初日の続き(2)

悟浄と三蔵の身体の上に、次々と圧し掛かる僧侶たち。あっという間に、三蔵たちは押しつぶされ、そこにはこんもりとした僧侶たちの小山が出来上がっていた。
勝ち誇った老僧の声が路地に響く。

「ふっふっふっ。壮大なナイアガラの大瀑布の如く、幾重にも降りかかる人間シャワー。いかな三蔵様でも、この重量からは逃れられまいて」

「僧正様は、ナイアガラの滝をご覧になった事がおありなので?」

確かこのお方は幼い頃この町で仏門に入ってから、一番遠くに出かけたのも長安の斜陽殿見学だった筈、とお付の僧侶は驚いた。その時に、土産として自分も斜陽殿キーホルダーを貰った記憶がある。

「今月号の『月刊旅の友』、"今イチオシは癒し系。滝に出かけてマイナスイオンを浴びちゃおう!"特集に写真が載っておったのじゃ」

おおっ、と周りの僧侶たちからどよめきが起こる。さすが僧正様だ。勉強熱心でいらっしゃる。と口々に老僧を誉めそやす声が若い僧侶から上がり、老僧は得意げに胸を張った。
 

「さ、もう三蔵様もお分かりになった事じゃろう。そろそろ‥‥」

退いて差し上げよ、と指示しようとした老僧の耳に、微かに届くのは――――低い声――これは、般若心経――?

「いかん!離れるのじゃ!」

瞬間、辺りは眼も眩まんばかりの光に包まれ、僧侶たちの身体は吹き飛んでいた。
 

 

 

 

僧侶たちが吹き飛ぶように跳ね飛ばされた後、のそりと立ち上がったのは、紅い髪の男。
金髪の最高僧の姿は、何処にも無い。

「あり?」

老僧をはじめ、その場に居た誰も――――吹き飛ばされた僧侶ですら、何が起こったのかわかっていなかった。

「あり?じゃねーよ‥‥」

ギクリ。

地を這うような声。悟浄が乱れた髪をかき上げながら老僧を睨んでいる。その全身から滲み出る殺気さえ含んだ威圧感に、僧侶たちは身を竦ませた。老僧でさえ、ごくりと唾を飲み込んだほどに、目の前の男の怒りがびしびしと伝わってくる。
所詮、悟浄が本気になればそこいらの人間の僧侶など敵ではない。が。

「随分、人の事コケにしてくれんじゃねーか‥‥‥‥ええ?三蔵様よ!!」

「は?」

僧侶たちは、別の意味で固まった。
良く見れば、悟浄が先程から睨んでいるのは、老僧ではなく。その視線は老僧の背後に焦点を結んでいる。

そこには、退屈そうにマルボロを燻らせる、三蔵法師の姿があった。
 

「い、いつの間に、背後に‥‥」

うろたえる老僧や僧侶たちを他所に、悟浄は三蔵への怒りを露にしていた。

「てめぇ‥‥よくもやってくれやがったな」
「何の話だ」
「とぼけんな!坊主共が襲い掛かってきた瞬間、俺を蹴り出して盾にしやがっただろうが!」

そう。三蔵は悟浄に僧侶たちの攻撃が集中した隙に、素早く脱出していたのだった。

「下僕が主人を守るのは当然だろ。それにちゃんと助けてやっただろうが。文句言うな」
「てめぇがやったのは経唱えて目くらましの光玉投げただけじゃねーか。坊主共を振り払ったのは、結局俺だろ!」
「肉体労働担当にはうってつけだ‥‥ああ、それとも、この後に控えた激しい運動に差し支えるのを心配してんのか?」
「‥‥てっ、てめぇって奴は‥‥」

わなわなと怒りに震える悟浄が、こいつどうしてくれようと三蔵に一歩近付こうとした時。
微かな呻き声を発したかと思う間もなく、老僧の身体がその場に崩れ落ちた。
 

 

 

 

「僧正様!」
「おい、じいさん!?」

突然倒れ込んだ老僧の様子に焦った僧侶と悟浄の声が飛ぶ。だが、がばりと顔を上げた老僧を見て、悟浄はきっかり三歩分、飛びずさった。

老僧の顔には、それこそナイアガラさながらの滂沱の涙。あまりの衝撃に悟浄は飛び退いたままの変なポーズで固まっている。

「おみそれいたしました!三蔵様!」

いきなり老僧が三蔵の足元に平伏した。

「その冷静な判断力、敏捷な行動、そしてお優しいお心遣い‥‥。我らを傷つけまいと、術をお使いにならなかったのでござりましょう‥‥この老いぼれ、感服いたしました!」

「‥‥‥いや、ただ単に面倒臭かっただけだと思うぜ、こいつは」

煙草をふかしたまま返事もしない三蔵に代わり、変なポーズのまま悟浄は冷静に突っ込んだ。だが、老僧は怯まない。

「それに引き換え拙僧は‥‥。三蔵様を長くお引止めし『三蔵様縁の寺』として、三蔵様キャラクターグッズを販売しようなどと‥‥。若者向けには三蔵様のご尊顔を象ったクッキー、年配向けには『玄奘三蔵の慈悲』のネーミングの饅頭が無難であろ、とか。三蔵様のお名前入りのお守りならば定価の三倍でもイけるわい、とか。三蔵様グッズ一万円以上ご購入につき隠し撮り三蔵様生写真を一枚プレゼントで売り上げ倍増じゃ!とか。遠方の信者には通販という手もあるでの、とか。その売り上げでボロっちくなった本堂を修繕するべし!とか。ヘタしたら丸ごと建て直せるかもしれんわな、とか‥‥‥。ああっ!我が身を恥じるばかりなり!せめてお写真のプレゼントは、五千円以上お買い上げの方対象とするべきじゃろうに!」

