それでも旅は続いてく(2)
(やられたな‥‥) 妖気を感じた時には身体の自由が利かなかった。痺れた身体を悟空に抱えられながらも、三蔵は銃を構える。 「さっきの食事ですね‥‥。迂闊でした」 次々と襲い来る妖怪たち。これだけの騒ぎにも関わらず、街の連中は誰一人姿を見せない。仕組まれていたのだ、何もかも。 「悟空、三蔵を連れて向こうへ。ここは僕が引き受けます!」 放たれた気孔が妖怪たちの身体を吹飛ばす。殊更に派手な光で、敵の目を引き付ける作戦らしい。八戒と悟空も三蔵と同じ食事を口にしていたが、そこは流石に普通の人間とは薬の効きが違うらしく、本調子とは言わないまでも三蔵よりはマシな状態だ。 「ん、気ィつけろよ八戒!」 大きな爆音が少しずつ遠ざかるのを気にしつつ、悟空は三蔵を抱えたまま路地裏を走る。 「だああっ!しつけーんだよっ!」 三蔵を背に庇いつつ、悟空は如意棒を振り回す。自然と大振りになる攻撃に、呼吸が乱れる。しかも三蔵の様子を気にしながらの不自然な体勢で、悟空は大きくバランスを崩した。 「わ!」 チッという舌打ちと銃声が響き、悟空に襲いかかろうとした妖怪の眉間には穴が開く。 「気ィ散らすな馬鹿!横から来るぞ!」 時間と共に少しは楽になったのか、やせ我慢か。三蔵の声は力強い。どちらにしても、庇われっぱなしを良しとしない姿は相変わらずだ。再び振り返る暇は無いが、背後からは威勢良く銃弾が妖怪たちにサービスされている。ここで悟空がドジを踏む方が、後々の事を考えると余程恐ろしい。 ―――うん、三蔵は大丈夫だ。 そう判断した悟空は、目の前の敵へと集中していった。
悟浄が目を覚ますと、そこは見慣れない一室の寝台の上だった。 (どこだっけ、ここ‥‥) ぼうっとして、身体が上手く動かせない。それでも何とか腕を持ち上げようとして、悟浄は自分の両腕が鎖で拘束されているのに気が付いた。じゃらりした独特の音は、普段自らの武器で聞きなれているものではあるが、今はいやに耳に障る。 『妖怪の狙いはあの坊さんだ。しばらく眠ってろ』 久し振りに出会った友人の顔が、ゆらゆらと蜃気楼のように思い浮かぶ。 (妖力制御装置、か) 部屋を見回すが、旧友の姿は見当たらない。鉛のように重たい身体を、のろのろと持ち上げるのにやたらと時間がかかった。手についた鎖は決して長くはないが、寝台に腰掛けるぐらいの余裕はある。悟浄の自由を奪うためというより、この場に止めておきたいという旧友の意思が伺えた。おかげで不自然な体勢を強いられずに済んだといえる。例え、それが的外れな配慮であっても。 目覚めてからずっと感じている気配が、徐々に近付いてくる。自分に薬を飲ませた旧友ではありえない、妖怪の気配。しかも、一人や二人ではないらしい。
何だかんだで追い回された挙句、三蔵は悟空ともはぐれ一人になっていた。 突然、轟音と共に放たれた銃弾が二の腕を掠めた。咄嗟に転がるように横へ飛ぶが、後を追うように次々と銃弾が打ち込まれていく。膝立ちになり反撃するべく銃を構えた三蔵の目の前に、一人の男が暗がりからゆっくりと姿を現した。 「‥‥成程、貴様の差し金か」 宿の人間に指図し、食事に薬を盛らせ、妖怪を手引きした。 「仕方なかったんだ。言う事を聞かないと街のみんなが殺されちまう。俺はこの町を守るために、」 無表情に、男の言葉を遮る。 「安全なところで眠ってる。