あなたの側で眠りたい(13)

やっとの思いで山頂に到着した三蔵たちが目にしたものは―――――。
 

紅蓮の炎に包まれ、焼け落ちる寸前の建物と。
まるで魂を抜かれたような面持ちで、それを遠巻きに見守る村人たち。
 

何が行われたのかなど、聞くまでも無かった。
 

 

 

どこかが崩落したのか小屋から大きな音がした。

「―――チッ!」
「駄目です、三蔵!」

炎の中に飛び込もうとする三蔵の腕を八戒が掴んで制止する。

「邪魔をするな!」
「いくらなんでも貴方をあの中に行かせる訳にはいきません!僕が‥‥!」
「んな問答してるヒマはねぇ!離せ!」

焦りのまま八戒の手を振り払い炎の中へ向かおうとした三蔵の耳に、小屋から物音が絶える事無く届いてくる。
どうやらそれが、内部から壁を蹴っている音だと三蔵たちが気付いた瞬間。
一際大きな破壊音と共に、目の前に何かが転がり出てきた。

それが良く見知った旅の同行者二人だと三蔵が認識するより僅かに早く、建物の一部が音を立てて崩れ落ちた。
 

 

 

まるで悪夢だと、三人は思った。

「八戒、水だ!」
「悟浄の奴、息してねぇよ!ヤバいって!」
「とにかく呼びかけて!意識を戻させるんです!」

動かない悟浄を、三人が取り囲む。三蔵が悟浄に息を吹き込み、八戒が水をかけ頭を冷やし、悟空が声を嗄らして名を呼び身体を揺すっても、悟浄は中々反応しない。
悟空が悟浄を連れ、燃え盛る小屋から飛び出してきてから、実際はそんなに時が経過しているわけではない。だが悟浄を囲む三人には、とてつもなく長い時間に感じられていた。

もしかしたら、このまま目を覚まさぬまま―――。

湧き上がる不安を押し殺すのに、誰もが必死だった。
 

「う‥‥」

だから、悟浄の口から微かな呻き声が上がった時には―――例えそれが本人にとっては苦痛の証だったとしても―――他の三人は安堵の息をつかずにはいられなかった。
そのままゴホゴホと咳き込む悟浄の身体を、人目も憚らず三蔵が抱きしめるのを、八戒と悟空はからかいも咎めもせずに、黙って見守る。悟浄に触れ、彼の生をこの手で確かめたい気持ちは自分たちも同じだったからだ。

病は今も変わらず悟浄の身体を蝕み、そういう意味では生命の危機を脱したとは言えないのかもしれない。だが、それでも悟浄はまだ生きている。生きていれば、道は必ずどこかにある。―――いや、必ず探し出すのだ。

「すみません、遅くなりましたけど‥‥手を見せて」

悟浄が息を吹き返し、ようやく八戒に余裕が戻ったのだろう。傍らで同じように三蔵たちを見つめていた悟空に、八戒は穏やかに声をかけた。悟空が怪我をしていたのは知っていたが、悟浄の覚醒を優先させる為に、無理に意識の中から追い出していたのだ。
悟浄は煙で目と喉をやられたようだが、他には特に目立った外傷も無い。むしろ、外傷という点では悟空の方が酷い有様だった。服はあちこち焼け焦げ、軽いものとはいえ、火傷も負っている様子だ。

だが、素直に差し出された悟空の手を目の当たりにした八戒は息を呑んだ。この傷は、火傷によるものではない。
悟空の両拳は、見るも無残に潰れていた。滴った血が、腕を濡らしたまま固まっている。

「これは‥‥?どこでそんな酷い傷を――」
「あ、扉殴った時かな‥?んでも別に痛くもねーし、大した事ないって」

どこもかしこも、やたら頑丈で参ったと、悟空は不貞腐れた様な笑みを零した。

八戒は、注意深く悟空の手に気孔を当てながら、改めて付近を見回してみる。
焼けている小屋以外にまず目に付くのは、すぐ側にある小さな炉と、その向かいにある地下へ続いているらしい何かの入り口。それはぽっかりと穴を開けて―――言葉どおり、穴を開けていた。付近に散らばっているのは、跡形も無く破壊された扉であった筈のものの残骸。その破片の位置からして、内側から破られたのは明白だ。
太い木材を幾重にも組んだ分厚い扉。普通の人間の力で、どうこうできる代物ではない。おまけに、悟浄を抱えての小屋からの脱出。
流石に悟空といえど、無傷では済まされる筈も無く。まさに満身創痍と呼ぶに相応しい姿で、それでも悟空は何事も無いかのように笑っている。

