名を呼べば(7)

「親父ィ、小遣い」

しばらく姿を見せなかった息子が居間に入ってきたと思ったら、不躾に手を差し出され、髭を蓄えた小太りの男は眉を顰めた。

「この間やったばかりだろうが」
「煩せーな。もう使っちまったよ」
「まったく‥‥‥これから夜遊びか」

そう言いながらも財布から万札の束を無造作に掴み、息子に手渡す。さんきゅーと受け取った息子はひらひらと札束を顔の前で振って見せた。その顔には、殴られたような痣が数箇所、痛々しく残っていた。
この二人。言わずと知れた鷭里親子である。

「親父だって、これから例のお楽しみだろ?お袋、カンカンだぜ」
「たまにはお前も一緒にどうだ?女とはまた違った味だ‥‥‥堪らんぞ」
「遠慮しとく。男には興味ねぇ」
「あの子は、お前が見つけてきたんだろうが」
「親父の好みだろ、あーゆータイプ。随分、気に入ったみてぇじゃん。‥‥‥手の込んだ真似してまで手に入れたくらいだもんな」

隣のクラスの沙悟浄という男に手酷い目にあわされた鷭里ジュニアは、何とかして男に復讐したいと考えていた。実は以前から女生徒に人気のある沙悟浄が気にくわなかった所に、今回の事件。溜まっていた鬱憤が一気に噴出し、男への恨みとして爆発したのだ。
男を退学にするのは簡単だ。あの時の女には、ちょっと脅しをかければ口裏を合わせるのは分かっていた。だが、それだけでは全然足りない。そこで思い出したのが、普段は馬鹿にしている父親の性癖だった。それとなく男の写真を見せ話を持ちかけると、案の定父親はすぐに乗ってきた。口では仕方のない奴だと言いながら、父親が男の容姿に興味を引かれているのは一目瞭然だった。

息子の報復と父親の欲望の対象は、見事に合致した。

そして父親はすぐさま男の身辺を調査し、あっさりと弱みを掴んだ。男の兄、沙爾燕が自分の会社の従業員だったのだ。早くに二親を失くしていた沙兄弟は、年の離れた兄が弟を食わせていた。頭の悪くない弟をきちんとした学校に行かせてやりたくて、兄は必死で働いているらしい。そんな兄に、弟が負い目を抱いているだろうということも、容易に推測できた。

「ああ、あの子は最高だ‥‥‥。本当はこのままずっとここに置いておきたいんだがな」
「おい親父ィ!」

父親の言葉に、息子は声を荒げる。窘めるように父親は手を振った。

「わかっとるわかっとる、最初の約束だったな。勿体無いが、ワシの味見が済んだら来週から店に出す」

父親は表向きには鷭里興産の社長として社会的地位を得ている人物だったが、裏では自らの趣味と実益を兼ねて少年たちに身体を売らせる非合法の店を持っていた。
その店で男を働かせる。それが父と息子の間で取り交わされた約束だった。

「これは俺の復讐なんだよ‥‥‥!退学させたぐれぇじゃ気が済まねぇ。奴が色んな男に組み敷かれて、突っ込まれて、舐めさせられて‥‥‥泣き叫んで許しを請う‥‥‥。今まで女を泣かしてた奴が、今度は男に泣かされるってな。へへ、考えただけでゾクゾクするぜ」

放課後、人目につかない場所で男を待ち構え、でっちあげた事故のことを男に話した。兄から仕事を取り上げないでくれと、男が地に額をこすり付けた様を思い出すと、達しそうになるぐらいの快感を覚える。ならば生産ラインが止まった間の損害を払えと迫り、学校を辞めて身体を売れと持ちかけると、男は唇を噛んだまま頷いた。
その頭を足で踏みつけて、幾分溜飲が下がったが、まだ足りなかった。

「奴らの前で恥をかかされたんだ、まだまだこんなもんじゃ収まらねぇ‥‥‥」

もっと、もっと。男をボロボロになるまで恥辱にまみれさせなければ、自分の気が済まなかった。父親の店に入れてしまえば、後は堕ちていくだけだ。クスリ漬けにして、どこかの成金サド親父に売り飛ばしてしまっても構わない。
男にのされて以来、あの時一緒にいた取り巻き連中の自分を見る目が変わったような気がしていた。態度では媚びつつも、僅かに、目に自分を侮る色が宿っていると思えてならない。
全てはあの男のせいなのだ。

――――地獄に落ちて俺に償え。

息子は、卑しく口元を歪め、笑った。

 

 

 

 

 

