Give and Take(7)

「――――文句言ってた割には、平らげたじゃねえか」
「毒を盛られて死んだって、誰も困りゃしねーしな」

三蔵の言葉に吐き捨てるように返し、悟浄は空になった皿をテーブルの上に投げ出した。棘のある言葉とキツい視線での完全武装。取り付くシマがないとはこのことだろう。

あれから、取りあえず食事でもとの八戒の提案に、悟浄が難色を示したのは一瞬のこと。
空腹には勝てなかったのか、それとも、見知らぬ連中に囲まれる状況に腹を括ったのか。結局、三者に逃げ場を塞がれた悟浄は、渋々ながらも部屋に戻った。

「‥‥で?アンタが俺の見張りってわけ?ぁあ?」

行儀悪く音をたてて茶を飲み干した悟浄は、腹が膨れて余裕が出来たのかテーブルの上に足を乗せた横柄な態度で窓際に佇む男を見やった。目覚めた直後に見せた軽い雰囲気を削ぎ落とし、自分以外の全ての存在を威嚇するかの如く、隙のない視線を四方に配っている。
――――この部屋には自身と、白い法衣に身を包む僧侶の二人しかいないというのに。

悟浄の全身を包むのは、いっそ猜疑心といっても良いほどの警戒心。その姿はまるで、野生の狼を髣髴とさせる。頭を撫でようと迂闊に手を伸ばそうものなら、たちまち指を食いちぎられてしまうだろう。

「何故逃げた?」

悟浄の問いには答えず、三蔵は逆に問い返した。悟浄は警戒心もむき出しのまま、鼻で笑った。当然な事を聞くなと言いたいのだろう。

「フツーそれ聞く?アンタらみてぇな胡散臭ェ連中、信じろって方が無理だろ。坊主に妖怪?どんな取り合わせだよ一体。関わりあうのはゴメンだね」
「失った記憶には興味ねぇ、か?」
「俺的にゃ、失くしてねぇよ」

ギシ、と一際大きな音を立て、悟浄の椅子が鳴った。微妙なバランスをとりながら、傾いた椅子に背を預け頭の後ろで手を組んでいる。

「オタクらさ、案外頭悪い?せっかく逃げ出してやったんだから、俺のことなんか放っときゃいいじゃん。アンタらの言葉通りなら、俺はじきに自分のことも自分で出来なくなるお荷物になるんだろ?」
「このまま放置しておけば、まず間違いねぇな」
「じゃ、放っとけよ」
「何だと?」

三蔵が睨みつけても、悟浄は椅子を揺らし続けている。悟浄の視線は三蔵ではなく、壁へ漠然と向けられていた。

「そんなヤバい目してまで、取り戻したい記憶かどうかもわっかんねぇし?苦労して思い出した挙句、いっそ忘れたままだった方が‥‥なんてオチがいいとこだろ。それに大体アンタ、成功するって自信あんの?」
「俺がドジるか。もし失敗したら、貴様の精神が弱かったってこったな」
「へぇ、自信家なんだ」

嘘だった。
悟浄が頭痛を訴えないという事実が、今も三蔵の胸にはわだかまっている。
よしんば頭痛が始まり、三蔵の力で強引に継続させ術に抵抗させたとして、成功するかどうかの自信が根底から揺らいでいた。だが、それを悟浄に見せるわけにはいかなかった。

気取られないようにため息をつき、三蔵が袂に手を入れると、ガタンと大きな音が部屋に響いた。文字通り飛ぶように椅子を蹴り、テーブルを挟む位置で身を構える悟浄の姿を目の端に捉えながら、真新しいパッケージを破り中から取り出したものを口に銜える。

「いちいちビビってんじゃねぇよ」
「――ッ!」

反論しようにも、言い逃れの出来ない行動をとってしまったという自覚はあるらしく、悔しさに身体を震わせながら立ち尽くしている。数年後には、こんな場合でも皮肉気な笑みを消すことなく茶化して誤魔化す術を身につけるのだろう。
三蔵の出会った頃の、悟浄がそうだったように。

マッチの擦れる音がしてほどなく、独特の匂いが部屋に漂う。吐き出す煙と共に、三蔵は呟いた。

「‥‥そんなに怖いか。俺が」
「ハッ――。何よ、ソレ」

思い切り小馬鹿にしたように鼻で笑った悟浄だったが、失敗したことは傍から見ても明らかだった。三蔵の強い視線を受け、ぎこちない笑みのまま視線を外す。

「俺から逃げてぇんだろ?半端にケツ捲くるトコなんざ、変わってねぇな。進歩のない野郎だよ貴様は」
「知ったような口利いてんじゃねぇよ!」
「知ってるから言ってるんだ、馬鹿が」

咄嗟に荒げられた声に、平静を装って低く返した。動きたくても動けないのか、悟浄は白くなるほどに指を強く握り込んだまま立ち尽くしている。
悟浄は、明らかに三蔵に恐怖を感じている。だが、その視線を三蔵から外そうとはしなかった。
懐かしさを覚えるほどの大した意地だが、三蔵も負けるわけにはいかなかった。

壁に掛けられた時計の秒針だけが、部屋の中で木霊する。かなりの長い時間を、二人は無言のまま睨み合って過ごした。

 

 

 

