あなたの側で眠りたい(7)


「サイッテー‥‥」

悟浄がどうやら疫病に感染したらしいと説明を受けた悟空の第一声は、そんな呟きだった。

「おま‥、そりゃ‥‥俺の台詞だっつーの‥」

悟浄の声に不思議と動揺は無い。それが却ってこれが紛れも無い現実だという事を、悟空に、八戒に、そして三蔵に――――じわじわと思い知らせていた。
 

 

医師を連れて帰って来るはずの悟空が一人で部屋に駆け戻ってきたのは、宿の主人が駆け去ってしばらくしてからのことだ。
医師を見つけ、担いで宿へ急ぐ途中。宿の主人を従えた数人の男たちに、老医師は連れ去られてしまったのだという。

「『事情は連れに聞け』ってさ、メチャ感じ悪ィんでやんの!花がどうとかって言ってたけど。なぁ、何があったんだよ!?」

怒りのまま興奮した口調でまくし立てる悟空を横目に、八戒は三蔵の表情を伺った。視線に気付いた三蔵が僅かに頷くのを確認し、状況を説明しようとした矢先、掠れた声が下から届く。

「‥‥‥‥俺が、ドジったらしいわ‥‥」
「悟浄―――」
「‥だろ?」

悟浄がずっと意識を保っていた事は、三蔵も八戒も気付いていた。自分の背中を見た訳ではないだろうが、自分を取り巻く空気と宿の主人の行動から、自分がどういう状況に置かれているのか理解したようだ。恐らくは悟浄本人も、風邪ではないと薄々感じていたのかもしれない。
そうして悟空は、悟浄本人の口から感染の事実を聞かされる事になったのだ。
 

 

 

「何でだよ‥‥だって‥‥、うつんないって」

悟空の、悲痛ともとれる声が部屋に響く。確かに、他の動物には感染しないと村で会った男は言っていたのに。

「医学的な根拠があった発言じゃねぇんだろ。今まで、たまたま妖怪にも人間にも感染しなかっただけなのかもしれん」

若しくは。

三蔵はそう続けようとして言葉を飲み込んだ。
おそらく、この場の全員―――悟浄も含め―――が考え、そして口には出さないある推測。

悟浄だからこそ感染したのかもしれないと。人間とも妖怪とも、そして他の動物とも違う何かを、悟浄は持っているのかもしれないと。それが偶然、緑竜鼠と似通っていたものなのかもしれないと。
それは可能性にしか過ぎなかったが、否定する材料は見当たらなかった。
 

いや、感染の原因はともかくとして。

三蔵は己を叱咤した。今、求めるべきなのは、疫病の治療法だ。
今こうしている間にも、得体の知れない疫病が悟浄の身体を蝕んでいる。恐らく、あまり猶予は無い筈だ。
何としても、対抗策を見つけなければ。

―――直に、その答えがやってくるだろうがな。

三蔵は、静かに拳を握り締めた。
 

 

 

 

三蔵が言葉を切ったのを最後に、誰も口を開かなかった。部屋を支配するのは、やたらと重い沈黙。
そのまま、どのくらい時間が経過したのだろう。

「‥‥俺、も一度医者んとこに行ってくる。悟浄、診て貰わねーと‥‥」
「無駄だ」

誰も何も言わない事に業を煮やしたのか、悟空が立ち上がり部屋を出て行こうとした。だが、すかさず三蔵の制止にあう。

「悟浄が疫病に感染した事は、恐らく村中に知れ渡っているだろう。もう俺たちがまともに話が出来る奴はいないと思った方がいい。迂闊に出歩くと、無用なトラブルを招くだけだ」
「けど、それじゃ悟浄が‥‥!」
「‥‥だーいじょーぶだって、悟空‥‥」

んしょ、と悟浄は緩慢な動きで身体を持ち上げた。慌てて支える八戒の様子を横目で見ながら、三蔵は感情を押し殺し不機嫌な声を出す。

「何やってる。寝てろ」
「‥‥寝たままなんて、お客さんに、失礼、だろ‥‥」

荒い息の中震える身体を気力だけで捻じ伏せ、それでも何事の無いかのように軽く言う悟浄の瞳には、病魔に侵されてもなお、弱まる事の無い光が宿っている。今は何よりも、その光に三人は救われた。

「先方さんも、礼儀をわきまえて下さる方々だと良いんですけどね‥‥‥‥」

言いながらも、八戒の視線は窓の方に据えられている。その先には、表で急激に膨らんだ気配の固まりがあった。ある特定の感情を持つ集団が、こちらに近付いてくる。
 

「―――来たな」

待ちかねたと言ってもいい。
三蔵は、八戒と悟空に目配せすると、扉の方に歩き出した。
 

 

 

その一団は、人数は十四、五人ほどの村の男たちだった。
全員が手斧やら鋤やらを手にしているところを見ると、どうやら穏便に話を済ませようという気は無いらしい。

「お連れさんの具合が悪いらしいだなぁ。大丈夫だか?」

気遣うような口調とは裏腹に、集団のリーダーらしき男は顔を歪ませ汚いものを示すように顎で部屋の方向をしゃくった。
男のすぐ後ろには、この宿の主人がいる。悟浄が部屋で倒れていた時、心配しながら医者を呼んでくれたのはつい今朝ほどの事だ。その時に見せていた、人当たりの良い温和な雰囲気は見る影も無く、男の影から恐怖に強張った表情でこちらを伺っている。
三蔵は男たちの視線を遮るように部屋の入り口に立ち塞がっていたが、更に一歩足を踏み出した。

