Happy Medicine 1.85(2)

「んー‥んー‥‥んっ」

突然、容赦なく与えられた深い口付けに、悟浄はパニックに陥った。ばんばんと三蔵の背を叩き解放を促すが、一向に三蔵は放してくれる気配が無い。
長い時間をかけ、余すところ無く口内を蹂躙したと思いきや、僅かな息継ぎの時間を与えると再び唇が重ねられ、舌を絡ませられる。

(こんのぉ〜、いい加減にしろよっ!)

僅かな隙を突き、そのそろ本気で跳ね除けようかと悟浄が三蔵の肩にかけた手に力を込めた時、その呟きは耳に飛び込んできた。

「ごじょ‥‥」

部屋を訪れて初めて聞く三蔵の声が、自分の名を形作った事に一種の感動を覚えながらも、心を鬼にして三蔵の身体を引き剥がしにかかる。
と、三蔵とまともに目が合った。

「‥‥ごじょ‥‥ヤなの?」
「はぁ!?」

思わず間抜けた声を上げてしまった悟浄は、自分の声に驚き慌てて周りを見回す。意味不明の行動に悟浄の動揺の激しさが伺えた。

(‥‥今、なんか恐ろしいモノを聞いてしまったような‥‥)

恐る恐る、目の前の三蔵の様子を伺う。悟浄の顔をじっと見つめる三蔵の表情に、普段と違う様子は特に見られない。

(いつもの、三蔵‥‥‥だよな?)
 

いやいや、今のは俺の聞き違いに違いねーな。ちょっとばかり名前を舌足らずに呼ばれたような気もすっけど、単なる聞き間違いだって。とーぜん『やなの?』は夢だ。幻だ。あーやだやだ、疲れて幻聴なんて俺も年かね、はっはっは。
 

さり気なく現実逃避に走る悟浄の目の前で、しかし現実は容赦なく圧し掛かる。

「ごじょ‥‥おれのこと、きらい?」
「‥‥‥‥誰だっ!」

今度は躊躇いなく悟浄は三蔵の身体を跳ね除け、逆に三蔵の首を掴んでベッドへ押し付ける。

「てめぇ、何モンだ!?三蔵はどうした!何所にやった!?」

漲る殺気を隠しもせず詰問する。三蔵ではありえないこの言動。偽者としか考えられない。刺客の放った式神か。それとも、妖怪の変化か。どちらにしても、大した化けっぷりだ。
 

だが、そんな悟浄を悲しげに見上げる紫の瞳がじわじわと潤むのを見て、悟浄は戸惑った。

「いたいよ、ごじょ‥‥いたいよぉ」
「え‥‥あの‥‥‥」
「ごじょ‥‥‥」

悲しげに揺れる視線が、罪悪感にも似た痛みを悟浄にもたらす。
どう考えても三蔵であるはずが無いのに、その瞳に宿る光がとても懐かしいと感じるのは何故なのだろう。自分の知るどの色彩よりも美しく、誰よりも強い光を宿す筈のその瞳は、今は少し不安な陰りを帯びていて。それでもやはり三蔵のものとしか思えず、悟浄をただ混乱させる。
涙に濡れた瞳に真っ直ぐに見据えられ、悟浄はいつの間にか首から手を離していた。

「いつも、ほしいの‥‥おれだけ?」

耐え切れなくなった涙が、ほろりと紫の瞳から零れ出た。
三蔵がずっと聞きたかった事をようやく口にしていると、悟浄は気付いてはいない。ただ予想外の展開に、おろおろと狼狽するばかりだ。

――――こんなの絶対、三蔵じゃない。
 

だが、見た目も気配も、触れた肌の滑らかさも。先程の口付けの感覚にしても、全ては慣れ親しんだもので。間違えようも無く、三蔵自身のもの。

「もしかして、モノホン、かよ‥‥?」

えぐえぐと泣きじゃくる、まるで幼い子供に還ってしまったような三蔵の姿に、悟浄は途方に暮れるしかなかった。
 

 

 

******

 

しかし。と悟浄は思う。

いつまでもこのままという訳にもいくまい。
目の前の人物が紛れもなく三蔵だと認識した悟浄の、思考の切り替えは早かった。
取り合えず寝転んだままの三蔵の身体を何とか引っ張り起こして、ベッドの上で向かい合う。ごしごしと涙を拭う仕草はどこから見ても子供で、悟浄は意味もなくどぎまぎしてしまった。

「えーっと、お前。三蔵、なんだな?」

こっくりと、頷く。

「俺の事、分かる‥‥んだよな?」

再び、こっくり。

「んじゃ、今のお前の状態‥‥自覚してるか?」

今度は、きょとんと小首を傾げて。

(か、可愛い‥‥‥)

はっ、と悟浄は我に返り、ぶんぶんと首を振った。違う違う、そんな事言ってる場合じゃねぇって。

気を取り直し顔を上げると、心配そうに自分を覗き込む三蔵の顔のどアップがあって。

「わっ!?」

咄嗟に後ずさると、しゅん‥‥と悲しげに伏せられる瞳。うわ、マツゲ長〜。と、ついつい見とれてしまう。こういう異常な状況であるのに、何かしらそそられるものを感じるのは気のせいだろうか。
むくむくと、悟浄の中の『エロ河童』と称される部分が頭をもたげてくる。

これは‥‥‥‥ひょっとして、かなりオイシイ状況でないの!?

