その男の名は、沙悟浄。

 

酒はザル。休み時間は概ね喫煙タイム。付き合った女は星の数、泣かせた女も星の数。
高校2年生にしてその浮名は、普段友人たちとの噂話などにも縁遠い三蔵の耳にも届くほどに、学校中に知れ渡っていた。
 

 

 

 

 

名を呼べば
 

 

 

 

 

 

初めて男の存在を知ったのは三蔵が2年に進級した春の、入学式のときだった。

事もあろうに式典に遅刻してきた男は、入り口付近で警備員と問答をした挙句、その場から立ち去ろうとして教師連中に引き止められていた。
突然の騒ぎに三蔵が振り向けば、何よりも目を引いた紅い長髪。
式典が終了し生徒たちが各教室に散っていく中、男は教師に引き摺られて職員室へと向かっていった。派手なTシャツの上に、一見して誰かのお下がりだと知れるくたびれたブレザーを引っ掛け、ぼろぼろのスニーカーの後ろをだらしなく踏ん付けている。それなりの進学校にあって、いかにも袋から出したての上着をきっちりと着込んだ新入生を見慣れていた三蔵は、僅かながら驚いた。

目立つ新入生の噂はあっという間に全校内を駆け巡り、ひとつ上の学年である三蔵の耳にも何とはなしに入ってきた。

男は、遠くの中学の出身だった。
中学の頃より喧嘩が多く、地元の高校では受け入れられなかったと、実しやかな噂も流れた。親はいないらしいという部分は、生徒の間よりはむしろ教師たちの間で納得のいく境遇であっただろう。だが、持ち前の明るさと人懐こさで、生徒間の評判は悪くなかった。何度も校内で姿を見かけたが、男はいつも一人ではなかった。複数の人間に囲まれ、楽しそうに笑っていた。
意外にも成績は悪くなく、スポーツは万能で容姿も上の部類に入るとあっては、女生徒の人気が高いのも無理からぬ話だった。

 

ある日、三蔵が廊下を歩いていると、前方から男が歩いてきた。教室の移動らしく、二人の友人に挟まれて談笑しながら近付いてくる。
当然、何事もなくすれ違う筈だった。横を通り過ぎる瞬間、ふと、三蔵が男の方に目を向けたのに、深い意味は無かった。彼の存在を何よりも強く主張しているその紅い髪が、染めによるものではなく実は地毛であるという噂を思い出したからかもしれない。校則では髪の色や長さに関する禁則は無いため、バリカンを持った教師に追いかけられるという目にはあわずに済んでいるらしい。この校則により進学する高校を決めたのだと、本人が語っていたとも耳にしていた。

三蔵の通うこの私立高校は、名の知れた進学校でありながら『自由な校風』が売り物で、問題のある生徒もそれなりに集まるが、不思議と荒んだ空気はなかった。細かな締め付けがない分、幼稚な反抗心を振りかざす必要もないのかもしれない。トラブルはあっても些細なもので、学校の名を底辺にまで貶めるものではなかった。却って、個性を伸ばす教育であると父兄たちの評判は悪くないという。平和なことだ。

男が友人たちとのくだらない会話に夢中であるのを幸いに、ちらりと視線を男に流した。だが、友人たちに向けられているだろうと予測していた男の目は、何故か真っ直ぐに三蔵を捕らえていた。
視線が交差した瞬間、不覚にも心臓が跳ねた。

男の瞳も髪と同様に赤味がかっている事を、三蔵は初めて知った。

そのまま足を止めずにすれ違う。時間にすれば、一瞬にも満たない。だが、男の本質が、今も浮かべている笑みとはかけ離れている事を知るには十分な時間だった。
顔は笑っているのに、男の瞳は全く笑ってはいない。ただ、何者にも屈しない強い意思が光となって瞳に宿っていた。野生の獣のような激しい美しさに、三蔵はつい足を止めてその背を見送った。

すぐに友人たちとの会話に戻った男の背からは、今しがた垣間見せた男の深淵は掻き消されていた。取り留めのない冗談でも口にしたのか、友人たちがどっと笑い、男もまた笑った。男が角を曲がり、その背が見えなくなるまで、三蔵はその場に立ち尽くしたままだった。

それからは、男を目で追ってしまっていた。

学年が違うために校内で遭遇する機会などは稀だったが、それでも昼休みの時間や放課後など、大体の行動パターンは直ぐに掴めた。
三蔵も無遅刻無欠席を貫く優等生ではなく、始業から終業まで学校にいることは滅多に無い。級友たちに理由を聞かれ、面倒臭さから病弱だからと咄嗟についた嘘が、すんなりと信じられてしまったときには少々複雑だったが、詮索されるよりは余程都合が良かった。
そんな行状でも学校側から何の咎めもないのは、ひとえに三蔵のズバ抜けた成績のせいだと、皆は勝手に納得したようだった。

三蔵の事情はどうあれ、限られた時間の中では、一週間に数度しか意識して男の姿を探す事など出来なかった。だが、その僅かな機会を心待ちにしている自分に気付いていた。ほんの少し、学校に通うのが楽しくなった。

幼い頃から外国暮らしが長かった三蔵は、15歳で帰国するまでにスキップして大学まで卒業していた。帰国した事情を鑑みれば日本の高校になど通う暇などないと考えていたのだが、『青春をエンジョイできるのは、今のうちだけですよ〜』とにこやかな笑顔を湛えた叔父に強引に諭され、高校へ入学させられたばかりか、生徒会にまで関わる羽目になっていた。そんなこんなで、温和な笑顔で押しの強い叔父の思惑通り、三蔵は表面上は平凡な学生生活というものを享受していた。

毎日が、退屈だった。学校など、三蔵にとっては無駄な時間を費やす場所でしかなかった。

そう、男と出会う前までは。
 

 

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