「医者の見立てが悪くてな。せっかくだが、見舞いは遠慮して貰おうか」

敵意を露にぶつけてくる連中に、つい三蔵の態度も強硬な物になる。三蔵、と八戒が嗜めるように背中を小突いた。

「とぼけんでくれ。体に終の花が咲いたっちゅうでねか」

苛付いたような男の声が、耳障りだ。分かっているなら最初からそう言えばいいものを。そう、下らない腹の探り合いをしている暇など無いのだから。
三蔵は、表情を変えずに男に続きを促した。

「だとしたら――どうする」
「決まっとる、他の人間に感染する前に白連山に、」
「無茶苦茶言うなっ!悟浄は食いモンじゃねーだろっ!治療もせずに殺すって言うのかよっ!」

思わず悟空が口を挟む。男はじろりと悟空を一瞥すると、冷たく言い放った。

「放っておけば、そん人から人間に次々に伝染していくのは目に見えとる。治療法もようわからんげに、時間がたてばたつほど被害が広がるのを黙って見ちゅうわけにゃあいかん。そん人は余程神の怒りに触れたっちゅう事だ。わしらを巻き込まんで貰いてぇ」

「巻き込んだのは、そっちだろ!」

村人たちに掴みかからんばかりに激昂し、三蔵の後ろから飛び出そうとする悟空を、三蔵は片手だけで押さえた。

「そちらの言い分は了解した」
「三蔵!?」

悟空が信じられないというように三蔵を見上げる。咄嗟に詰め寄ろうとした悟空を引き止めて八戒が静かに首を振った。ここは三蔵に任せろという事だ。

「―――が、焼く必要は無いだろう。どうせ俺たちは通りすがりだ、村を出て行けば済む。だがその前に薬を分けてもらいたい。言い値を払う」

落ち着き払った三蔵の声に、男の顔に動揺が走る。宿の主人が、背後から男の袖を引き何事か囁く。だが男は、それを振り払うように声を荒げた。

「薬は無ぇ!神様の試練に効く薬なんか無ぇ!」

希望の欠片も無い物言いに、悟空が拳を握りしめる。その時だった。

「‥‥んなさぁ‥‥他人事だと思って‥‥ツレない返事すんなって‥」
「ひっ!」

ゆらりと、開きっぱなしの扉から紅い髪の男が姿を現す。村人たちは怯えを顔に滲ませ大きく一歩後退した。

「悟浄、動いちゃヤバいって!」
「貴方は寝ててください!」
「テメェは、引っ込んでろ」
「ひで〜‥‥いちおー、当事者よ?俺‥‥っ」

急激に震えが来たのか、自身を掻き抱くようにしてがくりと膝を折った悟浄に、咄嗟に両脇から悟空と八戒の手が伸びる。それを手で制して、悟浄は何とか自力で立ち上がった。

男たちが一斉にざわめく。流石に村人たちにも、死を目前にした病人を前に、あまり無慈悲な事も言えないという程度の良心の持ち合わせはあるのだろう。男たちを覆っていた殺気に戸惑いが生じた。だが、それでも恐怖心を凌駕する程ではないのか、固唾を呑んで遠巻きに見守るだけだ。

「‥‥‥薬の在りかを教えたら、出てってくれるだか」

そんな中、宿の主人が初めて声を出した。
その言葉も、揺れ動く心情を反映したように微妙な物言いに変化していた。だが、その内容が指し示すものは、当初のものとは比較にならない程の意味を含んでいる。

「おい!?」
「人間には勿論試した事ねぇし、確かに効くっちゅう保障は出来ん‥‥‥。あそこには怪物もおるでな、普段は誰も近寄らん」
「だが――――あるんだな?」

リーダーらしき男が目をむいて制止しようとするのも構わず、主人は搾り出すように声を出した。話の続きを促す三蔵に応えようと口を開きかけたが、先程の男に間に割り込まれる。

「待て!余所者をを山に入れるだか?止めてくれ、これ以上神様を刺激して祟りでもあったら!!」
「だけんど、いくら祈っても供物を捧げても、一向にええならんげに!それに、こん人は僧侶じゃ。しかも、三蔵っちゅう名には聞き覚えもあるで、きっと何とかして下さる‥‥」
「こんな青二才に何が出来る!!化け物に返り討ちに遭うのが関の山だで!」

リーダー格の男の剣幕に押され、主人が押し黙る。主人も最高僧の名は耳にした事があっても、実際こんな若者だとは思っても見なかったのだろう。反論が出てこないようだ。

「わかった。ではこうしよう」

内輪揉めともいえる二人の言い争いに苛付いた三蔵は間に割って入った。とにかく今は時間が惜しい。背後からは今も悟浄の荒い呼吸が聞こえてくる。

「神の祟りとやらを村に蒙らせずに、疫病の原因である化け物を倒せば文句はねぇな」
「‥‥‥口だけなら何とでも言えるだ」

リーダー格の男が三蔵に不信感も露な視線をぶつけてくる。本人は凄みを効かせたつもりだろうが生憎と三蔵には効果がない。

「あんたらが化け物に手を出すつもりがないなら、いつまでも村の状態はこのままって事じゃねぇのか?試練だか何だか知らねぇが、上手くすれば村から俺たちに矛先が変わるかもしれんぞ?」

「そうですよねぇ。僕らカミサマとは相性悪いですしねぇ」

八戒がさり気なく相槌を打つ。

「‥‥‥‥」

男の目に迷いが浮かぶ。
恐怖と期待と。果たして男の天秤はどちらに傾くのか。

ほどなく男は諦めたように首を振り、大きく息をついた。纏っていた攻撃的な空気が僅かに和らぐのを感じた三蔵もまた、内心安堵の息をついていた。どうやらようやく話が前に進むようだ。

「――――では決まりだな。化け物の件はこちらで何とかしよう。どのみち目の前の火の粉は払う。――――――で、薬は何処にある?」
 

村人たちは黙って顔を見合わせた。
 

 

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