Give and Take(5)

それから悟浄は狂ったように三蔵を求め、ついには意識を飛ばした。
 

三蔵は、悟浄の寝顔を黙って見下ろした。
少しこけた、頬。
衰弱の見える顔色。
 

自分が与えた仕打ちの表れを垣間見て、三蔵の心臓が締め付けられる。
そっと指を伸ばして頬の傷をなぞると、指先に痺れに似た痛みが走った気がした。頭も心も、何もかもが、痛い。
 

厳しい状況を口では説きながら、三蔵の心にはどこか欺瞞があった。きっと悟浄は自分とのことだけは思い出したいと願う筈だと。

しかし、現実は違っていた。
いつまで待っても、頭痛が起きない。

三蔵は動揺し、全身が粟立った。膨らむ焦燥のままに、悟浄を追い詰めるように抱いた。少し痩せて骨ばった悟浄の身体が、三蔵の劣情を誘う。悟浄が快楽の涙を滲ませる度、唇でそれを拭った。
情事の途中、睦言に似せて思い出を語った。
時には甘く囁き。
時には激しく揺さぶり。
懇願されても止めることなく、ひたすらに想いをぶつけた。
 

だが。
結局最後まで、ただの一度も。
 

悟浄は頭痛を訴えなかった。
 

―――ただの一度も。
 

 

 

『術に反発すれば頭痛が起こる』と判じたのは、自らの経験からだ。
一瞬、三蔵の脳裏に自らの仮説への疑念が湧いた。だが、それはすぐに捨て去った。発現の仕方が違えども、同じ妖怪の同じ術なのだ。解呪の方法は同一であると推測するのが自然である。何よりそれを疑うという事は、ほんの僅かな希望をも否定する事に等しい。

頭痛が起こらない。

その事実が示すのは―――悟浄が三蔵と共に在った頃の記憶を取り戻すことを望んでいないという、現実。愕然、という言葉では表せないほどの衝撃を三蔵が憶えていたということを、悟浄は気付いていただろうか。

悟浄との会話の中で、術に反発する頭痛が始まるのを待ち、術を破るまで継続させる。それが三蔵が八戒たちに示した計画だった。
三蔵が悟浄を思う度に頭痛を覚えたのは、誰よりも悟浄を思い出したいと、無意識に術に抵抗していたからだ。だからこそ、三蔵は包み隠さず自分と悟浄との関係を告げた。
悟浄が自らの存在に否定的な考えを持っていた頃の記憶しか持たないのであれば、三蔵への想いをそのまま忘れ去ることを望むのは分かりきっていた。ならば、想いが通じたと知れば、三蔵を求めるのに抵抗がなくなるだろうと思ったのだ。自分の欲求に素直に、三蔵にその手を伸ばしてくれると甘く考えていた。

愚かにも、三蔵は失念していた。
悟浄を手に入れてからの安寧の日々に慣れ、忘れていたのだ。

―――最高僧である三蔵の立場と禁忌の子供である自分の出生の間で、悟浄がどれほど苦しんだか。
―――悟浄がどんなに悩み、どれほどの勇気をもって、三蔵の手を取ったのか。

 

焦りが、胸を灼く。だが、気付いた時には既に手遅れだった。

 

軽い寝息を立てる悟浄の顔は穏やかで、こうしていると自分たちに降りかかっている出来事が全て夢の中のように思えてくる。
シーツに散らばる紅い髪、整った鼻梁。いつもは皮肉な笑みを浮かべる口元は、今はほの暗い部屋の明かりに照らされて柔らかな曲線を形作っている。前髪を持ち上げて額に軽く口付けると、くすぐったさを感じたのか、もぞもぞと身じろぎした。
まだ、時間的には夕刻だ。そろそろ二人の旅の同行者たちが様子を見に来るかもしれない。だが、三蔵は身を離す気にはなれなかった。出来るだけ長く、悟浄の側に居たかった。

もうじき始まる悪夢の前に。
 

「‥‥‥ん‥‥‥」

三蔵がただじっと見守る視線の先で、悟浄が寝返りをひとつうつ。少し寒いのか、シーツを引き上げる仕草に手を貸してやる。温もりを求めてごそごそと動いた足が三蔵のそれに当たると、悟浄の動きがぴたりと止まった。

三蔵は、動かない。ただじっと、悟浄を見詰めている。
悟浄の瞼がゆっくりと持ち上がり、中から紅玉が姿を現した。
初めて出会った頃と何ら変わらない綺麗な紅が、悟浄の顔を覗き込む形の三蔵の姿を真正面から捉える。
しぱしぱと目を数度瞬かせ―――――悟浄は跳ね起きた。

「あ‥‥?」

三蔵はただ黙って悟浄を見ていた。
逃げることは許されない。悟浄も同じことを体験したはずだった。自分に出来るのは、すぐにくるであろう衝撃を待つことだけだ。

忙しなく辺りの様子を見回していた悟浄だったが、自分と、同衾の相手が全裸である事に気付き、納得したように頷く。一言も口を利かない三蔵に焦れたのか、悟浄は、照れたような、それでいて全く心の篭ってない営業スマイルを浮かべ、僅かに首を傾げて見せた。
 

何が起こるのかは充分過ぎる程に分かっていたつもりだった。それなのに。

「えー、っと‥‥。俺、ヤる前にちゃんと金貰ったかな、お客さん?」
 

氷の刃で胸を貫かれる方が、まだマシだった。
 

 

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本当の悪夢は、これから。
 
というわけで、悟浄さんはすっかりお忘れになりました。
これから先はあまり愉快な展開ではありません…。先に謝っておきます…。

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