故泣く?」 初めて自分が泣いていたことに気が付いたようだ。ゴシゴシと顔を擦る。 「起こるかどうかもわかんねえ先のことなんざ、気にしてんじゃねぇよ」 「先のことじゃねぇよっ‥‥!今だって‥今だって怖ぇよ!毎日妖怪たちと闘って‥もし、お前に何かあったらって思うとどうしようもなく怖ぇんだよ。今でさえこんななのに、これ以上お前の存在がデカくなっちまったら、俺はどうすりゃいいんだよ?お前がいなくなったら俺は壊れちまう!怖えんだよ!お前をなくすのが!もう、沢山だ!大事なものを失うのはもう嫌なんだよ!もう‥もう‥!」 ‥‥‥‥‥‥今、嬉しいと言ったらきっとこいつは怒るだろう。 「それで‥‥お前はどうしたいんだ?俺から離れたいのか?言っとくが、今までどおりの関係で旅を続けるのは無理だ。もう、お互い自覚しちまったモンを元には戻せねぇだろ。選択肢は2つしかない‥‥離れるか、受け入れるかだ」
そして静かに、悟浄の出す"答え"を待つ。
どのくらいそうしていたのか、悟浄がゆっくりと顔を上げ俺を見据えた。何かを決意した光を眼に宿している。 「三蔵。お前はどうなんだよ?俺は、お前を失うのは嫌だ。けど、自分から離れるなんてことも、もう出来そうにねぇ。三蔵、俺は覚悟を決める。俺はお前の隣に立っていたい。対等に生きていきたい。だから俺はもう自分の出生のことでお前に遠慮すんのは止める。たとえどんなことがあっても、離れねぇ。そのリスクを背負う覚悟がお前にあるのか?それが無いなら中途半端な気持ちは迷惑だ、二度と俺に近づくな」
「馬鹿が。そんなこと今更確認するまでもねえんだよ。‥‥‥大体な」 俺だって驚いてるさ、自分がこんなに他人に執着する日がくるなんてな。
「悟浄」 口調をあらためた俺の呼びかけに、奴はがらりと表情を変えた。真剣な面持ちで俺の言葉を待っている。本当に飽きない奴だ。 「俺は今まで失いたくないと思った人は一人しかいない‥‥先代の光明三蔵‥‥俺の師匠だ。だが、お前は、お前とは‥‥失いたくないというよりも、共に生きていきたい、と思う。俺は、自分のままにしか生きられない。前にしか進めない。悟浄‥お前には共にあって欲しい。俺と共に、お前自身のままでな。お前が自分を曲げないと隣にいられないと言うなら、必要ない。俺が欲しいものこそ、そんな中途半端なものじゃない。お前は、俺の側で自身の生き方を貫け。誰に何を言われようと、何をされようと。例えそれがどんなに辛い事でもだ」 悟浄の眼が眩しげに細められ、今まで聞いたことのない、柔らかな声で名を呼ばれた。 気付けば、俺の頬も濡れている。人のこと言えねぇな、俺も。けど、伝わったか?俺の本気。お前の涙が、俺に伝えてくれたように。
「覚悟決めろよ?馬鹿河童」
もう、迷わない。 |
泣くは喋るは、の三蔵様。悟浄さんも情け無し。皆様の怒りの声が怖いです。
‥‥‥ご意見・ご感想、お待ちしております。
でも、あまり責めないでやっていただけると嬉しいです。