あなたの側で眠りたい(2)

「人、いねーじゃん‥‥」

村に入った時の第一声は、悟空のそんな呟きだった。
そこは小さな田舎の村ではあったが、やはり取引先の業者など人の出入りは多いのだろう、あちこちに宿屋の看板がかかっている。だが、その扉は閉ざされ、どう見ても営業中だとは思えない。
よくよく見れば、宿ばかりではなく、商店なども店を閉めているところが目立ち、人通りも殆ど無く閑散としている。
立ち並ぶ家屋敷がなまじ立派なだけに、どこか異様な雰囲気を醸し出していた。

「おかしいですね‥‥もう少し活気があってもよさそうなものですけど」
「どう見ても商売繁盛でウハウハって雰囲気じゃねぇなぁ。他の村と間違えてんじゃねぇの?お前」
「そんな筈は‥‥」

八戒も首を捻るばかりだ。
と、そこへどこからともなく薄い灰色のずんぐりとしたボールが、悟空の足元に転がってきた。――――と思ったら、それはボールではなく、動物だった。
ずんぐりとした丸い体にくすんだ灰色の体毛、長い尻尾と鋭い前歯。特徴だけを捉えれば、それはどこから見ても鼠そのものではあったが。

「すっげーデケぇー!おんもしれー!」

興奮に目を輝かせながら、悟空は自分の知る鼠という動物の優に十倍はあろうかという大きさのそれを、ひょいと抱き上げた。鼠に似ているのは外見だけなのか、動きは鈍くあっさりと悟空の腕に捕まってしまう。抱き上げられた拍子に、喉もとの鱗が日差しを反射してきらりと光った。
鼠に似た外見と緑の鱗。これがこの村の名産の緑竜鼠であることは誰の目にも明らかだった。
へぇ〜、と悟浄も物珍しげな視線を送る。

「こんな一般道で放し飼いってか?随分、奔放に育ててんだなー」
「んな訳あるか。どっかから逃げ出したんだろ」
「だったらよ、ひょっとしてこのままくすねてもバレねーんじゃねーの?」

自分が奢らずとも名だたる緑竜鼠を食せるチャンスに、悟浄が目を輝かせる。
だがそれもつかの間。八戒が苦笑を含んだ声で、悟浄の夢の終わりをあっさりと告げた。

「残念ですけど、そうはいかないみたいですよ。‥‥ほら、あの人」
「‥‥あ。やっぱりね」

遠くから、飼い主であろう男が息せき切ってこちらに走ってくるのが見える。
悟浄は名残惜しげに、悟空の腕の中で窮屈そうに身じろぎする動物の頭をひと撫でした。
 

 

 

「助かったよ、あんたらが捕まえてくれて」

悟空から緑竜鼠を受け取った中年の男は、流れる汗を拭いつつ、呼吸を整えた。
言葉に、僅かだがこの地方独特のイントネーションがある。訛り自体があまり強くないのは、この男が比較的若い世代だからだろう。といっても、もう四十は下らないだろうが。

「ここらじゃ見ねぇ顔だけど、ぼうずたちは旅行者かい?」

人懐っこい笑顔を向けてくる男に、自然悟空も笑顔になる。

「うん、そんなもん!なぁなぁおっちゃん、どこ行ったらウマい肉食わしてくれんの?店どこ?」

途端に男は少し困ったような顔をした。ややあって、ああ、と返事ともため息ともつかない声を漏らす。

「せっかく来て貰ったんだけどな‥‥店は今はどこもやってねぇんだよ」
「え?何で!?」
「出荷できる頭数が激減したもんでよ、今は大きな町の高級料理店に少し卸してるだけなんでなぁ。まあ、それなりの金を出しゃあ、食わせてくれる家はあるだろうけど‥‥」

そう言って男が提示した「相場」の価格に、一行は目をむいた。とてもじゃないが、出せる金額ではない。

「え〜っ!?じゃあ食えねーの?なぁ悟浄、何とか買えねぇ?」
「馬鹿言え、んなカネ俺が持ってるわけねーだろが!‥‥無理無理っ!んな縋るような目で見ても絶対に無理っ!」

