あなたの側で眠りたい(2)
「人、いねーじゃん‥‥」 村に入った時の第一声は、悟空のそんな呟きだった。 「おかしいですね‥‥もう少し活気があってもよさそうなものですけど」 八戒も首を捻るばかりだ。 「すっげーデケぇー!おんもしれー!」 興奮に目を輝かせながら、悟空は自分の知る鼠という動物の優に十倍はあろうかという大きさのそれを、ひょいと抱き上げた。鼠に似ているのは外見だけなのか、動きは鈍くあっさりと悟空の腕に捕まってしまう。抱き上げられた拍子に、喉もとの鱗が日差しを反射してきらりと光った。 「こんな一般道で放し飼いってか?随分、奔放に育ててんだなー」 自分が奢らずとも名だたる緑竜鼠を食せるチャンスに、悟浄が目を輝かせる。 「残念ですけど、そうはいかないみたいですよ。‥‥ほら、あの人」 遠くから、飼い主であろう男が息せき切ってこちらに走ってくるのが見える。
「助かったよ、あんたらが捕まえてくれて」 悟空から緑竜鼠を受け取った中年の男は、流れる汗を拭いつつ、呼吸を整えた。 「ここらじゃ見ねぇ顔だけど、ぼうずたちは旅行者かい?」 人懐っこい笑顔を向けてくる男に、自然悟空も笑顔になる。 「うん、そんなもん!なぁなぁおっちゃん、どこ行ったらウマい肉食わしてくれんの?店どこ?」 途端に男は少し困ったような顔をした。ややあって、ああ、と返事ともため息ともつかない声を漏らす。 「せっかく来て貰ったんだけどな‥‥店は今はどこもやってねぇんだよ」 そう言って男が提示した「相場」の価格に、一行は目をむいた。とてもじゃないが、出せる金額ではない。 「え〜っ!?じゃあ食えねーの?なぁ悟浄、何とか買えねぇ?」 「三、四年はもっと安かったと思ったが‥‥出荷制限か?」 わざと出荷数を減らして値をコントロールするのは、特に珍しい事ではない。しかし、悟空の関心を引いたのは別の部分だったようだ。三蔵の言葉が終わるか終わらないかの内に驚きも露な大声を上げる。 「いやあ、こっちとしては少しでも安く、大勢に食って貰いてぇところなんだ。そもそもがこいつらは飼育が難しくてなぁ、あんまり数が育てられねぇし」 「俺に隠れて、こっそり食べてたってことか!?三蔵!!」 「しっかし元々値が張る緑竜鼠に、んな値段つけられちゃ、こちとらパンピーには食えるもんじゃねーぜ。何でそんなに減っちまったんだ?」 「それは‥‥」 「一体いつ、どこで食ったんだよっ!白状しろ!」 「‥‥悟空‥‥少し黙ってください‥‥話が進みません」
まあ、今更隠しても始まらねぇやな。 八戒が悟空を諌めて一応の喧騒が収まると、そう前置きして男は語り始めた。 緑竜鼠が激減した原因は、疫病だった。
「もしかして‥‥そいつも?」 男の腕の中で丸まる灰色の動物。それに目をやった悟空に、男はうっすらと微笑んだ。 「血ィ吐いて、苦しみもがいて死ぬ前に、楽にしてやりたくってなぁ‥‥今から薬、飲ませんだ」 発症後すぐに薬殺し山に運ぶのは、そんな飼育者の心情と感染源の早期撲滅への手段としての必要性が合わさった末の、苦渋の選択なのだろう。 良く見れば、その喉もとの緑の鱗には、黒い斑紋が浮き出ていた。知らなければ、美しい鱗の模様だとすら思える、黒い花。 「治せないの?」 悟空が思わず問いかけた。返答は分かりきっていたが、聞かずにはいられなかった。そして男はやはり、それには答えなかった。 「まさか、人がいねーのも、人間に感染して‥‥」 悟浄の言葉に男は苦笑した。違う違う、と軽く首を振って否定する。 