その男の名は、沙悟浄。
酒はザル。休み時間は概ね喫煙タイム。付き合った女は星の数、泣かせた女も星の数。
名を呼べば
初めて男の存在を知ったのは三蔵が2年に進級した春の、入学式のときだった。 事もあろうに式典に遅刻してきた男は、入り口付近で警備員と問答をした挙句、その場から立ち去ろうとして教師連中に引き止められていた。 目立つ新入生の噂はあっという間に全校内を駆け巡り、ひとつ上の学年である三蔵の耳にも何とはなしに入ってきた。 男は、遠くの中学の出身だった。
ある日、三蔵が廊下を歩いていると、前方から男が歩いてきた。教室の移動らしく、二人の友人に挟まれて談笑しながら近付いてくる。 三蔵の通うこの私立高校は、名の知れた進学校でありながら『自由な校風』が売り物で、問題のある生徒もそれなりに集まるが、不思議と荒んだ空気はなかった。細かな締め付けがない分、幼稚な反抗心を振りかざす必要もないのかもしれない。トラブルはあっても些細なもので、学校の名を底辺にまで貶めるものではなかった。却って、個性を伸ばす教育であると父兄たちの評判は悪くないという。平和なことだ。 男が友人たちとのくだらない会話に夢中であるのを幸いに、ちらりと視線を男に流した。だが、友人たちに向けられているだろうと予測していた男の目は、何故か真っ直ぐに三蔵を捕らえていた。 男の瞳も髪と同様に赤味がかっている事を、三蔵は初めて知った。 そのまま足を止めずにすれ違う。時間にすれば、一瞬にも満たない。だが、男の本質が、今も浮かべている笑みとはかけ離れている事を知るには十分な時間だった。 すぐに友人たちとの会話に戻った男の背からは、今しがた垣間見せた男の深淵は掻き消されていた。取り留めのない冗談でも口にしたのか、友人たちがどっと笑い、男もまた笑った。男が角を曲がり、その背が見えなくなるまで、三蔵はその場に立ち尽くしたままだった。 それからは、男を目で追ってしまっていた。 学年が違うために校内で遭遇する機会などは稀だったが、それでも昼休みの時間や放課後など、大体の行動パターンは直ぐに掴めた。 三蔵の事情はどうあれ、限られた時間の中では、一週間に数度しか意識して男の姿を探す事など出来なかった。だが、その僅かな機会を心待ちにしている自分に気付いていた。ほんの少し、学校に通うのが楽しくなった。 幼い頃から外国暮らしが長かった三蔵は、15歳で帰国するまでにスキップして大学まで卒業していた。帰国した事情を鑑みれば日本の高校になど通う暇などないと考えていたのだが、『青春をエンジョイできるのは、今のうちだけですよ〜』とにこやかな笑顔を湛えた叔父に強引に諭され、高校へ入学させられたばかりか、生徒会にまで関わる羽目になっていた。そんなこんなで、温和な笑顔で押しの強い叔父の思惑通り、三蔵は表面上は平凡な学生生活というものを享受していた。 毎日が、退屈だった。学校など、三蔵にとっては無駄な時間を費やす場所でしかなかった。 そう、男と出会う前までは。
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