Give and Take(6)

その『悟浄』は、現在16歳であると三人に告げた。

二度目となる状況説明を、八戒は淀みなく話し終えることが出来た。今度は悟浄が一言も口を挟まなかったからである。
悟浄は黙って、八戒の話に耳を傾けていた―――ように見えた。

「つまりさ。妖怪のせいで記憶が昔に戻っちゃってて忘れてるけど、俺はアンタらと一緒に旅してて、痛い目みれば、もしかしたら記憶が戻るかもしれないけど、戻らずにお花畑の世界に直行しちゃうかもしれない、と。そゆこと?」

あくまでも、口調は軽い。だが、突然に突き付けられた現実に対処し切れていないだろう事は想像に難くない。無理もない話だ。仮に誰が悟浄と同じ立場でも、はいそうですかと鵜呑みに出来る話ではなかった。だが、それでも。

「信じられないかもしれませんが、本当に‥‥」

懇願を含む八戒の声。必死だった。少しでも悟浄の心に届いて欲しいと。何もかも信じろとは言わないが、せめて、この危うい状況の認識だけはして欲しい。
だが、大方の予想を裏切って、悟浄はあっさりと頷いた。

「いいや、信じるよ?実際、フけてるもん今の俺。‥‥えーと、いくつだっけ?」
「22です」
「げー。マジかよ‥‥」

手渡されてからずっと握り締めたままの手鏡を、改めて覗き込む姿は本当に子供のようだ。

「けど、結構イイ男に育ったみたいじゃん?取りあえず合格ラインって感じかな」
「自分でイイ男って言うなよなー」
「事実だろ?」

思わず入れた悟空の突っ込みに、ニヤリと返される笑顔。張り詰めていた部屋の空気が僅かに緩んだ‥‥‥‥ような気がした。
八戒はちらりと三蔵の様子を伺った。相変わらず黙ったまま悟浄を見つめる姿にそっと嘆息し、鏡を覗き込んでは悟空と軽口を叩き合う悟浄に再度呼びかける。
ん?と向けられる瞳から目を逸らす訳にはいかない。意を決して、悟浄に切り出した。

「悟浄‥‥‥頭は痛くありませんか」
「いんや別に?」
「僕がさっき言った事、理解してます?あの、三蔵の事も――――」

三蔵が八戒を呼びに来た時、悟浄はまだベッドの中にいた。その様子から三蔵と褥を共にしたという事は一目瞭然だったし、本人も当然理解しているものと思ったが、八戒が予測していたような混乱や動揺が悟浄に見られない。
何より、三蔵が悟浄の記憶を取り戻す手立てを講じなかったのが不可思議だった。少しでも早ければ早いほど、悟浄にかかる負担は少なくて済むのではないのだろうか。

「俺は、そこの坊さんとイイ仲だった。‥‥‥だろ?ちゃんと聞いたぜ?」
「だって、‥‥‥だったら、アタマ痛いはずだっ!」

急に悟空が割って入った。

「三蔵のこと思い出したいって‥‥アタマ痛くなるだろ!?ちゃんと考えろよっ!」
「そんなこと言われてもなぁ‥‥‥」
「ホントに痛くねぇの?我慢すんなよ!?」
「しつけーな。痛くねぇって言ってんだろ?」
「でもっ‥‥‥!」
「――――悟空」

静かに遮る声の主を、悟空は振り返った。
何の表情も浮かんでいない、冷たいとすら思える美貌が、ただ悟浄を見つめている。悟浄を。ただ悟浄だけを、じっと見つめていた。
その紫暗に宿る影に、八戒と悟空は思い知らされた。悟浄が今まで一度も頭痛を訴えなかったのだということを。三蔵を想う記憶を持ち、身体を重ね、自らの想いが成就したと知らされてもなお、三蔵と共にあった『現在』を思い出したいと願わなかったのだと。
八戒と悟空は顔を見合わせ、途方に暮れたような表情を浮かべた。

「俺さぁ、これでも結構混乱してるんだよね。そうは見えないかもしれないケド」

悟浄が薄笑いを浮かべたままである事が、八戒には不思議でならなかった。どうして、笑っていられるのだろう。どうして、頭痛を覚えないのだろう。どうして、三蔵を思い出したくないのだろう。どうして、どうして――――?

「だからさ?ちょっと一人にしてくんねぇ?ゆっくり考えてみてぇんだわ、俺のコト、アンタらのコト――――そこの坊さんのコトも」

な?と確認されて八戒は我に返った。一応、もっとな意見に頷き、念のためにと再度決定権者の方向を伺えば、三蔵は既に壁から身を離し、部屋を後にするところだった。そのまま一度も振り返ることなく、ドアを開く。

最後まで無表情を崩さなかった最高僧の背を、八戒と悟空は困惑のまま見送るしかなかった。

 

 

 

 

 

「よいせ‥‥っと」

全員を部屋から追い出し、しっかりと内側からドアの鍵を掛けてから、悟浄はなるべく音を立てないように窓を開けた。外は、雨。夜の闇の中、湿った匂いが鼻をつく。

「けっ、土砂降りかよ」

実際に呟いた台詞ほどには嫌だと感じていないのか、悟浄は窓枠に手をかけると身軽な動きで外へと滑り出た。一応空を見上げてはみたものの、この暗闇では空も見えない。
やれやれと軽く首を振ると、濡れるのも厭わず一歩を踏み出した。

「ここの雨は、降り出したら当分止まんぞ」

不意に掛けられる声。
はっと振り向くと、建物の影に人がいる。暗闇の中、金色の髪と純白の法衣がぼんやりと浮かび上がっていた。

「相変わらず分かりやすいな、貴様は」

つい先程、真っ先に部屋を後にした筈の白い僧侶が、のそりと姿を現した。
続いて、モノクルをつけた青年がもの悲しい表情を湛えて悟浄の背後へと移動する。金の瞳が印象的な少年は、泣き出しそうに顔を歪めていた。

「俺らを信じてくれたんじゃねぇのかよ、悟浄‥‥」

呟かれた悟空の言葉に、悟浄は僅かに目を細める。逃亡の現場を押さえられたというのに、悪びれる素振りもない。

「信じる?」

目を細め、鼻で笑い。
まるで生まれて初めてその言葉を耳にしたかのように、少し首を傾げる。

「何を?‥‥誰を?」

口元に湛えた冷笑。斜め上から悟空を見下ろす、凍った瞳。
それは、紛れもなく。

 

悟空の知らない『誰か』だった。
 

 

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原作では、ガキ悟浄さんはウリなんか冗談じゃねぇ!ってすっごく荒んだ雰囲気でしたが///
ここでは、一応ウリやってました、ということで。ちょっと世慣れたしたたかさを。

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