「三、四年はもっと安かったと思ったが‥‥出荷制限か?」
「三、四年前ぇ!?」

わざと出荷数を減らして値をコントロールするのは、特に珍しい事ではない。しかし、悟空の関心を引いたのは別の部分だったようだ。三蔵の言葉が終わるか終わらないかの内に驚きも露な大声を上げる。

「いやあ、こっちとしては少しでも安く、大勢に食って貰いてぇところなんだ。そもそもがこいつらは飼育が難しくてなぁ、あんまり数が育てられねぇし」

「俺に隠れて、こっそり食べてたってことか!?三蔵!!」

「しっかし元々値が張る緑竜鼠に、んな値段つけられちゃ、こちとらパンピーには食えるもんじゃねーぜ。何でそんなに減っちまったんだ?」

「それは‥‥」

「一体いつ、どこで食ったんだよっ!白状しろ!」

「‥‥悟空‥‥少し黙ってください‥‥話が進みません」
 

 

 

まあ、今更隠しても始まらねぇやな。

八戒が悟空を諌めて一応の喧騒が収まると、そう前置きして男は語り始めた。
 

緑竜鼠が激減した原因は、疫病だった。
だが実はそれ自体は珍しいものではないのだという。緑竜鼠特有のものであるその疫病にかかり死んでいく個体が、毎年必ず数頭はいるからだ。
ただ、ここ数年その被害が激増し、特に今年は手のつけられないほどに猛威を振るっている。飼育していた緑竜鼠の大半を失ったこの村が、ついに原因調査を他所の機関に依頼し、第一回目の調査が行われたのもつい先日の話らしい。
男は、今から白連山という村の山に登るところだと言った。そこには、村人の神を祀る祠と、焼き場があるのだと。
感染した個体はそこで焼却処分にされ、神の元へと返される。
 

 

「もしかして‥‥そいつも?」

男の腕の中で丸まる灰色の動物。それに目をやった悟空に、男はうっすらと微笑んだ。

「血ィ吐いて、苦しみもがいて死ぬ前に、楽にしてやりたくってなぁ‥‥今から薬、飲ませんだ」

発症後すぐに薬殺し山に運ぶのは、そんな飼育者の心情と感染源の早期撲滅への手段としての必要性が合わさった末の、苦渋の選択なのだろう。
自らの辿る運命を知らず、喉元をくすぐられ甘えた声で鳴くその動物を、男は悲しみとやり切れなさを込めた表情でそっと抱きしめた。

良く見れば、その喉もとの緑の鱗には、黒い斑紋が浮き出ていた。知らなければ、美しい鱗の模様だとすら思える、黒い花。
男の話によれば、疫病にかかった証なのだという。

「治せないの?」

悟空が思わず問いかけた。返答は分かりきっていたが、聞かずにはいられなかった。そして男はやはり、それには答えなかった。
食用の家畜の運命だ。ひとたび病気にかかれば、与えられるのは治療ではない。それが疫病ならば、尚更だろう。

「まさか、人がいねーのも、人間に感染して‥‥」

悟浄の言葉に男は苦笑した。違う違う、と軽く首を振って否定する。

「緑竜鼠特有って言ったろ?他の動物には感染しねぇんだ。‥‥人がいねぇのは、みんな食えなくなって他所ん町に出稼ぎに行ってたりしてるからで」

「そんな病気の事なんて、僕は全然知りませんでした。でも、そんな昔からある病気なら、予防策とか対抗策とか、何かしらあるでしょう?」

「ねぇんだ」

男はあっさりと否定した。あまりにも簡単に否定された為に、八戒は次の言葉を出すタイミングを逃してしまった。だが、男には通じたようだ。

「不思議かい?‥‥まあ、他所の人にゃそう見えるだろうなぁ‥‥。けど、疫病の原因は分かってんだ。神様だよ」

は?と三蔵たち四人の目が点になる。

「あの、それはどういう‥‥」
「山の神様が村に試練を与えてんだ。だから予防策も対抗策も無駄だし、疫病の事を口外したら神様の祟りがあるって言われてたから、今までは秘密にしてたんだな」

