そして全ては始まった(1)

それは、衝動だった。
「好きだ、お前が」
そう告げると、驚いたように開かれた紅い瞳が俺を見つめてきた。


自分でも分からなかった。何故、この男のことが気になるのか。
悟空とメシの取り合いをする姿にイラつき、八戒に小言を言われるのを見てはあきれ、自分にからんでくる手をウザいと思った。
それなのに、目が離せなかった。自分がどうしたいのか分からないままイラついて、気が付けば必要以上にこの男に冷たくあたる自分がいた。

だが、今。

自分でも理解できなかった感情を、自ら発した言葉によって、ようやく俺は自覚した。
 

 


そして全ては始まった
 

 


久しぶりに入った少し大きめの街。結構人の出入りもあるらしく、
「2つしか部屋空いてないそうですが……いいですか?」
街に到着したのは日も暮れた後。やっとの思いで転がり込んだ宿で、自分のせいでもないのに申し訳なさ気に告げる八戒に、皆頷いた。とにかく休みたかった。ここのところ刺客の襲来と野宿が続き、全員疲れていたのだ。
いや、ひとり猿だけは元気だったか。

今夜、同室になるはずだった悟空は、疲れきった年長組をものともせず、食事中も相変わらずのハイテンションだった。それどころか、八戒と悟浄にあてがわれたもう一方の部屋に押しかけ、騒ぐだけ騒いでそのまま寝入ってしまったのだ。
代わりに俺の部屋にやってきたのは悟浄だった。

「ベッド猿に取られちゃったから、俺と交代ね」
「騒いだら殺すぞ」

俺も奴も、悟空を責めなかった。ここしばらくの強行軍で色々なことを我慢させてきたのだ。自分たちが静かに疲れを癒すのと同じように、悟空は騒いでストレスを発散する。それがわかっていたからだ。
勿論八戒も理解していて、今頃悟空に毛布をかけてやったりしているのだろう。

だが、何故、八戒ではなく悟浄がこっちに来たのか気になった。俺からどんな態度を取られてもこいつは特別気にした風でもなく振舞っていたが、それでも進んで俺に近づいてくるとは考えにくい。
そう考え出すと、どんどん今夜の同室者のことが気になり始め、俺は思考を中断させるためにシーツを頭から被るようにベッドに潜り込んだ。
悟浄がこちらを見ているのを感じたが、気付かないふりをした。

早々に床についたはずが、俺はなかなか寝付けなかった。俺が何度も寝返りをうつ気配に気付いたのか、隣のベッドの寝息がふっと止む。どうやら起こしてしまったらしい。
「‥‥‥‥どーした三蔵、眠れねぇの?」
幾分ぼやけた声で悟浄が尋ねてくる。俺は僅かばかり罪悪感を抱いた。
「何でもねぇ。煙草吸ってくるから、てめぇは寝てろ」
感じた罪悪感などおくびにも出さず、冷たく言い放ち部屋を出ようとした俺に奴は言った。
「ここで吸えば?俺も吸うし」
別に否を唱える理由もなかった。
いつもなら、「てめぇの顔なんざ見ながら煙草が吸えるか」ぐらいは言ってしまったかもしれないが、やはり疲れのせいか部屋から出るのは億劫だった。黙ってベッドに腰掛け、マルボロに火を付ける。

暗闇に慣れた眼に、奴が半身を起こし煙草を咥える姿が入ってきた。
沈黙が部屋を支配している。
言葉の代わりに2種類の煙草の匂いが部屋を満たす。
――久しぶりの感覚。
こいつと二人きりでいるときは、いつもそうだ。
だが決して不快ではない。‥‥‥なかったはずだ‥‥‥‥最近のよくわからないイラつきが始まるまでは。
おかげで、最近はほとんど二人きりになることはない。

俺は、ふと気付いた。こいつが部屋で煙草を吸えと言った理由。
部屋を出れば当然また戻らなくてはならない。そうすれば気配に聡いこいつはまた目を覚ますだろう。だが俺は、奴がそれを嫌がってそう言ったとは思わなかった。

『俺に罪悪感を持たせないように‥‥か』

甘さなのか、優しさなのか。こいつはいつもそうだ。八戒にも、悟空にも、冷たい仕打ちを受ける俺にも、‥‥‥‥そう行きずりの女にでさえ‥‥‥‥
そこまで考えて、俺は最近自分を捕らえている思考に、また流されてしまった。

   『こんな節操のない女好きのエロ河童、どうでもいいじゃねえか?』
   『関係ないはずだ、他人が何をしようと俺には関係ない』
   『なのにどうして』
   『どうして、この男が気にかかる?』

隠したはずの感情を見抜かれていたことと、答えの出ない問いにイラだった俺は、マルボロを乱暴に灰皿に押し付けた。

不意にベッドサイドの明かりが灯されて、俺は面食らう。申し訳程度の光は部屋の隅まで届かず、ただ、同室者の赤い髪をほのかに浮かび上がらせた。

 

 

「何?三蔵」

唐突に掛けられた悟浄の言葉に、戸惑った。

「‥‥何だ」
「聞いてんのは俺の方だっつーの。何よ?」
「だから何がだと言っている」

繰り返される要領を得ない質問に、イラつきが増す。
俺は不機嫌な声を隠そうともせず、咥えられたハイライトの炎を写して光る紅い瞳を睨みつけた。

「じゃあ言わせて貰うけど…何か俺に言いたいことでも?最近見てるっしょ、俺のこと」
自分の体が硬直するのがわかった。

「ハッキリ言やぁいいんだよ。俺んこと気に入らないってな。ここんとこお前、俺が何やっても文句つけてくるよな。毎日毎日不機嫌そーなツラして睨んでよ。何?そんなに俺のこと嫌いなわけ?けど命令だから仕方な〜くお慈悲でお側に置いて下さってるってか?そうだよな、俺なんか大して役にたってないし?我慢することないぜ?三仏神にでも頼んだらどうよ!こんな役立たずのお供はいりませんてな!」

口に出しているうちに感情が高ぶったのだろう、最後の方は痛いほどの叫びだった。
それを恥ずかしく思ったのか、悟浄は口を閉ざすと視線を外した。忌々しそうに煙草をもみ消す。

誰がいらないって?誰が何を我慢してるって?何でそうなるんだ?