「緑竜鼠特有って言ったろ?他の動物には感染しねぇんだ。‥‥人がいねぇのは、みんな食えなくなって他所ん町に出稼ぎに行ってたりしてるからで」 「そんな病気の事なんて、僕は全然知りませんでした。でも、そんな昔からある病気なら、予防策とか対抗策とか、何かしらあるでしょう?」 「ねぇんだ」 男はあっさりと否定した。あまりにも簡単に否定された為に、八戒は次の言葉を出すタイミングを逃してしまった。だが、男には通じたようだ。 「不思議かい?‥‥まあ、他所の人にゃそう見えるだろうなぁ‥‥。けど、疫病の原因は分かってんだ。神様だよ」 は?と三蔵たち四人の目が点になる。 「あの、それはどういう‥‥」 一斉に四人のこの男を見る目つきが胡乱なものに変わった。 「‥‥‥‥さっき、原因を調査するんでどっかに科学的な調査を依頼したとか言ってなかったっけか、おたく?」 呆れたような悟浄の声。 「だからもう口外してもいいだろうと思ってなぁ。でもそりゃあ俺たちの何が神様を怒らせちまったのかっていう調査でよ。ほれ土地の使い方とか、方角とか。依頼したとこは大学の風水の研究チームだとか」 「‥‥くだらんな」 吐き捨てるような口調の三蔵に、男は困ったような視線を投げかけた。 「まあ、そう言わんでくれよ。俺だってそんな話、丸々信じちゃいなかったんだ。自分であの化け物を見るまではなぁ」 その言葉に大きく反応を示したのは、悟空だった。他の三人の目付きもすっ、と変わる。 「ああ、それが疫病を運んでくるんじゃないかって皆言ってる。神様がその化け物を操って、村に試練を与えてるんだと」 そこで言葉を切った男は、ぐるりと三蔵たちを見回した。 「つまんねー話聞かせちまったなぁ。そういう訳だから大したもてなしも出来んけど、まあゆっくりしてけな。もっとも宿も、今やってんのは一軒だけだけどよ。‥‥ほれ、向こうの、あの白い壁のところがそうだ。行ってみな。じゃ、あんがとよ」
男に教えられた宿は、自分たちの他には利用客もなく、貸し切り状態だった。男の言葉が大袈裟ではなく、真実のものだと伺える。遠慮なく、一人ずつ部屋を取った。 「なあ、さんぞー」 夕食を終え、新聞に目を落としながら最後の茶を啜っていた三蔵は、悟空の呼びかけに目も上げずにそう答えた。 「何だよ!まだ何にも言ってねーだろ!」 今、食事をしたばかりだというのに、悟空の頭の中はすでに未知の肉への欲求で満杯らしい。テーブルを壊さんばかりにガタガタと揺らす悟空の頭に、三蔵のハリセンが思い切り振り下ろされる様を、悟浄と八戒は他人事のように眺めていた。 「あれって、そんな話だったっけ?八戒」 二人の視線の先で、肉肉と騒ぐ悟空とハリセンを手にする三蔵との攻防が、しばらくの間繰り広げられた。 「村の奴らが望んでもないのに余計な事をする暇は無い」 三蔵のその言葉に、悟空も黙らざるを得なかった。 ――――くだらねぇ 三蔵は男に言った言葉をもう一度心の中で呟くと、今の間に冷え切ってしまった茶を一気に飲み干した。
数少ない営業中の店を巡り、少ない品揃えの中からではあったが買出しは既に済ませてある。翌朝の出立まで自由に過ごす事に異議を唱える者もなく、早々に解散した。 そのまま静かにそれぞれの夜が更ける――――筈だった。 それを破ったのは、八戒の部屋に訪いを告げる、誰かの遠慮がちなノックの音だった。
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