「‥‥‥‥テメェに俺の何が分かるってんだよ」

やがて悟浄から絞り出された声は震えてこそいなかったが、全く力は篭っていなかった。

「なら貴様が何を考えてるのか当ててやろうか?『どうして俺はこいつと特別な仲になったのか』‥‥違うか?」
「‥‥っ!べ、別に、俺は‥‥っ!お生憎だけど、俺は気持ちヨけりゃ誰とだって‥‥ダチとだってオッケーなんだよっ。アンタだっておんなじだ、一度や二度、寝たからって‥‥、‥‥別に‥‥別に、特別ってワケじゃねえっ!」

あからさまな動揺。
この場から逃げ出したいと考えているのが手に取るように分かる。先程、記憶に執着していないと言ったのも、ただの口実なのだ。自分から、逃げ出すための。

「ただのダチと、怪我をおしてまでヤるのか?」
「ハンデがあったほうが盛り上がるんだよっ」

妖怪から受けた傷は、まだ完全には癒えてはいない。外傷は八戒が塞いだとはいえ、身体の奥に残るダメージは簡単に癒えるものではない。平気な素振りは見せているが、まだ、かなりの痛みがある筈だった。
無論、悟浄が素直に認めない事は先刻承知だ。だから、三蔵は決定打を繰り出した。
悟浄のシャツから覗く首筋のそれを、顎をしゃくって指し示す。

「それに、気付いた筈だ」
「‥‥!」

悟浄が、自らのシャツの首元をぎゅっと掴んだ。引きちぎらんばかりに力を込めた拳が、僅かに震えているのに三蔵は気付いている。
悟浄の身体の、至る所に散りばめられた、赤い痕。
着替えのとき、顔を洗うとき。どんなときでも嫌でも目に入るように、腕にも容赦なく刻んだ。

「お前は気軽に誰にでも、そんな真似を許すのか?」
「‥‥どうせ‥‥俺が‥‥眠ってる間に‥‥」

しどろもどろに答える悟浄からは、完全に余裕が失われている。突き付けられた事実に、虚勢が追いつかない。

「―――なら、これは何だ?」

三蔵が、自らの首筋を覆うアンダーの布を僅かに引き下げると、そこにも赤い所有印が刻まれていた。
ただし、悟浄の身体に残るものより、遥かにその赤みは薄い。

『どうせ夢なんだから、いいよな』

先程の情交で、悟浄が三蔵に残した自分の痕跡。すぐに消えるからな、と申し訳なさ気に呟いていた笑みはどこか翳りがあった。元から、悟浄は三蔵の身体に痕を残すことを好まなかった。余程機嫌がいい時に、戯れに付けることはあったが、三蔵が悟浄の身体に刻む印に比べれば、格段に数は少なく、色も薄いものだった。すぐに消えてしまうように、と悟浄が考えていることは明白で、三蔵はいつも歯痒く思っていたものだ。

「俺じゃねぇよ、そんなの」

泣き出しそうに歪んだ顔が吐き捨てる。

「お前だ。お前がさっき、俺に付けたものだ」
「‥‥知らねぇって俺は‥‥。違う、そんな筈ねぇ‥‥」

追い詰めて何が得られるのかは分からない。きっかけを与えれば、悟浄の記憶が呼び起こされるかもという淡い期待がないとは言わない。だが、単に、このまま他の連中と同列の存在としてみなされるのに抵抗があるというのも否定できなかった。

「認めろ、お前は俺を求めた。そして俺も、お前を」
「違う!違う!違う!そんな筈ねぇ!欲しいモンなんて‥‥あるハズねぇ!」

ガン!

鈍い音を立てて悟浄が壁に拳を打ち付けたのを、三蔵は黙って見つめていた。
正確には、『欲しがった筈はない』だろう。失う痛みを知る自分が何かを求めるのは愚かなことだと、悟浄は信じ込んでいたのだ。ずっと、昔から。

「俺は絶対に認めねぇ!‥‥どうせ捨てられんのに‥‥んなバカな事、俺がすっかよ!」

 

恐怖だ。

 

三蔵は唐突に理解した。悟浄が三蔵に対して頭痛を覚えない理由。すなわち三蔵を思い出したくない理由を。

悟浄は、覚えている。

記憶を失くしていた時の言動とはいえ、三蔵が悟浄を拒絶したことを、悟浄は覚えている。
その悲しみを思い出すのが怖いのだ。

『いつかオマエも俺の手を振り払うんだろうけどな‥‥』

先刻身体を繋げた時のことだった。一番最初に三蔵が悟浄の身体に押し入った時に、悟浄が身を捩りながら、上がる呼吸の合間に呟いた台詞。
何を抜かすかと、いささか乱暴なまでに揺さぶって、朦朧としている悟浄に前言を撤回させたのだが。
いずれ三蔵に捨てられると頑なに信じている悟浄。
あの確信に満ちた台詞は、イメージとして悟浄に残っていた拒絶の記憶が言わせたものなのだ。

―――――ぞっとした。

拒絶は、悟浄が最も恐れるもの。その記憶が残る限り、悟浄が三蔵を思い出したいと願う筈はない。
悟浄がゆっくりと時間をかけ、傷付きながらも必死で這い上がった高い崖。そこから一瞬で悟浄を蹴り落としたのは、他でもない三蔵なのだ。

「そんな記憶、俺は要らねぇ!アンタのことなんざ思い出したくねぇ!」

悟浄の叫びを聞きながら、三蔵は自分の頭の中が真っ白になっていくのを感じていた。
 

 

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もう、ドツボに嵌っていってます。三蔵様、そろそろヤバいですよ…。

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