あなたの側で眠りたい(10)

互いに一歩も引かず互いを睨みつけていた悟浄と悟空の耳が、どこか遠くから響く微かな音を捉えた。
三蔵の銃声とは違い、間断なく響く爆音。
訝しげな表情で、悟空が音のする方向に目を向ける。自分たちには聞き慣れた音だが、こんな夜更けにこんな場所で聞く音ではないだろう。考える間にもそれは徐々に接近し、それに伴い強くなる光に思わず目を細めた二人から少し離れた所で停止した。
猛スピードで山道を登ってきた車のヘッドライトが、悟空と悟浄の姿を煌々と照らし出していた。
 

「おおい。大丈夫かぁ」

大きな音を立ててドアを閉め、悟空と悟浄の方に歩いてくるその顔は、逆光のため確認できない。だが、無意識のうちに悟浄を背に庇う形で立った悟空の耳に届いた声には、聞き覚えがあった。この村に入って最初に出会った、疫病の事を一行に教えたあの男だ。

「おっちゃん?」
「おー無事かぁ、良かったぁ。心配してたんだで、化け物に食われたんじゃねぇかって」

光の中を、男が歩み寄ってくる。何か手にしているのを見て悟空は僅かに緊張したが、良く見れば数本の花だ。男の目的を測りかねて悟空が言葉を発せずにいるのには構わず、男はきょろきょろと辺りを見回した。
丁度その時、遠くの銃声が風に乗って三人の元へと運ばれてくる。

「そっかぁ‥‥。あのお坊さんたちが谷に‥‥。無事に戻ってこられるといいだがなぁ」
「おっちゃん、何でここに?」

未だ悟浄を背にしたままの悟空が問う。

「ああ‥‥まだ炉に火が入ったままなんだぁ。まぁたあれから2匹が駄目になっちまって‥‥。あいつらがちゃんと灰になるまではもうちっと時間がかかるんでなぁ。んで、これをな」

手向けてやろうと思ってよ。

男は手にした花をひらひらと振ると、やはり少し悲しそうに笑った。
痛々しい男の様子に言葉を掛けあぐねる二人の表情に気付いたのか、男はバツ悪げに笑うと、パンと手を打ち付け、殊更に明るい声を張り上げる。

「さ、とにかくこんな所じゃ病人の身体に障る!上に小屋があるから、お連れさんが帰ってくるまでそこで休みな!」
「せっかくだけど、此処で待たないと―――」

悟空の言葉に、男は苦笑しながら首を振った。

「確かに鱗しか薬はねぇけど、硬ぇ鱗をそのまま食わすってのは無理だって。何せ炉を傷めるほどの強度っていやぁ鉱物並だ。煎じるにしても砕くにしても、道具が無くちゃぁ難しいと思うけんどなぁ」

あ。

悟空は思わず目をぱちくりとさせた。
言われてみれば、鱗を手に入れることばかりに気を取られ、それをどうやって悟浄に与えるかどうかまでは考えていなかった。三蔵と八戒には何か考えがあるのかもしれないが、少なくとも悟空の前ではそんな話題は上らなかった筈だ。

「小屋には布団もあるし、一通りの生活用具は整ってる。鱗さえ手に入れりゃ、飲ませる方法はどうにでもなるし‥‥。お連れさんには書き置きでも残しときゃええで」

もしかしたら、あの二人も気付いていないのかもしれない―――。そんな考えが悟空の脳裏を掠める。もしそうならば、男の言葉に従う方が―――。

逡巡する悟空の背後の空気が揺らめいた。振り返る悟空の目に、歩み去ろうとする悟浄の姿が映る。

「ドコ行くんだよっ、悟浄!」
「‥‥俺は、アイツらんトコに行く‥‥。お前は、好きにすりゃいい‥‥」
「無理だってば!」

覚束ない足取りながら、それでも山道に向かおうとする悟浄の腕を、悟空は再び掴み止めた。目の前で何が行われているのか理解した村の男も、流石に呆気に取られたようだ。

「兄さん、その体で谷へ行くつもりか?!止めときな、死にに行くようなもんだ」
「いいから、離せ‥‥っ?」

不意に、悟浄の長身がガクリと崩れ落ちた。その鳩尾には、悟空の拳。
いつもより色を失っている唇が何か言いた気に戦慄いたが、結局は言葉にならぬまま、悟浄は意識を手放した。