一斉に四人のこの男を見る目つきが胡乱なものに変わった。

「‥‥‥‥さっき、原因を調査するんでどっかに科学的な調査を依頼したとか言ってなかったっけか、おたく?」

呆れたような悟浄の声。

「だからもう口外してもいいだろうと思ってなぁ。でもそりゃあ俺たちの何が神様を怒らせちまったのかっていう調査でよ。ほれ土地の使い方とか、方角とか。依頼したとこは大学の風水の研究チームだとか」

「‥‥くだらんな」

吐き捨てるような口調の三蔵に、男は困ったような視線を投げかけた。

「まあ、そう言わんでくれよ。俺だってそんな話、丸々信じちゃいなかったんだ。自分であの化け物を見るまではなぁ」
「化け物!?」

その言葉に大きく反応を示したのは、悟空だった。他の三人の目付きもすっ、と変わる。

「ああ、それが疫病を運んでくるんじゃないかって皆言ってる。神様がその化け物を操って、村に試練を与えてるんだと」
 

そこで言葉を切った男は、ぐるりと三蔵たちを見回した。

「つまんねー話聞かせちまったなぁ。そういう訳だから大したもてなしも出来んけど、まあゆっくりしてけな。もっとも宿も、今やってんのは一軒だけだけどよ。‥‥ほれ、向こうの、あの白い壁のところがそうだ。行ってみな。じゃ、あんがとよ」
 

 

 

男に教えられた宿は、自分たちの他には利用客もなく、貸し切り状態だった。男の言葉が大袈裟ではなく、真実のものだと伺える。遠慮なく、一人ずつ部屋を取った。
夕食も質素なもので、悟空は不満顔だったが、しきりに恐縮する人のよさ気な亭主に文句を言っても始まらないという分別は、持ち合わせているようだった。
 

「なあ、さんぞー」
「却下」

夕食を終え、新聞に目を落としながら最後の茶を啜っていた三蔵は、悟空の呼びかけに目も上げずにそう答えた。

「何だよ!まだ何にも言ってねーだろ!」
「お前の考えてる事なんざ、聞かなくても分かる」
「じゃ行こーぜ!化け物退治すればまた肉が食えるようになるんだろ!?山行こうぜ!山!山!山!肉!肉!肉!」
「喧しいっ!」

今、食事をしたばかりだというのに、悟空の頭の中はすでに未知の肉への欲求で満杯らしい。テーブルを壊さんばかりにガタガタと揺らす悟空の頭に、三蔵のハリセンが思い切り振り下ろされる様を、悟浄と八戒は他人事のように眺めていた。

「あれって、そんな話だったっけ?八戒」
「うーん。まあ仮にその化け物が疫病の原因で、よしんば僕たちが倒したとしても、健康な緑竜鼠が育つまでには時間がかかるでしょうから結局は食べられませんけどねぇ」
「それ、教えてやれば?」
「はは。どうしましょうかねぇ」

二人の視線の先で、肉肉と騒ぐ悟空とハリセンを手にする三蔵との攻防が、しばらくの間繰り広げられた。
だが、何だかんだ言ったところで、最終的な三蔵の結論に逆らう悟空ではない。

「村の奴らが望んでもないのに余計な事をする暇は無い」

三蔵のその言葉に、悟空も黙らざるを得なかった。
確かにあの男の様子でも、村人に化け物をどうこうしようという気は無いのだという事が十二分に伝わってきた。神の怒りさえ解ければ、その化け物もいなくなると信じているのだ。

――――くだらねぇ

三蔵は男に言った言葉をもう一度心の中で呟くと、今の間に冷え切ってしまった茶を一気に飲み干した。

 

数少ない営業中の店を巡り、少ない品揃えの中からではあったが買出しは既に済ませてある。翌朝の出立まで自由に過ごす事に異議を唱える者もなく、早々に解散した。

そのまま静かにそれぞれの夜が更ける――――筈だった。

それを破ったのは、八戒の部屋に訪いを告げる、誰かの遠慮がちなノックの音だった。
 

 

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