あなたの側で眠りたい(13)
やっとの思いで山頂に到着した三蔵たちが目にしたものは―――――。 紅蓮の炎に包まれ、焼け落ちる寸前の建物と。 何が行われたのかなど、聞くまでも無かった。
どこかが崩落したのか小屋から大きな音がした。 「―――チッ!」 炎の中に飛び込もうとする三蔵の腕を八戒が掴んで制止する。 「邪魔をするな!」 焦りのまま八戒の手を振り払い炎の中へ向かおうとした三蔵の耳に、小屋から物音が絶える事無く届いてくる。 それが良く見知った旅の同行者二人だと三蔵が認識するより僅かに早く、建物の一部が音を立てて崩れ落ちた。
まるで悪夢だと、三人は思った。 「八戒、水だ!」 動かない悟浄を、三人が取り囲む。三蔵が悟浄に息を吹き込み、八戒が水をかけ頭を冷やし、悟空が声を嗄らして名を呼び身体を揺すっても、悟浄は中々反応しない。 もしかしたら、このまま目を覚まさぬまま―――。 湧き上がる不安を押し殺すのに、誰もが必死だった。 「う‥‥」 だから、悟浄の口から微かな呻き声が上がった時には―――例えそれが本人にとっては苦痛の証だったとしても―――他の三人は安堵の息をつかずにはいられなかった。 病は今も変わらず悟浄の身体を蝕み、そういう意味では生命の危機を脱したとは言えないのかもしれない。だが、それでも悟浄はまだ生きている。生きていれば、道は必ずどこかにある。―――いや、必ず探し出すのだ。 「すみません、遅くなりましたけど‥‥手を見せて」 悟浄が息を吹き返し、ようやく八戒に余裕が戻ったのだろう。傍らで同じように三蔵たちを見つめていた悟空に、八戒は穏やかに声をかけた。悟空が怪我をしていたのは知っていたが、悟浄の覚醒を優先させる為に、無理に意識の中から追い出していたのだ。 だが、素直に差し出された悟空の手を目の当たりにした八戒は息を呑んだ。この傷は、火傷によるものではない。 「これは‥‥?どこでそんな酷い傷を――」 どこもかしこも、やたら頑丈で参ったと、悟空は不貞腐れた様な笑みを零した。 八戒は、注意深く悟空の手に気孔を当てながら、改めて付近を見回してみる。 三蔵がどんな気持ちで悟浄を悟空に託したのか、八戒も知っている。 「‥‥悟空」 不意に呼ばれた名に悟空と、そして八戒も同時に視線を巡らせると、金髪の最高僧の見慣れた背中が視界に入る。腕に抱いた悟浄に視線を落としたままの後姿に、いつもと変わりない力強いものを感じて、八戒は不思議と落ち着いた。 「よくやった」 振り向きもしないままに、抑揚も無く呟かれた短い言葉。 「―――うん」 琥珀色の瞳を輝かせ、悟空は誇らしげに、胸を張った。
何か仕掛けてくるかと思ったが、村人たちは相変わらず遠巻きにこちらの様子を伺っているだけで、何の動きも無い。村人の中に、腰を抜かしたようにへたり込んでいる男に、三蔵は見覚えがあった。確か、村に入って最初に出会った―――。 三蔵は、悟浄に直接的に攻撃を仕掛けたのがその男だという事は知らない。もし知っていれば、冷静にその姿を観察する事などとても出来なかっただろう。男にとっては幸運だった。 三蔵は怒りに震えた。 後悔するくらいなら、最初からやらなければいいのだ。一時のウサ晴らしの為に、危うく悟浄を奪われるところだった。この腕の中から、永遠に。 どす黒く胸の中で渦巻く怒りを、村人たちにぶつけてやりたい衝動を持て余す。 ―――馬鹿が。 添えられた悟浄の手にそっと自分の手を重ねる。悟浄が再び笑ったのが分かった。今度は、とても自然に。 ―――死なせない。 「八戒、悟空」 決意を込め、二人を呼ぶ。今、自分が何を優先すべきかを思い出していた。 「もう時間がない。ここで薬を飲ませる。‥‥‥寒さの心配も無いしな」 背後では盛大な焚き火が今も燃え続けている。少なくとも、火種の心配はせずに済みそうだ。三蔵の言葉に頷いた八戒が、荷物を取りにジープに向かう。手の傷もあらかた塞がった悟空が、三蔵に向かって身を乗り出してきた。 「でも、どうすんの?俺、どうやって悟浄に鱗飲ませるかって言われて‥‥。物凄く硬いからって」 此処にいる村人たちの中に、あの老医師の姿は無い。また迎えに行くのかと三蔵に問おうとした時、三蔵の視線が悟空を通り越し、さらに背後へと向けられた。 「――――何所に行く?」 その人物がぎくりとした気配が、悟空にも伝わってきた。 「‥‥あ?え?いえ、そろそろお暇しようかなー、なんて」 聞き慣れない声に悟空が振り向いた先には、明らかにこっそりとその場を立ち去ろうとしている一人の青年の姿があった。誰?と思ったが、取り合えず黙っておく。どうやら三蔵の知り合いらしい。 「こいつに興味あるんだろ?」 顎で腕の中の悟浄を指し示す三蔵に、青年は慌てて反論を試みるが、無論三蔵に聞く気など無い。どう言い逃れようかと青年が頭を悩ませている内に、つい先程、至近距離で突きつけられた鈍く光る銀色の銃が、再び視界に捉えられた。しっかりと照準が頭に合わされている辺り、全くもって容赦がない。 「残るな?」 今日は厄日だと、青年は思った。
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