「無茶な事する兄さんだなぁ。いつもこうなのかい?」
「‥‥まあね」

呆れたような口調で問う男に、慎重な手付きで悟浄の身体を支える悟空は頷いた。但し『けど』と付け加える事も忘れずに。

「こーゆー奴だから、一緒に旅したいって思うんだろ」

口は悪いし、ガラは悪いし。吸うわ飲むわ打つわの上に女好きで、いつも人の事ガキ扱いするムカつく奴だけど。
けど、傍にいるとすっげー居心地がいいって時々感じる。
いつまでも一緒になんて、夢みたいな事思ってる訳じゃないけど。
ただ、今は。
一緒にいるのが当たり前で。いないなんて考えられなくて。―――いて欲しくて。

そう思っているのは、自分だけじゃない事もちゃんと知ってる。
誰よりもコイツの事、大切に想ってる奴を知ってるんだ。
 

何の前触れもなく鼻の奥がツンとする。悟空は慌てて悟浄を支える腕に力を込め、その痛みを誤魔化した。
 

 

 

 

 

「チッ、キリがねぇ―――」
「三蔵、気を付けて!後ろ来ますよ!」

谷では、三蔵と八戒が次から次へと現れる物体に手を焼いていた。
『化け物』と村人たちが畏怖していたもの。

三蔵も八戒も初めて遭遇する、不可思議な物体。

目の前で、うねうねと巨大な体躯をくねらせる蛇の姿にも似たそれは、倒しても倒しても次々と湧き上がって来る。

半透明の身体は月の光を透過して、ある意味この幻想的な風景と相まって美しいと言えない事も無いのだが。目も、口も、透けて見える体の中にも何ら器官の様なものは見受けられない。
少なくとも、普通の生物ではない事は明らかだった。いや、生物かどうかも怪しいものだ。

地面から、木の幹から。それこそ周りの至る所から。音も無く滲み出ては三蔵と八戒の周囲を取り囲む。
銃も気孔も有効で、攻撃を受けると化け物はゼリー状の内容物を撒き散らし、消えてゆく。だが、いかんせん数が多すぎた。倒した以上に新たに湧かれては流石の二人も堪らない。
油断するとたちまちどろりと纏わり付いてきて、身体の自由を奪われる。顔でも塞がれようものなら、窒息死だ。
この物体そのものからは、不思議と敵意を感じない事に八戒は気付いていた。だが、相手がどういうつもりであれ、このままでは自分たちの身が危険な事に変わりない。
この果てしの無い攻防に終止符を打つための手段は一つ。

「三蔵、僕が引き付けておきますから!」
「チッ―――」

静かな谷に低い読経の声が響き、やがて全てが光に包まれた。
 

 

 

 

「終わった‥‥んでしょうか」
「‥‥いや」

ようやく静けさを取り戻した谷を見回し、ようやく八戒は一息ついた。あれだけ溢れていた化け物の姿は掻き消すように消えている。だが、三蔵は厳しい表情を崩さない。

「そんな時間はねぇ、な‥‥」
「三蔵?」
「戻るぞ。化け物退治は後回しだ」

途端に踵を返して歩き出す三蔵の背に、八戒が追い縋る。鱗も手に入れた今、一刻も早く悟浄の元へ戻る事に、何の異議も無い。だが、ここの化け物の事に関しては分からない事だらけだ。

「後回しって‥‥まだ死んでいないという事ですか?」
「一時的に収まってはいるが‥‥。元をたたかねぇとまたすぐに湧くだろうな。だが今はそんな暇は‥‥」

三蔵の声が途切れるのと、八戒が三蔵の前に出たのはほぼ同時だった。鋭い視線を投げかける先には、自分たちが抜けてきた洞窟。

「―――誰です?」

洞窟の中の気配が揺らぐ。
八戒は辛抱強く相手の出方を待った。この気配は人間だ。敵か、味方か‥‥‥。

しばらくの沈黙の後、一人の青年が、恐る恐るといった風体で顔を覗かせた。
 

 

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