―――服用により思い通りの効果が現れなかった場合は、直ちに行為を中止し、大量の水を飲ませてください。そのままでも直に薬は切れますが、より早く相手の理性を取り戻す事が出来ます。

――――――ハッピーメディスン説明書より抜粋
 

 

 

 

 

Happy Medicine その5
 

 

 

 

 

『何だか物凄い声が聞こえたけど、まさか殺し合いでもしてるんじゃ‥‥』
『お騒がせして申し訳ありません。大丈夫ですから』

―――多分。

心配する宿の主人を宥めながら、心の中でそう付け足したのは夕べの事。
結局よく眠れなかった八戒は、隣のベッドで熟睡する悟空を置いて、少し早めに起き出した。
あの二人がどうなったのか。というより、三蔵がどうなったのか。何より、自分は三蔵に殺されずに済むだろうか。

(いっそのこと、このまま逃げちゃいましょうか‥‥)

取りあえずこの重い頭を冴えさせなければ。八戒は濃いコーヒーでも、と食堂の扉をくぐり―――、今日という今日ばかりは自分の間の悪さというものを呪いたくなった。

誰もいないはずの早朝の食堂。だが、目の前にはこちらに背を向けてコーヒーを啜る人物の後姿。
常ならば光り輝くようなその金色の髪が、今朝はやや艶をなくし、心なしかパサついているように見えるのは。全体的に、疲労困憊といった雰囲気が漂っているのは。

(き、きっと僕の気のせいですよねっ)

すかさず近付いてきた宿の主人にコーヒーを頼む。他のテーブルにつくのも不自然な話で、八戒は驚くべき精神力でやや凍りついた笑顔を何とか顔に貼り付かせると、一度も振り向かない最高僧の向かい側に腰掛けた。

「おはようございます、三蔵。随分と早いお目覚めで‥‥」
「ぁあ″?」

やはり、食堂の扉を開いた時点で逃亡すべきだったと八戒は後悔した。
ぎらり、と底光りする目で睨み上げる三蔵の表情はまるで羅刹か極卒か。血走った目と色濃い目の下の隈が、三蔵が夕べ一睡も出来なかった事を如実に物語っている。

(あああ怒ってる、やっぱ怒ってる〜っ!)

八戒は笑顔のまま固まりつつも、内心の滝のような涙を拭った。

「あ、あの‥‥その‥‥、今日の出発は延期ですか?」
「あ?何言ってんだ貴様」
「だって、辛いでしょう、腰‥‥?薬のせいで悟浄も加減できなかったでしょうし」

慣れない内は皆同じですから、恥ずかしがらずに休んでいればいいのに。

一応は八戒なりの精一杯の心遣いだったのだが、三蔵は顔を真っ赤にし、テーブルを派手に叩いて立ち上がった。

「俺が、あの赤ゴキブリに突っ込まれるワケねーだろーがっ!」

『しーっ!三蔵っ!声が大きい!』

突然の大声に、咄嗟に八戒は辺りを見回す。幸い、今ここにいるのは自分達だけのようだ。そう言えば、他の宿泊客はいないんだった、と八戒はほっと胸を撫で下ろす。

『‥‥‥違うんですか?』
『大概ヤバかったがな』

男二人が、ひそひそと顔を突き合せているのも一種異様な光景かもしれない。そこに宿の主人が八戒のコーヒーを持って現れた。二人がさりげなく顔を離すと、何事もなかったかのような沈黙が落ちる。
三蔵のカップにもお代わりのコーヒーを継ぎ足すと、主人はちらりと八戒を見やってから黙って厨房の奥へと消えていった。

『水でも飲ませたんですか』
『‥‥まあな。とにかく俺は金輪際、妙な薬は』

「あ、ちょっと三蔵。このチラシ‥‥」

主人が去った後、小声で再開された会話を再び打ち切った八戒の視線の先には、あの薬を手に入れた薬局の折込チラシ。

 

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「「‥‥‥‥」」

奇妙な間が二人の間を流れる。

「あの‥‥三蔵」

それを打ち破るように、八戒が口を開いた。勿論、ある伺いを立てる呼びかけだ。

「‥‥‥‥一応、買っとけ」
「‥‥はい」

どうやらこの最高僧の辞書には「懲りる」という文字は無いらしい。

(ふっ、見ていろエロ河童!今度こそ!)

―――二度と怪しげな薬は使わないとか言ってませんでしたっけ。

これ以上の藪蛇を避けるため、胸に浮かんだ突っ込みはそのまま胸の奥深くにしまい込み、八戒はリベンジに燃える三蔵をそっとしておく事に決めたのだった。
 

 

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