ものは試し、と自分の指を三蔵の唇の前にかざす。と、何の躊躇いもなく三蔵はその指を口に含んで舐め始めた。

(えええっ!マジ!?)

どこか恍惚とした表情で、ぴちゃぴちゃと音を立てつつ一心不乱に自分の指をしゃぶる三蔵の姿に、悟浄の下半身に電流にも似た衝撃が走る。

(こ、これは結構クるかも)

もういいと指を引けば、名残惜しそうに離れる唇から銀の糸を引く。そのまま白い頬に指を滑らすと、三蔵の身体が僅かに震えたのが伝わって。思わずマズったかと手を引こうとする悟浄だったが、三蔵はそれを引きとめるように自らの手を重ね、嬉しそうに微笑んだ。

「ごじょ‥‥あったかい」

すりすりと悟浄の手に頬を寄せ、幸せそうに笑う三蔵。
可愛い。猛烈に可愛い。どうしようもなく可愛い。

(ヤりてぇ‥‥‥)

ふと浮かんだ考えが指先から伝わったのか、三蔵は天使の笑みを浮かべたまま、頬に添えられた悟浄の手をそっとずらすと、その手のひらをぺろりと舐めた。
再び与えられた湿った感触と唇から覗く舌の赤さ。それだけで総毛立つほどの昂ぶりを感じてしまう。脳髄が溶け出しそうな感覚に、思考すらまともに働かない。
この背徳に溺れてしまえば、二度と抜け出せない。そんな予感。

(ヤべ。俺、勃ってる‥‥)

そんな悟浄の状態にくすりと笑うと、三蔵は自らの腰紐に手をかけて解き始めた。ぼーっと見とれていた悟浄だったが、すぐに三蔵の動きが止まっているのに気付いて怪訝に思い、三蔵の手元を覗き込む、と。

「‥‥‥とけない」

腰紐の結び目を手に俯く三蔵は、またしても目に溢れんばかりの涙を溜め、ふるふると肩を震わせている。慌てて悟浄は手を伸ばした。

「お、おぢさんが、やってあげるからね」

こくんと頷く仕草は、やはり鼻血モノだ。

(許せ、三蔵‥‥!)

すっかりイケナイおじさんと化していた悟浄は、鼻息も荒く三蔵の手を撫で回すのであった。
 

 

 

******

 

本来なら、早く元の三蔵に戻すべく何らかの手段を講ずるべきところなのだろう。だがいかんせん目の前の三蔵は、その言動、仕草の一つひとつが幼くて、凶悪的に愛らしい。

(落ち着け、俺!よくわかんねーけど相手は子供‥‥のつもりらしいぞ!多分!)

緊張で腰紐を緩める手付きが微妙にぎこちないのが自分でも笑える。
ほどなくハラリと三蔵の法衣の前が肌蹴た。恐る恐る顔を上げると、やはり嬉しそうに笑う三蔵の顔がそこにあって。つい見とれていると、ちゅ、と可愛らしい音を立てて口付けられる。

(ああもう、どうしてこんなに可愛いんだよっ‥‥)

気が付けば、その細い身体を押し倒していた。

「あ‥‥」

きょとんとした表情の三蔵に、罪悪感が降って湧く。

「わ、悪ぃ‥‥」

残った理性を総動員して、三蔵から身体を引き剥がす。此処まで来れば、悟浄にも三蔵の変調の理由が、間違えて飲んだという薬であるだろうと察しが付いていた。

八戒に相談して今後の対処を決めよう。それにしても、生理痛の薬を男が飲むとこんなに恐ろしい事になるとは知らなかった。自分も気をつけなければ―――――。

悟浄がやや間抜けた方向に思考を巡らせていると、不意に首に白い腕が巻き付いてきた。そのまま、有無を言わせず引き寄せられる。どうやら力は、大人の状態のままらしい。
見上げてくる三蔵の潤みきった瞳に誘われるままに、悟浄は唇を重ねた。すぐさま薄く開かれる唇の隙間から舌を捻じ込むと、ぴくりと震える体が愛おしい。殆ど無意識のまま、悟浄は三蔵の身体に手を這わせていた。抵抗が無いのをいい事に、唇を滑らせ、首筋を吸い上げる。自ら付けた赤い所有印に、眼が眩む程の欲望を掻き立てられる。ああ、そうだ。俺はずっと三蔵をこうやって―――――。

不意に三蔵の腕が上がる気配を感じて、悟浄は抵抗を覚悟した。が、その腕は緩やかに悟浄の背に回され、ぎゅ、とシャツを握り締められただけだった。

「い、いいのかよ?」

思わず声が上擦ってしまう。

「後で、文句言っても、し、知んねーぞ」

頼むから、今止めてくれ。でなければ、俺は、お前を、このまま。

だが、懇願にも似た悟浄の視線を受け止めて、三蔵は恥ずかしげに頬を染め、目を伏せた。

「ごじょ、だったら‥‥‥いいもん‥」

悟浄の中で、何かが切れる音がする。
夢中で三蔵の身体を抱きしめる悟浄の背に、三蔵の僅かに震える手が、再びしっかりと回された。
 

 

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