そして全ては始まった(1)
それは、衝動だった。
だが、今。 自分でも理解できなかった感情を、自ら発した言葉によって、ようやく俺は自覚した。
「ベッド猿に取られちゃったから、俺と交代ね」 俺も奴も、悟空を責めなかった。ここしばらくの強行軍で色々なことを我慢させてきたのだ。自分たちが静かに疲れを癒すのと同じように、悟空は騒いでストレスを発散する。それがわかっていたからだ。 だが、何故、八戒ではなく悟浄がこっちに来たのか気になった。俺からどんな態度を取られてもこいつは特別気にした風でもなく振舞っていたが、それでも進んで俺に近づいてくるとは考えにくい。
早々に床についたはずが、俺はなかなか寝付けなかった。俺が何度も寝返りをうつ気配に気付いたのか、隣のベッドの寝息がふっと止む。どうやら起こしてしまったらしい。 暗闇に慣れた眼に、奴が半身を起こし煙草を咥える姿が入ってきた。 俺は、ふと気付いた。こいつが部屋で煙草を吸えと言った理由。 『俺に罪悪感を持たせないように‥‥か』 甘さなのか、優しさなのか。こいつはいつもそうだ。八戒にも、悟空にも、冷たい仕打ちを受ける俺にも、‥‥‥‥そう行きずりの女にでさえ‥‥‥‥ 『こんな節操のない女好きのエロ河童、どうでもいいじゃねえか?』 隠したはずの感情を見抜かれていたことと、答えの出ない問いにイラだった俺は、マルボロを乱暴に灰皿に押し付けた。 不意にベッドサイドの明かりが灯されて、俺は面食らう。申し訳程度の光は部屋の隅まで届かず、ただ、同室者の赤い髪をほのかに浮かび上がらせた。
「何?三蔵」 唐突に掛けられた悟浄の言葉に、戸惑った。 「‥‥何だ」 「じゃあ言わせて貰うけど…何か俺に言いたいことでも?最近見てるっしょ、俺のこと」 「ハッキリ言やぁいいんだよ。俺んこと気に入らないってな。ここんとこお前、俺が何やっても文句つけてくるよな。毎日毎日不機嫌そーなツラして睨んでよ。何?そんなに俺のこと嫌いなわけ?けど命令だから仕方な〜くお慈悲でお側に置いて下さってるってか?そうだよな、俺なんか大して役にたってないし?我慢することないぜ?三仏神にでも頼んだらどうよ!こんな役立たずのお供はいりませんてな!」 口に出しているうちに感情が高ぶったのだろう、最後の方は痛いほどの叫びだった。 ぐるぐると思考が回転する。最近の自分の態度で、まさかそこまで思いつめていたとは思わなかった。そして気付く。悟浄はずっとそれを言いたかったのだと。だから今夜もわざわざ同室になって話す機会を伺っていたのだ。 「‥‥悪ィ。どなったりしてよ‥‥ちょっと頭冷やしてくるわ。先、寝て」 ‥‥‥‥このまま、行かせるわけにはいかねぇ‥‥‥‥ 思考は全くまとまらず、自分がどうしたいのかもわからなかったが、悟浄を行かせてはならない、それだけはハッキリとわかった。急ぎ立ち上がり、扉の前に立ち塞がる。 出てくるのはいつもの科白。ちがう、はずだ、こんな事を言いたいんじゃない。 反論できなかった俺に、容赦なく言葉を浴びせ掛ける。俺の頭の中は相変わらずぐるぐると回りっぱなしで、うまく言葉が出てこない。
思わず奴のシャツの胸倉を掴み上げて叫ぶ。 「ムカつくんだよ!辛けりゃ辛いで最初っから態度に出しやがれ!ウジウジ溜め込んでんじゃねえよ、クソ馬鹿が!人が何やってもヘラヘラ笑いやがってウゼェんだよ!そっちこそ俺なんか必要ねぇって思ってんじゃねーのか?どうでもいいと思ってるから適当に笑って適当に優しくして誤魔化してるんじゃねーか!仕方なくついて来てるのはそっちだろうが!てめぇがそんなだからイラつくんだよ!」 「な‥‥な‥‥」 あまりの俺の剣幕に、悟浄は言葉を発せないでいる。我ながら、身勝手なことを言っていると思った。だが、止まらない。
「てめぇが過去に浸るのは勝手だがな!」 自分の、今までの悟浄に対する仕打ちを棚に上げ、俺は心の底から湧いてくる怒りを抑えることが出来なかった。 許さねぇ!許さねぇ!許さねぇ!俺はこみ上げる衝動をそのまま口にしていた。
怪訝そうな顔で、こちらを見ている。何を言われたか理解できないのだろう、訝しげにひそめられた眉。薄暗い照明に照らされたその顔はいつもより幼くて。 一方俺は、自分の発言に驚いてはいたが、冷静だった。渦巻いていた思考が一気にクリアになったような感じ。さっきまでの理解できないイラつきが嘘のように無くなっている。 そうだ、俺は。 こいつが俺だけではなく、誰にでも優しくする姿にムカついていた。
――――答えを、見つけた。
不思議と戸惑いも無く、俺はそれを受け入れる。自覚してみて初めて、その想いが疑問を挟む余地のないほど深いものだと知る。 そして、未だ俺の発言の真意を掴めず悩むこいつに呼びかける。穏やかに、ただ心のままに。 「悟浄」 顔を上げ、戸惑ったような視線を寄越した。 「好きだ、お前が」
そしてすべては始まった。 |
始まってしまいました。うちの二人の物語はここからスタートします。
しかし‥‥三蔵様がこんなにお喋りになる予定ではありませんでした。
この、中途半端な長さもどうよ‥‥という感じですが、お許しください。