名を呼べば(6)
「ふざけんな!」 三蔵は朱泱の手を振り解こうと身を捩ったが、朱泱はそれを許さなかった。それどころか、ますます肩を掴む手に力が篭る。痛みに思わず目を眇めて朱泱を見ると、朱泱はいつになく厳しい顔で三蔵を見つめていた。 「いいか。17、8の頃の恋愛なんてのはな、一過性のハシカみたいなモンだ。しばらく会わなけりゃ、すぐに熱も冷める―――。悪いことは言わん、奴はやめとけ」 聞き分けのない子供のようにがむしゃらに暴れる三蔵を、朱泱が一際大きな声で怒鳴りつけた。 「お前は自分の立場がわかってんのか!」 ―――その瞬間、三蔵の抵抗がぴたりと止んだ。
三蔵の、立場。 忘れる筈もない。 だが、それを誰にも気取られるわけにはいかなかった。自分の何倍も生きてきた、一癖も二癖もある大人たちと対等に渡り合い、従わせるには、自分が子供であってはならなかった。必要なのは、絶対的な自信とそれに見合う実力。若造がと舐めてきた相手には、容赦のない制裁をもって他への見せしめとした事もある。どうにもならない事態に陥り、裏から手を回したのも一度や二度ではない。決して奇麗事ばかりではない世界で、三蔵は自分を殺す事を覚えた。 自分に圧し掛かるものに、押し潰されそうになった事もあった。普通の学生を羨んだ事もあった。夜中に悪夢に魘され、眠れない日が続く事も幾度となくあった。
三蔵は朱泱に掛けていた腕から力を抜いた。それが伝わったのか、朱泱も三蔵の肩を掴んでいた手を離す。 「‥‥‥‥俺は、今まで自分の仕事に不満を持った事はねぇ」 驚くほどに、穏やかな口調だった。 「あらかじめ決められた人生のレールに乗っかって生きるなんざゴメンだと思ってた。他の奴が作り上げたものの上に胡坐をかく人生なんざつまらねぇと思ってた。だが両親が死んで、親が守ってきたものを誰かが守る必要があって、実際に仕事を継いでみて‥‥、そんな生き方もアリかと気付いた。傍から見りゃ立派にお仕着せの人生だろうが、それが俺の選んだ道だ」 朱泱も八戒も、黙って聞いている。思えば三蔵が、こうして自分の心を素直に話すことなど初めてのことだった。あんなに慕っていた叔父が亡くなった時でさえ、三蔵は黙って耐えたのだ。 初めての、想い。 三蔵は、顔を上げて二人を見た。迷っている暇など、ない。 「確かに、俺は今熱に浮かされてるだけなのかもしれねぇ。一年後には、もう奴のことなんか思い出しもしなくなってんのかもしれねぇ。―――けど、今は!俺には奴が!必要なんだよ!」 想いが永遠であるなどと安い恋愛ドラマのような台詞を吐くつもりはない。だがここで、このまま男を手放せば必ず後悔するという事は、確信できた。 「‥‥‥僕たちを、敵に回してもですか?」 それは、孤立を意味していた。この二人が離れるという事は、三蔵は精神的な拠り所を完全に失う。この優秀な秘書と執事が支えてきたのは、決してビジネスの面だけではない。 「どうしてもそこをどかないと言うのなら、俺はこの場で役を降りる。しばらくはゴタゴタして迷惑をかけるだろうが――――俺の代わりは、いくらでもいる筈だ」 躊躇いはなかった。もしかしたら、あの男に惹かれた瞬間から、覚悟は出来ていたのかもしれなかった。 「二人とも今まで世話になった。本当に感謝してる。‥‥‥ありがとう」 頭を下げて静かに告げると、三蔵は一歩を踏み出した。
「ほーら言ったでしょ。絶対に聞かないって」 だが、予想に反して三蔵の耳に届いたのは、笑いを含んだ八戒と朱泱の声。驚きのあまり思わず振り向いた三蔵の目の前に、優しい笑みを浮かべる二人が立っている。 「お前ら‥‥?」 年長者二人がとても嬉しそうに微笑んでいるのが、三蔵には不思議だった。そんな三蔵の様子に、照れ臭そうに朱泱は鼻を擦った。 「ま、俺らの立場としてはすんなり『はいそうですか』ってわけにゃいかねーんだけどよ。まぁ、アレだ、お前が初めて自分から欲しがったもんだしな」 今度食事にでも招待するってのはどうでしょう。いや、もうこの家に住まわせちまおうぜ、部屋は余ってる。それはいい考えですね、人目を気にせず会える時間も増えますし。だろ?善は急げってな。彼の好きな色はリサーチ済みですから、彼の部屋のカーテンの色はやっぱり‥‥‥。 徐々にエスカレートしていく朱泱と八戒の会話を、三蔵は呆然とした面持ちで聞き流していた。何が起こったのか、頭が現実に追いついていない。 奴との仲を反対してるんじゃなかったのか?何でお前らが今後の俺たちの事を段取ってるんだ?‥‥‥‥俺たちを、認めてくれるのか? 「でも、ちょっと安心しましたよ、三蔵が歳相応に駄々をこねる姿を見られて。今まで普通の子供らしさに欠けてましたもんねぇ」 からからと笑い合う八戒と朱泱の表情には、どこか晴れ晴れとしたものが浮かんでいる。 「それになぁ、三蔵」 呆気にとられて言葉を失くしたままの三蔵の肩に、今度は軽く、朱泱が手を置いた。 「お前の代わりなんて、俺たちには何処にもいねぇんだよ」 八戒が、隣で一緒に頷いている。
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ますます高校生である意味がなくなってきました…(汗)