あなたの側で眠りたい(8)

「気をつけて!道が荒れてますから!」

視界の悪い夜の山道を猛スピードのジープが駆ける。車体が大きく揺れるたびに、飛び出しそうになる悟浄の身体を悟空は必死で支えた。既に悟浄は自身の身体を自分の力で支えきれない状態だった。三人に焦燥が募る。

早く。一刻も早く。

八戒はアクセルをさらに踏み込んだ。
 

 

 

村人たちから情報を手に入れるとすぐ、三蔵たちは悟浄を連れ、薬があるという白連山に向かった。

『この状態の悟浄を動かせと‥‥‥』

出発前に漏らされた八戒の悔しげな呟きが、悟浄を除く三人の気持ちを代弁していた。
無論三蔵も同じ気持ちだった。出来る事なら、静かに寝かしておいてやりたい。だが、感染を恐れる村人たちが、それを許さなかったのだ。
どのみち殺気立った村人たちの中に、悟浄を置いていく訳にはいかない。それに何より、本人のたっての希望でもあった。

『行く』

荒い息の中吐き出された短い言葉に、有無を言わせぬ決意があった。
 

 

『終命花斑の出た鱗を食わせりゃあ、あるいは‥‥』

化け物退治と祟り―――三蔵たちは毛ほども信じてはいないが―――を引き受ける代わりに得た、疫病への唯一の対抗策。

『緑竜鼠の鱗は、硬い上にそのまま火にくべると破裂して炉を傷めるで、焼く前に剥ぎ取って捨てちまうだ。山に行きゃあ何ぼでも手に入るだ』

だが、但しと続けられた主人の言葉に三蔵たちは愕然となった。

『相性があるで。それが身体に合わんけりゃ、拒絶反応起こして死ぬっちゅう事もある。実際な、死んだ緑竜鼠の八割方は仲間の鱗を食って‥‥』

本能で薬を求め、感染したもの同士で鱗を食い合った結果、逆に命を縮めてしまうのだと。助かるものはほんの一握りなのだと。
悟空が思わず悟浄に目をやる。だが当の悟浄は取り乱した様子も無く、静かに主人の言葉に耳を傾けていた。
突きつけられたのは、諸刃の刃。だが、他に選択肢は無い。このまま何もしなければ、間違いなく悟浄は死ぬのだ。

『運だで。一か八か―――効くか死ぬかだ』
 

だが、それでも。
可能性がゼロではないのならば、進むだけだ。

ただひたすらに、木々の茂った暗い道をジープは走っていく。
 

空では、薄い雲に覆われた月が鈍い光を放ち、四人を照らしていた。
 

 

 

山の中腹に差し掛かった辺りで八戒はジープを止めた。
道はまだ上へと続いている。このまま進めば、村人たちが緑竜鼠を処分する焼き場がある筈だが、三蔵たちの目的の場所はそこではない。

「この先はジープでは無理ですね」

八戒の視線の先には、村人から分岐点の目印として教えられた大木。ここから山道を外れ、鱗のある場所へと進まねばならないのだ。だが、一見したところ道らしい道は見当たらない。

「少し様子を見てきます。三蔵と悟浄はここにいてください、‥‥‥‥行きましょう、悟空」
「うん」

がさがさと茂みを掻き分け山中に姿を消す二人を見送り、三蔵はジープの後部座席に移動した。自分を抱きしめるように震えている悟浄の身体に手を伸ばし――――すぐに引いた。毛布を握る悟浄の指先が、三蔵の手が触れた瞬間に強く握り込まれたからだ。
恐らく悟浄は、弱っている姿を自分に見せたくは無いのだろう。
三蔵は黙って後部座席の端に身を寄せると、袂から煙草を取り出し口に咥えた。

わりー、な。

不気味なほどな静寂を破り、三蔵の耳に届いた微かな呟き。
ほんの僅か、毛布越しに触れた指先から伝わった熱さが、三蔵の胸の奥をジリジリと焦がしていた。湧き上がる焦燥を誤魔化すように、三蔵は乱暴に紫煙を吐き出す。

「―――器用な体質しやがって」
「だから悪かった‥‥って」
「そう思ってんなら、とっとと治せ」
「無茶ゆーね、オマエ‥‥」

毛布の影から覗く僅かに歪められた口元で、悟浄が笑っているのだと三蔵は察する事が出来た。表情すらもうまく取り繕う事が出来ないほど、悟浄の状態が悪化している事を思い知る。

「なぁ‥‥」
「何だ」
「‥‥いや、やっぱ、いーわ‥‥」

悟浄の体力を考えれば、あまり喋らせない方がいいのは分かっている。だが、三蔵はどうしても自分を止める事が出来なかった。

「何だ。言え」

悟浄の言葉を一片でも逃したくない。別に語られる内容はどうでもいい。ただ、悟浄が意識を失っていないという確認のために。悟浄が生きているという証のために。
だが、三蔵はすぐにその考えを撤回する羽目になった。