不意に、廊下が騒がしくなった。

「お、お待ち下さいっ!」

聞きなれた使用人の慌てふためいた声の後、突然ドアが乱暴に開かれた。

「失礼する」

入ってきたのは、金髪の若者だった。後ろから必死の形相で使用人が追い縋っている。

「旦那様、大変です!この屋敷に‥‥っ」
「いいからいいから。アンタは俺と一緒に外に出な」

金髪の若者の仲間と思われる精悍な青年が、使用人を無理矢理引き摺るように扉の向こうへと姿を消した。閉じられる扉の音を、鷭里親子は唖然として聞いていた。

「突然、約束も取り付けずに押しかけて、申し訳ありません」

坦々と静かな声で金髪の若者は告げた。その声に最初に我に返ったのは、息子の方だった。

「あ、なんだ、副会長サンじゃねぇか‥‥」
「知り合いか?」

ようやく父親も落ち着きを取り戻したのか、立ち上がりかけていた身体を再びソファに沈めた。

「うちのガッコの有名人だよ。生徒会の副会長やってる三年の玄奘サン」
「玄奘君か。ふむ‥‥君もなかなかに綺麗な顔立ちをしているね‥‥」
「‥‥親父」

父親が好色な色を載せた目で嘗め回すように若者の全身を舐っていると、息子が苛付いた目で睨んでくる。父親の面目を思い出したのか、男はごほんと咳払いした。

「わかっとる。で、その副会長さんが、一体何の用事かね?君は家宅不法侵入で訴えられても仕方ない事をしているんだがね」

ねめつけるような視線で凄んだが、若者は全く動じていなかった。

「では、こちらも暇ではないので手短に述べましょう。この屋敷に監禁している当校の男子生徒をお返し願いたい」

まさに単刀直入な申し出に、またしても鷭里親子はぽかんと口を開けた。

若者の声は変わらず静かだが、不思議な威圧感があった。
年齢から言えば、自分の息子と大差ない筈なのに、何故か自分より年上ではないかと錯覚させる貫禄が、この若者には備わっていた。たかだか17、8の子供に何を萎縮する必要があると自らに言い聞かせつつ、父親は精一杯の落ち着いた表情を取り繕った。

「‥‥何を言い出すかと思えば。そんな子など知らんよ」

す、と若者の紫暗が細められる。その射抜くような視線に、父親の身体が強張った。
 

―――これは‥‥。
 

父親は頭のどこかで警鐘が鳴っているのを聞いていた。曲がりなりにも社長として、それなりの経験を積んだ自分には理解できる、この感覚。
 

このガキを、甘く見るな。
 

「玄奘サンよぉ?妙な言いがかり付けてんじゃねーぞ、コラ。うちの親父は鷭里興産の社長だぞオイ?その気になりゃ、てめぇなんざ明日からガッコに来れねぇようにできんだぜ、おお?それとも親兄弟、全員で路頭に迷いてぇのかぁー?」

息子が、金髪の若者に食って掛かる。
父親は初めて、自分の息子を哀れだと思った。蟻が象に戦いを挑んで勝てるわけがないと、何故分からない?
だが息子を制止しようにも、若者の視線に射抜かれた身体はまるで束縛を受けたかのように動かず、声も出せない。

「おい、シカトしてんじゃねぇぞ!」

顔も向けない副会長に、息子はキレたようだ。それでも、若者の視線は父親に向けられたまま微動だにしない。

「―――そうやって、あの馬鹿も脅したのか」
「ぁあ?てめぇ、ナニ言って‥‥」

次の瞬間、派手な音を立てて息子が吹き飛んだ。息子の顔すら見ないまま、若者は彼の顔面に拳を叩き込んだのだ。テーブルの上のものを全てなぎ倒して、息子は床へと這い蹲って呻いていた。

「‥‥ふ‥‥がっ‥‥、お‥やじ‥ィ、おやじィ」

前歯を折り、鼻血を出したぐしゃぐしゃの顔で、息子は父親に救いの手を求めて這い寄ってくる。父親はようやく見えない束縛を振り切ったのか、のろりとした動作で立ち上がった。だが、父親の視線はのた打ち回る息子には向けられず、若者だけを捉えていた。そして金髪の若者は、入ってきたときと少しも変わらず静かな威圧感を携えて、堂々とそこに立っていた。

「君は‥‥いったい何者だ‥‥?」

声が震えた。既に内心の動揺を隠そうともしなかった。

どうしてもっと早く気付かなかったのか。使用人はおろか、こんな時のために高い金で雇っているボディガードですら、誰ひとり姿を見せないという違和感。

一体、何が起こっているのか。自分に。息子に。この屋敷に。

まるで悪夢を見ている気分だった。若者の強い視線に、呼吸すらままならない。
正直、恐怖すら感じていた。これが『畏怖』と呼ばれる感情であるのだろうと漠然と思った。なけなしの大人の意地を総動員し、何とか叫び出す事だけは堪えていた。

ちょうどその時、軽いノックと共に扉が開かれた。

「探し物、見つけたぜ?」

先程、使用人と共に消えた青年が顔を覗かせる。金髪の若者の視線が、初めて父親から外された。

どさりと、父親は再びソファに沈み込んだ。
ようやく若者の視線から解放されて、心底ほっとしていた。
 

 

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萌えなさすぎ…。

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