「‥‥いや、そういう問題じゃねぇだろ」

悟浄の突っ込みも、テンションの上がりきった老僧の前では、心なしか弱々しい。

「そして何より、心貧しい身共に比べ、わが身を賭しても三蔵様を庇う従者の方のお姿の、何と清清しい事よ―――。この爺、猛烈に感動いたしましてございます!」
「いや、庇ってねぇし。聞いてたのかよ、今までの俺らの話をよ」

「修行を積んだ我々とて、なかなかにそのような行動は取れぬもの‥‥さすが三蔵様のお弟子にございます。拙僧など、この身の修行未だ成らぬと痛感いたした次第にて―――」
「だから弟子でもねぇし。聞けっつーの、人の話を」

「どうやら拙僧の完敗にございます‥‥‥‥大切なお教えを、頂戴いたしました」
「何の教えだよ、何の」

だが、やはり悟浄の言葉は全く聞こえてないらしく、老僧は皺まみれの顔に潤んだ目を精一杯キラキラと輝かせた何とも言えない表情で、ひたすら食い入るように三蔵を見詰めている。

そこでようやく三蔵は、老僧に視線を移し口を開いた。

「ふっ‥‥分かってくれたようだな。俺の言わんとする事を」
「三蔵様‥‥」

熱く視線を交わす二人の間には、ある種の友情めいたものが生まれつつあるようだ。
まるで映画のワンシーンのような光景に、周りの僧侶たちは皆、感動の涙を流している。

(もう、勝手にして‥‥)

その中で悟浄だけが一人、疲れ果てていた。
 

 

 

 

不思議な感動がその場を支配する中、一人の僧侶が不意に叫んだ。

「ですが僧正様!三蔵様ご尊顔クッキーは既に業者に発注してしまいました‥‥いかがいたしましょう!」
「うぬう、そうであったな‥‥。致し方ない、それはちょっと若い頃のワシの顔、という事にして販売するのじゃ!包装には商品名の上にワシの名の訂正シールを貼れば、問題なかろうて!」

「え?」

いくらなんでも、それは無理だろう。これには悟浄のみならず、周りの僧侶たちも言葉を失ったようだ。

「案ずるな。これでも、若い時には三蔵様に負けず劣らずの色男じゃったに‥‥。托鉢にでれば街中の女子の黄色い声を集め、僧房では兄弟子たちの熱い視線を一身に集め‥‥あの頃は罪作りな我が身を呪ったものよ」

(‥‥‥‥って事は、三蔵もいつかはこんな風に‥‥)

どこか遠くを見やりながら懐かしむように目を細める、妖怪のメタモルフォーゼと言われても違和感のない皺まみれの顔を眺めつつ、悟浄はつい恐ろしい想像をしてしまった。
そしてそれはやはり悟浄だけではなく。老僧を除き、超絶に不機嫌な三蔵を含めたその場の全員が同じ事を想像し、うすら寒いものを感じていたのだった。
 

「そうと決まれば早々に引き上げじゃ!我ら自身の力で本堂を建て直して見せようぞ!この数日の売り上げが今年一年の命運を分けると心得よ!目指せ正月期間売り上げ前年比1.5倍!」

どこかの百貨店の初売りセールのような檄を老僧が飛ばすと、あちこちから「おおーっ!」と応える声が上がる。

「では、我らはこれにて。お二方ともお健やかに‥‥‥‥。さあ、皆の衆!いざ帰らん!」

そして老僧は登場したときと同じくキックボードを颯爽と操り、去っていった。

「三蔵様、お元気で!」
「本堂の再建はお任せあれ!」

僧侶たちも口々に三蔵たちに声をかけると、「ああ〜、今日も明日もいい天気〜、お参り日和だな〜こりゃこりゃ」と謎の歌を合唱しながら、老僧へ続き走り去っていった。
 

 

ぽつんと二人取り残された路地に、静寂が落ちる。

「はあ。疲れたー」

悟浄がずるずると塀を背にしゃがみこむ。眠っていない上に、朝からずっと走りっぱなしでボロボロだった。

「だらしねぇな」

上から、三蔵の声がする。うっせぇよ。顔も上げずに返事した。

「何か、エネルギー足りねぇって感じ。そーいや、夕べから殆ど食わずに飲んでたんだわ俺。何だかなぁ、猿の気持ちがちょっと分か‥‥」

続きは、むせ返るようなマルボロの香りに飲み込まれた。
唇を薄く開くと、すぐに舌が滑り込んでくる。今日何度目か分からない口付けを、二人は夢中になって交わした。不意に三蔵が身体を離し、立ち上がる。悟浄に背を向けるようにして、再び煙草を取り出した。

「宿まで歩けるぐらいのエネルギーになったか?」
「も少し‥‥足りね‥‥」

もう一度、と強請る悟浄の声に、三蔵は火も点けていない煙草を握り潰し、忌々しげに舌打ちした。

「ここでヤられたくなかったら、さっさと立て」

どこかその声に切羽詰った響きが含まれているのは、悟浄の聞き違いではないだろう。

クスクスと悟浄は笑い、立ち上がった。
多分帰りも走る事になるんだろうなぁ、と思いながら。
 

 

「三蔵&悟浄 遠い旅路」了

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