これからは、あいつもここで暮らすんだ」 三蔵は鼻でせせら笑った。 「何に対して安全だ?妖怪か?悟浄には手を出さないよう、指きりでもしたってのか」 その小馬鹿にしきった物言いに、明らかに男はむっとしたようだ。 「自分の立場が判ってないみたいだな。ええ?三蔵法師様よ。ここにはあんたを奉る坊主連中も信心深いパンピーもいやしねぇ。尻尾振ってついてくるお供の奴らもやってこねぇ。あんたは一人なんだよ!」 その言葉が終わると同時に、男の手にした銃が火を噴いた。
銃弾は、三蔵の頬を掠めた。 「‥‥‥‥んなへっぴり腰じゃ、当たらねぇよ」 何度も何度も、繰り返される発砲。だが、銃弾は全て三蔵には当たらず、背後の壁にめり込んだ。全弾を撃ち尽くしてもなおカチカチと引き金を引く音が、空しく辺りに響く。 「人が人を殺すってのは、んな生半可なことじゃねぇ。‥‥‥何の覚悟も決めてねぇ奴が、粋がってんじゃねぇよ」 三蔵はおもむろに銃を下ろすと、ゆっくりと立ち上がった。逆に、男を見下ろす形となる。
「‥‥ちくしょう‥‥、畜生、畜生!畜生!!」 男が地面を拳で叩きながら喚くのを、三蔵は煙草に火を点けながら黙って聞いていた。 「なんで、アンタなんだ!」 男は感情を抑制できなくなったらしい。子供が癇癪を起こすように、掴んだ砂を三蔵めがけて投げつけている。 「悟浄はずっと一人だった!いつも奴の周りには大勢がいて賑やかだったけど、あいつは一人だったんだ。いつもな!」 男が支離滅裂な事を言っているとは思わなかった。悟浄がどんな生き方をしてきたか、三蔵にも大方は察する事が出来る。 「誰もあいつの心には入れない‥‥‥そう思ってた‥‥」 だから離れた。悟浄は誰のものにもならないと判ったから。だからこそ、諦めた。なのに。再会してみれば、孤独だった筈の男の心には、自分の見知らぬ男がちゃっかり居座っていた。 「なのに、何であんたなんだ!?俺の方が先にあいつに出会ってた!!俺の方が先にあいつに惚れたんだ!!なのに!!」 理屈抜きの、悲痛な叫び。 「‥‥‥それで?俺を殺せば悟浄がお前を受け入れると?」 びくりと男の身体が強張った。分かっているのだ、そんな事はあり得ないと。ただ、幻想に縋って現実から逃げようとしただけだと。 これが――――悟浄の惚れた男、か。 緊張のあまり、ごくりと男の喉が鳴る。 「悟浄はどこだ」 声を荒げるわけでもない問いに、まるで抗えない力で羽交い絞めにされたような感覚をもたらされ。
突然、男は三蔵に蹴り飛ばされていた。 「がっ!?」 何が起こったのか分からず目を白黒させている男のすぐ側で、響く銃声。混乱しきった頭で見回すと、何処からか飛んできた刃物が、今まで自分がいた場所に深々と突き刺さっている。男の顔から血の気が引いた。 「ボサっとすんな、立て!」 頭上から声が聞こえるが、男は足が震えて立ち上がれない。短い舌打ちと共に、男の目の前に白い法衣が立ち塞がった。 「見つけたぜ、三蔵法師ィ!」 悟空と八戒の目を逃れた妖怪の残党が、ようやくここまで辿り着いたらしい。 マズイな、と三蔵は一人ごちた。 「ひゃはははは!殺せぇ!三蔵一行も街の連中も皆殺しだぁ!」 一人の妖怪が手にしていたものを三蔵めがけて投げつける。かなり手前で地面に落下した丸いものが、ごろごろと三蔵たちの近くまで転がってきた。 「そんな‥‥待ってくれ、約束が違う!」 