あなたの側で眠りたい(4)

「馬鹿じゃねぇのか」
「こんな事なら悟浄の朝飯、取っとくんじゃなかったなー」
「人の迷惑というものを考えてくださいね、全く」

次々と嫌味のシャワーを浴びせられているのは、ベッドに横たわって体温計を咥えている悟浄だ。
こめかみには大きなガーゼが当てられ、額には冷やされたタオルが載せられている。

「お前ら、病人を労わろうって気持ちが無いのかよ‥‥」

「労わって貰いたいのなら、それなりの行動をとって下さいよ、おこがましい。頭から血を流して倒れてるなんて、普通の病人がする事じゃありません」

そうなのだ。八戒が、悟浄の様子を見にこの部屋の扉を明けて最初に目にしたのは、血にまみれて床に倒れている悟浄の姿だった。
その光景に成す術もなくうろたえてしまった自分が腹立たしいのか、八戒はいつにも増して鋭い言葉の棘を悟浄に突き刺してくる。

「だっせーよなぁ。水取りに行こうとして躓いた挙句、棚の角で頭打って気絶するなんて、俺だったら恥ずかしくてもう外歩けねーな」
「そのうち、豆腐の角に頭ぶつけて死ぬんじゃねぇか」

「ううう‥‥‥」
反論しようにも、自分でもかなり間抜けだったと自覚している悟浄には分が悪すぎる。針のムシロに包まれ、居たたまれなくなった悟浄は額のタオルをずり下げて自分の目を隠した。

「さて、そろそろいいでしょう。見せてください‥‥‥また上がってるじゃないですか、熱」

ひょいと悟浄の口から体温計を取り上げた八戒が眉を顰める。滅多に病気をしない悟浄のこと、熱に免疫が無いのか心なしか頭の触覚にも勢いがない。

「それにしても遅くない?医者」

悟空の尤もな疑問に、八戒と三蔵の表情が曇る。確かに、八戒が倒れている悟浄を見つけ、三蔵たちを呼んでからすぐに宿の主人に医者の手配を頼んだのだから、既に一時間以上は経過している筈だが―――。

三人の内心の苛付きを他所に、結局、医者がやってきたのは、それから更に三十分程してからの事だった。
 

 

この村に一人しかいないという老齢の医者は、これでは何をするにも時間がかかっても仕方ないだろうと思わせる、動作の一つ一つがこれ以上無いという位の丁寧さで―――――言い方を変えれば異常にトロい動きで――――悟浄を診察した。
口を開けさせたり、聴診器を当てていたかと思えば、また道具を鞄にしまう動作が異常に遅い。

「で、どうなんだよ、じいちゃん?」
苛々とそれを待っていた三人だったが、最初に堪えきれなくなったのは悟空だった。

「そおさなぁー。悪寒、発熱、吐き気、と。――――咳は無いようだけんど、まぁ風邪だんべ。こんななるまで、よっぽど無理さしたんでねか。風邪ってのはひき始めが肝心だで、周りのモンが気ぃ付けてやらねばなぁー」

クセのある訛りを操りながら、動きと同じくのらりくらりとした口調で三人を咎めると、まぁた来っからと言い残し、老医師は帰っていった。注射は医療方針に反するとかで、飲み薬だけを置いていったが、実のところは手が震えて注射どころではないのだろう。

「‥‥‥取りあえず、安静ですね。お医者様にも釘を刺されましたし」
「何だ、その目は」

結局は、悟浄の自然治癒力に期待するしかないという現実を認識するだけの役割となった医師が去り、ある種の疲労感が部屋を漂う。そんな中、常識的に聞こえる八戒の発言に含まれる些細な棘に気付いた三蔵が、胡乱な視線をその緑に向けた。

「夕べ僕のところに薬を取りに来た時には、そんなに酷い様子じゃなかったんですけど。―――もしかして、三蔵。熱があるのを知りながら、彼に無理を‥‥‥」
「俺が知るか!‥‥‥ふん、てめぇこそ本当はこいつに妙な薬を渡したんじゃねぇのか?」
「‥‥‥いくら貴方でも、その発言は聞き捨てなりません」
「ほう?ならどうする」

恋人と親友と。悟浄を心配しているのはどちらも同じな筈だが、突然の悟浄のダウンという事態に、少なからず覚えた動揺を認めたくない二人は苛立ちをぶつけ合う。

「もう止めろよ、二人とも」

そんな二人を止めようと悟空が口を挟むが、逆に三蔵に睨まれてしまった。

「お前は黙ってろ!‥‥‥いや、待て‥‥悟空。お前、夕べ山に行くと騒いでたな?まさか、悟浄を誘って化け物退治とやらに出かけたんじゃねぇだろうな」
「そうなんですか、悟空?」

二対の美しい瞳に見据えられ、悟空は内心ひぃぃと悲鳴を上げていた。

「してねーよ!何疑ってんだよ!け、けど悟浄が勝手に出て行ったのなら知らねーよ俺!?開いてる酒場かなんか探してさ、こっそりと」

それはありえる‥‥‥。と三蔵と八戒が無言で顔を見合わせた時。

「‥‥‥行ってねーっつーの‥‥‥」
三蔵たちの下の方から、掠れた声がした。話題の中心にいながら、すっかりその存在を忘れ去られていた悟浄の声だ。わざとらしくため息をついて、追い払うように片手を振る。

「もうお前ら出てけよ‥‥。煩くって眠れねーだろ」

ピク、と三人の眉が上がる。

「‥‥すみません悟浄。もう一度お願いします。良く聞こえなかったんですけど」
「いやだからさ。お前ら煩」
「何ですって?良く聞こえませんってば」
「‥‥‥」

全開の笑顔で切り返す八戒に、ようやく悟浄は自分の迂闊さに気が付く。慌てて口を噤んでも後の祭りだ。

「あーあ。誰かさんのお陰で肉も食えない村に足止めかよぉー。今頃はとっくに出発してた筈なんだけどなーっ」
「本当ですよね。それでなくても最近ペースが落ち気味なのに」
「予定が完全に狂っちまったな。‥‥ああそういや何か言ってたか。誰が煩いって?」

とりどりの色の瞳に睨みつけられ、悟浄の背に決して熱のせいではない嫌な汗が伝う。

「‥‥‥‥ゴメンナサイ。俺が悪ぅございました。足手纏いになりました。大変申し訳ないのですが、大人しく寝かせて頂いて宜しいでしょうか。宜しければお静かになさってクダサイ‥‥‥」

「最初っから、そう言やぁいいんだよ馬鹿が」

止めの三蔵の言葉に、完全に脱力した様子で悟浄はベッドに突っ伏した。
――――意地でも明日までには治してやると心に誓いながら。
 

そして明日には何の変哲も無い日常が戻ってくるのだと。

悟浄も、他の三人も。誰ひとりとして疑ってはいなかった。
 

 

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