名を呼べば(2)

一度なら偶然で終わる。

だが、二度、三度と続けば、それは――――。

 

 

次第に、男と目が合う回数が増えていく。

視線を感じて初めて男の存在に気付くという事が何度かあり、男も自分を見ているのだと三蔵は知った。
だが、互いが互いを意識している事に気付いても、男も三蔵もその距離を縮めようとはしなかった。

初めて会話を交わしたのは、入学式から数ヶ月後の、夏の盛りのことだ。何年ぶりかの猛暑であると連日のニュースで捲くし立てられる通りの、酷く暑い夏の昼下がりのことだった。

「おい」
「‥‥んあ?」
「ここは、貴様の寝る場所じゃねぇ」

校内でも冷房の効く数少ない場所で、三蔵は男に出会った。
夏休みに一日だけ設定された登校日。旅行だなんだと理由を付けて、登校するのは全生徒数の半分ぐらいのものだ。休んだからといって特に罰則のあるわけでもない登校日は、単に暇な生徒たち同士の顔見せの場でしかなかった。
そして、暇でもない三蔵が学校へ足を向けた理由は、ひとつしかない。
その理由が、目の前にいた。さすがに今日は姿を見せないかと少々落胆した気分で生徒会室の扉を開けると、男が椅子にふんぞり返り、のんきな寝息を立てていた。

不機嫌を装う三蔵の声に、ゆっくりと瞳が開く。初めて間近に見る紅い瞳に、三蔵は目を奪われた。
こしこしと目を擦る仕草が、存外に幼い。

「生徒会室にクーラーがあるのって、チョー贔屓って気がすんですけど?会長サン?」
「この場所は建物の構造上、温度が異常に上昇するため夏場は特別に冷房が許されている。同様の理由で進路指導室、生徒相談室にも冷房設備は設置済みだ。別にここだけが特別なわけじゃねぇ。それに、俺は副会長だ」

一気に言葉を紡がないと、言語を忘れそうなほどの熱さを三蔵は感じていた。
さいですか、と男は唇の端を持ち上げる。よく見かけるこの男の笑い方だ。三蔵が足で椅子を小突くと、偉そうに机の上に載せていた長い足をしぶしぶといった態で下ろす。ふあ、とひとつ伸びをする姿は猫を彷彿とさせた。

「実質アンタがまわしてんじゃん、ここの生徒会。んなコトみんな知ってるって。なぁ、病弱で欠席の多い、謎のカリスマ副会長さんよ?」

鼻で笑いながら慣れた手つきで煙草を取り出す。三蔵は眉を顰めたが、特段咎めもしない。確かに三蔵はここの生徒会の副会長だったが、実質はただの役員だった一年生の頃から全ての決定権を握っていた。

ため息をひとつつくと、三蔵はそれきり男を見ることなく、放り出したままだった資料の整理に取り掛かった。男は黙ってそれを見ていたが、煙草を吸い終わると、じゃな、と片手を上げて出て行った。ドアが完全に閉じられる前、ようやく三蔵は顔を上げて男の紅い髪が翻るのを見送った。それだけだった。

 

 

やがて夏休みが終わり、新学期が始まった。
頻繁とは言わないまでも、男は生徒会室を訪れるようになった。但し、決まって他の生徒がいないときを見計らっての来訪だった。三蔵もまた、登校できる日は極力放課後まで残り、生徒会室に顔を出すのが習慣となった。

「制服ってさ、やーらしくねぇ?」
「何だ急に」
「なーんとなく。ストイックな感じがそそるっつーか」
「‥‥表のスーパーにでも行け」
「えー?あそこの花柄エプロン趣味悪ぃから却下〜。オジン多いし」

くだらない会話を持ちかけて、男は去る。きっちり煙草一本分の短い時間だったが、三蔵はそのひとときを待ち望んでいた。触れそうで触れない、互いに踏み込ませない微妙な距離を楽しんでいた。
 

男との奇妙な逢瀬が始まって、一年が過ぎた。
転機は突然やってきた。
 

 

 

 

 

ある日の昼休み。いつのもように、男は友人たちと笑いあっていて、三蔵はその姿を窓から見下ろしていた。
残暑厳しい季節にあの派手な頭は暑苦しいと思った三蔵の思考が通じたのかどうか、男は近くの手洗い場に頭を突っ込むと蛇口を捻り、制服が濡れるのも構わず水を浴び始めた。ひとしきり頭を冷やして満足したのか勢いを付けて頭を上げる。弾みで水滴があたりに飛び散り、友人たちが笑いながら逃げ惑う。男はだらしなく羽織っていた半袖のシャツを脱ぎ捨て、タオル代わりに頭を拭いた。遠巻きの女生徒の黄色い歓声と友人たちのげらげら笑う声が、三蔵の耳にも届いていた。
初めて三蔵は、男の肌を目にした。
案外に細いが、無駄の無い筋肉の付いた、均整の取れた身体だった。

突然、男が三蔵の方を見上げた。挑戦的に口元を引き上げると、自らの肩を撫で回すような仕草を見せる。
その瞬間、身体の芯が痺れるのを、三蔵は感じた。
自身の中で爆発寸前にまで膨らんだそれは、はっきりと肉欲を伴った感情だった。

やめろ。と心で叫んだ。

俺だ。お前の肌に触れていいのは俺だけだ。

 

もし、ここが学校という衆人環視の中でなければ、三蔵は男に駆け寄って押し倒していたかもしれなかった。それほどに激しく、荒々しい衝動だった。
男が目を逸らせる瞬間に見せた勝ち誇った表情に、感じたのは屈辱だった。同時に、報復を決意する。自覚してしまえば、単純な話だった。

翌日の昼休み、三蔵は校舎の下で仲間とたむろしている男の視界に入る窓に、わざと移動した。案の定、男は何気なく視線を寄越した。
男の目を見ながら、三蔵は自分の唇をゆっくりと舐めた。
媚びた表情などは必要ない。普段の通り、他人を捻じ伏せるだけの威圧感を滲ませて、視線だけで命令を下せばいいだけの話だ。

学校ではかつて見せた事のない、三蔵の『素顔』を目の当たりにし、男の顔から笑みが掻き消え、呆けたように固まった。その頬が赤く染まっているのに満足し、三蔵はすぐに踵を返した。男の視線が下から自分の背を追ってくるのが、堪らなく心地よかった。

馬鹿な意地を張っている、と自覚していた。子供としての意地と大人としての欲望が混在している自分を、三蔵は初めて知った。以前なら、唾棄すべき状況だと自らを嫌悪しただろう。だが、今はそれが無性に楽しくて仕方がなかった。

どちらが先に相手を落とすのか、なんて。
傍から見れば青臭いだけの、くだらないプライドに違いないけれど。
 

――――さて、これからどうしてやろうか。

今後の攻防に思いを馳せ、三蔵の心は浮き立った。

 

どうせ時間は、たっぷりある。
 

 

BACK NEXT


ホンマに高校生なんでしょうか、この人たち…。青くなさすぎ…///

|TOP||NOVEL|