三蔵がどんな気持ちで悟浄を悟空に託したのか、八戒も知っている。
あの時、無言で交わされた約束を、悟空は見事に果たしてみせたのだ。

「‥‥悟空」

不意に呼ばれた名に悟空と、そして八戒も同時に視線を巡らせると、金髪の最高僧の見慣れた背中が視界に入る。腕に抱いた悟浄に視線を落としたままの後姿に、いつもと変わりない力強いものを感じて、八戒は不思議と落ち着いた。

「よくやった」

振り向きもしないままに、抑揚も無く呟かれた短い言葉。
だが、そこに込められた様々な想いは、痛いほど伝わるから。

「―――うん」

琥珀色の瞳を輝かせ、悟空は誇らしげに、胸を張った。
 

 

 

 

 

何か仕掛けてくるかと思ったが、村人たちは相変わらず遠巻きにこちらの様子を伺っているだけで、何の動きも無い。村人の中に、腰を抜かしたようにへたり込んでいる男に、三蔵は見覚えがあった。確か、村に入って最初に出会った―――。

三蔵は、悟浄に直接的に攻撃を仕掛けたのがその男だという事は知らない。もし知っていれば、冷静にその姿を観察する事などとても出来なかっただろう。男にとっては幸運だった。
男は、涙を流していた。泣きながら、ただ呆然とこちらを見つめている。
ひょっとしたら、今更ながら自分達の取った行動の恐ろしさを噛み締めているのかもしれない。
そもそも疫病が流行り始めたのは、三蔵一行が此処に到着する何年も前の頃からだ。いくら何でも、それを悟浄のせいにするのには相当の無理があると、少し冷静になれば子供にでも分かる事だ。

三蔵は怒りに震えた。

後悔するくらいなら、最初からやらなければいいのだ。一時のウサ晴らしの為に、危うく悟浄を奪われるところだった。この腕の中から、永遠に。

どす黒く胸の中で渦巻く怒りを、村人たちにぶつけてやりたい衝動を持て余す。
と、三蔵は腕に温かいものを感じ、視線を落とした。悟浄の手が、自分の腕に添えられている。三蔵の視線を受け、悟浄はゆっくりと首を振った。煙で傷めた目は未だ閉じられたまま、笑っているつもりなのかぎこちなく口元を引き上げ『大丈夫』と唇が形作る。
どうやら三蔵の怒りを敏感に感じ取り、宥めようとしているらしい。

―――馬鹿が。

添えられた悟浄の手にそっと自分の手を重ねる。悟浄が再び笑ったのが分かった。今度は、とても自然に。

―――死なせない。

「八戒、悟空」

決意を込め、二人を呼ぶ。今、自分が何を優先すべきかを思い出していた。

「もう時間がない。ここで薬を飲ませる。‥‥‥寒さの心配も無いしな」

背後では盛大な焚き火が今も燃え続けている。少なくとも、火種の心配はせずに済みそうだ。三蔵の言葉に頷いた八戒が、荷物を取りにジープに向かう。手の傷もあらかた塞がった悟空が、三蔵に向かって身を乗り出してきた。

「でも、どうすんの?俺、どうやって悟浄に鱗飲ませるかって言われて‥‥。物凄く硬いからって」
「煎じるのが手っ取り早いと思ったが‥‥‥‥そうだな、専門家の意見を聞くか」
「専門家?」
「医者、だ」
「医者?あのじいちゃん?けど―――」

此処にいる村人たちの中に、あの老医師の姿は無い。また迎えに行くのかと三蔵に問おうとした時、三蔵の視線が悟空を通り越し、さらに背後へと向けられた。

「――――何所に行く?」

その人物がぎくりとした気配が、悟空にも伝わってきた。

「‥‥あ?え?いえ、そろそろお暇しようかなー、なんて」

聞き慣れない声に悟空が振り向いた先には、明らかにこっそりとその場を立ち去ろうとしている一人の青年の姿があった。誰?と思ったが、取り合えず黙っておく。どうやら三蔵の知り合いらしい。

「こいつに興味あるんだろ?」
「い、いえ!僕、良く考えたら小型動物の方が好きかなー、って。それに、まだ学生ですし、帰って勉強しなきゃ、はは」
「煩ぇよ」

顎で腕の中の悟浄を指し示す三蔵に、青年は慌てて反論を試みるが、無論三蔵に聞く気など無い。どう言い逃れようかと青年が頭を悩ませている内に、つい先程、至近距離で突きつけられた鈍く光る銀色の銃が、再び視界に捉えられた。しっかりと照準が頭に合わされている辺り、全くもって容赦がない。
そうなればもう、青年にはがくりと肩を落とすしか道は無かった。

「残るな?」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥はい‥‥」

今日は厄日だと、青年は思った。
 

 

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