顔色を変えたのは、悟浄の友人の男だった。震える声で、それでも必死に言い募る。 「ああ〜?約束だぁ?知らねーなぁ」 妖怪たちの薄ら笑いに、男は愕然とした。 「一瞬でも夢見せてやっただろーが、街をてめぇのモンにするって夢をよぉ!てめぇに敵対してた幹部を殺してやったんだ、文句ねぇだろ!ぎゃははは‥‥!」 「は」の形に口を開いたまま、妖怪は静かになった。 「よくも、やりゃあがったな!」 妖怪たちの殺気が、これ以上ないほどに膨れ上がった。
「とっとと逃げろ!邪魔だ!」 腰を抜かしきっている男を庇いながら、三蔵が叫ぶ。実際、普段より格段に三蔵の動きは鈍く、妖怪たちの攻撃を辛うじて避けるのが精一杯だ。おまけに隙あらばと男にも仕掛けてくるので、倍の神経を使わなくてはならない。 「む、無理‥‥!ひぃい!」 自分に襲い掛かってきた妖怪の頭が目の前で撃ち抜かれるのを見て、男が悲鳴を上げる。 それでも、悟浄の友人だった。 紅い髪で顔を隠し、哀しげに笑う男が脳裏に浮かぶ。その瞬間、三蔵の頭からはひとつの選択肢が掻き消えた。 「きやがれ‥‥雑魚どもが」 男を背に庇ったまま。三蔵が口元に上せた笑みはどこまでも挑発的で。
四方から妖怪たちの長い爪が伸ばされれば、三蔵も無傷では済まない。 「ぎゃぁぁぁっ!!」 思わず耳を塞ぎたくなるような、絶叫。 「ちっ!」 三蔵は妖怪たちに背を向けると、再び男を突き飛ばしつつ自らも地面にダイブした。 「あーあ。だっせ〜俺‥‥。もちっとカッコ良く登場する筈だったのに‥‥」 妖怪たちが見上げれば、向かいの低い建物の屋根の上に、誰かが座り込んでいるのが見える。 「今のなんか、けっこー値の張る皿だと思うんだけどさー。もし怒られたら、お前らが弁償しとけよ?」 ニカッと笑った男の肩で揺れる、ほんの僅かの光量の中ですら見紛うべくもない深紅の髪。だが、それをじっくり鑑賞する余裕のある妖怪など、残念ながらこの場には居なかった。 「悪ぃけど、慣れたエモノが出せねぇから楽には殺してやれねぇわ。ま、勘弁しな」 未だ手首に残る妖力制御装置のおかげで、肉弾戦を余儀なくされている悟浄は凶暴な光を目に宿している。
「よぉ、三蔵様お元気〜?」 戦いの最中、悟浄は動かせる手で妖怪を殴り倒しながら三蔵に近付いてきた。 「‥‥‥‥」 返事代わりに一発、頭に拳を喰らわした。 「ってーな!何しやがる!」 額をくっ付けるようにして食って掛かる悟浄に、散乱する皿の破片を指差しながら、負けじと三蔵が怒鳴り返す。 「日頃の行いがよけりゃ、当たんねーよ!」 突然始まった言い争い。この隙にと襲い掛かろうとした妖怪は悟浄の拳と三蔵の銃の台尻を同時に顔面に叩き込まれる事になった。だが、悟浄は片手が動かない分、どうしても不自然な動きになる。三蔵の視線が、下ろされたままの悟浄の左腕に注がれた。 「‥‥手」 動く右腕を上げて見せると、じゃらじゃらと鎖が鳴る。 「‥‥‥馬鹿が。利き腕じゃねぇか」 感情を読み取らせない涼しい顔で、三蔵は弾丸を目の前の妖怪に撃ち込んだ。 「こ‥の、クソ坊主!人がせっかく心配して来てやりゃあ‥‥!」 口を開けば憎まれ口ばかり。だが、三蔵の動きが鈍い事は悟浄にはすぐに分かった。三蔵も薬を盛られたのだと察した悟浄の、体の奥底から湧き上がる怒り。当然の事ながら、その矛先は手近な妖怪たちへと向けられる結果となる。
|