「もし、さぁ‥‥」

三蔵に促され、言い淀んだ言葉を口にする悟浄。

「もしも‥‥俺が、」

「―――っ、黙れ!」

考えるより先に動いた口が、悟浄の言葉を遮っていた。

「何だよ‥‥お前が、言えって‥‥」
「どうせ下らん事だろうが。やっぱり貴様は黙ってろ‥‥病気どころか馬鹿がうつる」

内心の動揺を隠すために殊更憮然とした声を出す。どうやらそれは成功したらしく、悟浄は子供のように口を尖らせて不満の意を表した。

「‥‥んなの、聞いてみねーと、わかんねーだろ‥‥」
「ほう。じゃあ言ってみろ。だが下らん事だったら―――」

チャキ、と袂から銃を取り出し、これみよがしに振って見せる。横暴、と悟浄は小さくため息をついたが―――決心した様子で口を開いた。

「‥‥もしも、俺が」

小さく風が吹いて、辺りの木々がさわさわと揺れる。三蔵と悟浄の間のどこか張り詰めた空気も、共に揺れているのだろう。悟浄が続きを口にするまでの時間が、三蔵にはやけに長く感じられた。

「俺が、さ‥‥」

手にした銃の握りが滑る。手のひらが相当汗ばんでいるのだ。

「‥‥宝くじで3億円、当てても‥‥てめぇにゃビタ一文、奢らねー‥‥」

 

 

 

「‥‥で、何やってるんです?貴方たちは」

偵察から戻った八戒と悟空が見たものは、銃を悟浄にぐりぐりと押し付け―――流石に発砲は躊躇ったようだが―――ジープの座席の背もたれに片足を乗せて立つ、憤懣やる方ない様子の三蔵と、大袈裟に身を竦ませて引きつるように笑う悟浄の姿だった。

「いいからテメェは黙って寝てろ!動くな、喋るな、じっとしてろ!!殺すぞ!」
「‥んだよ〜、‥ちょっとした、悟浄さんのお茶目、だろー、が‥‥」

悟浄の弱々しい口調を除けば、その様子は昨日までと寸分違わず、今起こっていること全ては悟浄の性質の悪い冗談なのではないかと、錯覚を覚える程だった。
 

 

「いきなり倒木が道を塞いでますし―――そもそも道と言えるものじゃありません。正直僕らでもかなりキツいですね。今の悟浄には到底無理です」

自分も共に行くと言い張った悟浄に、八戒は穏やかに、だがきっぱりと告げる。足手纏いの自覚がある悟浄は、それ以上我を通す事は出来なかった。只でさえ道が悪い上に、夜も深まり視界も利かない。木々の覆い繁る森には、流石の月の光も届かないのだ。
僅かに思案した後、三蔵は自分と八戒で鱗を捜しに行く事を決めた。八戒には『貴方は悟浄の傍に』と耳打ちされたが、それを諾する事は出来なかった。この道の奥深く。まさに自分たちが進もうとしている方向から、三蔵は何かの気配を感じていた。

恐らくは、村人たちが再三に渡り口にした、『化け物』。

八戒や悟空が気付いていないところを見ると、やはり自分が対峙するべき相手なのだろう。そう結論付けると、チラリと悟浄を横目で見やった。自分で動く事もままならない悟浄の歯噛みをするような想いが、暗がりの中でも三蔵に伝わってくる。

「お前は此処で大人しくしてるんだな。悟空―――」

自分の名を呼ぶ真剣な最高僧の声音に何を読み取ったのか、悟空はただ無言で頷いた。八戒を促し、鬱蒼とした木々の中へと向かう三蔵の背に掛けられた声に、一瞬足が止まる。

「‥‥ヘマすんなよ、三蔵様」

普段よりは幾分掠れて。それでも、普段どおりの台詞を。

「てめぇと一緒にするな」

三蔵もまた普段どおりに返し、一度も振り向かないままその場を後にした。
 

 

 

「何だ」

後に続く八戒が何か言いた気にしているのに気付いたのか、三蔵が問う。

「いえ‥‥‥少し、呆れてるんです」

悟浄を蝕む疫病について、自分たちは何も知らない。勿論、悟浄の体質についても、何も分からない。
もしかしたら、このまま言葉を交わす機会が永遠に失われる可能性だってあるのに。
いつもと少しも変わらず、意地を張り通す二人。

「泣けとでも?」

黙々と草木を掻き分け、前を進む三蔵から漏らされた言葉に、八戒は虚を突かれた。

「傍にいてやって、優しい言葉をくれてやって‥‥。それで奴が満足するなら、そうしてやるがな」

大きな落雷でもあったのか、幾本もの倒木が進路を塞いでいる。八戒は三蔵の先に立ち、少しでも足元の安定した進路を探る。

「今は、駄目だ。却って奴を不安にさせる。‥‥‥‥それを見せるならまだマシなんだが」

ため息混じりに零される三蔵の言葉に、八戒は僅かに眉を顰めた。
甘え方を知らない悟浄。心を晒す事を自分に戒めている悟浄。
自らが疫病にかかっていると知った時にも、悟浄は取り乱し騒ぎ立てる真似はしなかった。それに自分たちが安堵感を覚えたのは否定できない。
だが、悟浄に不安が無いと誰も思ってはいない。死の病に侵されて、平気でいられるはずはない。以前ならともかく、今は悟浄にも生きる意味がある筈なのだから。

八戒は悪路を進む厳しい顔の最高僧をそっと伺った。悟浄の生きる道を照らす、その黄金の輝きを。
だが、その彼にも不安をぶつける術を知らず、悟浄は一人で自らを苛む不安と恐怖を抱え込み、背中を丸くしているのだ。
もどかしい想いをしている三蔵の悔しさが、その荒れた足取りに現れている。

すみませんでした。

小さく呟いたはずの謝罪が、静まり返った森の中ではやけに響く。
時折木々の僅かな隙間から落ちてくる朧な月の光が、何時に無く儚く思えて、八戒は意味も無く、焦った。
 

 

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