ぐるぐると思考が回転する。最近の自分の態度で、まさかそこまで思いつめていたとは思わなかった。そして気付く。悟浄はずっとそれを言いたかったのだと。だから今夜もわざわざ同室になって話す機会を伺っていたのだ。

「‥‥悪ィ。どなったりしてよ‥‥ちょっと頭冷やしてくるわ。先、寝て」
口を開かない俺の態度を肯定ととったのか、混乱する俺に奴は言い置いて、出て行こうとした。

‥‥‥‥このまま、行かせるわけにはいかねぇ‥‥‥‥

思考は全くまとまらず、自分がどうしたいのかもわからなかったが、悟浄を行かせてはならない、それだけはハッキリとわかった。急ぎ立ち上がり、扉の前に立ち塞がる。
「何処へ行く?」
「俺の顔見たくねーっしょ?朝までその辺ブラブラしてくるわ」
「単独行動は控えろと言ってあるはずだ」

出てくるのはいつもの科白。ちがう、はずだ、こんな事を言いたいんじゃない。
「ふ〜ん、一応まだ仲間だし?その命令は有効ってか?けっ、冗談じゃねぇ!」
また語気を荒げ始めた悟浄に、つられて俺の声も大きくなる。
「いいから、此処にいろ!」
「何でだよ!俺が嫌いなんだろ!?」
「誰がんなこと言った?勝手に決めるなバカ河童!」
「嫌ってないんだったら何だっつーんだよ!?」
「‥‥‥‥!っ」言葉に詰まる。
「ホレ見ろよ!今更取り繕わなくってもいーんだぜ?遠慮すんなよ!」

反論できなかった俺に、容赦なく言葉を浴びせ掛ける。俺の頭の中は相変わらずぐるぐると回りっぱなしで、うまく言葉が出てこない。


だが。
 
 

「どうせ俺なんか、ガキん頃から必要無ぇって言われるのには慣れてるからな!」
 
 
 
その瞬間。
血が、沸騰した。

 

 



「何ぬかしてんだてめぇ!」

 

思わず奴のシャツの胸倉を掴み上げて叫ぶ。

「ムカつくんだよ!辛けりゃ辛いで最初っから態度に出しやがれ!ウジウジ溜め込んでんじゃねえよ、クソ馬鹿が!人が何やってもヘラヘラ笑いやがってウゼェんだよ!そっちこそ俺なんか必要ねぇって思ってんじゃねーのか?どうでもいいと思ってるから適当に笑って適当に優しくして誤魔化してるんじゃねーか!仕方なくついて来てるのはそっちだろうが!てめぇがそんなだからイラつくんだよ!」

「な‥‥な‥‥」

あまりの俺の剣幕に、悟浄は言葉を発せないでいる。我ながら、身勝手なことを言っていると思った。だが、止まらない。
 

 

「てめぇが過去に浸るのは勝手だがな!」

 

自分の、今までの悟浄に対する仕打ちを棚に上げ、俺は心の底から湧いてくる怒りを抑えることが出来なかった。

許さねぇ!許さねぇ!許さねぇ!俺はこみ上げる衝動をそのまま口にしていた。
 

 


「俺の惚れた奴をおとしめるのは絶対に許さねぇ!」
 

 


「あぁ?何言ってんだ、この‥‥‥‥」
言いかけて、悟浄の動きが止まった。
 

 

 

 

怪訝そうな顔で、こちらを見ている。何を言われたか理解できないのだろう、訝しげにひそめられた眉。薄暗い照明に照らされたその顔はいつもより幼くて。
俺が掴んでいたシャツから手を離して一歩引くのを、奴は焦点の定まらない目つきでぼんやり見ていた。
何か言いた気に唇が動くが、言葉にならず視線を彷徨わせる。そして少し考え、また何かを言おうとしては止める、それを繰り返す。

一方俺は、自分の発言に驚いてはいたが、冷静だった。渦巻いていた思考が一気にクリアになったような感じ。さっきまでの理解できないイラつきが嘘のように無くなっている。
それは、衝動にまかせて出た言葉が真実だと言うことを示していた。

そうだ、俺は。

こいつが俺だけではなく、誰にでも優しくする姿にムカついていた。
こいつが本心を見せず、笑っている姿にイラついていた。


『何故、この男が気にかかる?』

 

 

――――答えを、見つけた。


 

 

不思議と戸惑いも無く、俺はそれを受け入れる。自覚してみて初めて、その想いが疑問を挟む余地のないほど深いものだと知る。
再び部屋を支配する静寂。ああ、やっぱり嫌じゃねえな。こんな状況なのに、二人きりの空間を喜ぶ自分は、おそらく相当沸いているんだろう。

そして、未だ俺の発言の真意を掴めず悩むこいつに呼びかける。穏やかに、ただ心のままに。

「悟浄」

顔を上げ、戸惑ったような視線を寄越した。
ゆっくりと口を開く。静かに、語りかけるように。今度はちゃんと想いをのせて。

「好きだ、お前が」
 


そしてすべては始まった。

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