Give and Take(31)

久しぶりに、抜けるような青空が広がった。
いつにも増して忙しく立ち働く麗華は、裏庭中に洗濯物を干している最中だ。どうせこの晴天も長くは続かない。日が陰る前に少しでも乾かしておきたいと、休みなく動いては汗を滲った。汗ばんだ素肌には丁度よい風が、時折そよぐ。太陽の光を浴びる洗濯物たちも、気持ち良さそうに風を受けはためいていた。

突然、広げたシーツが風に逆らい不自然に揺れた。一面の白の中から、ひょこりと覗いた、紅い髪。

「大変だねぇ、手伝おっか?」
「悟浄さん!」

太陽の光が髪に反射して煌めいている。
とても綺麗な色だと麗華は思った。

 

 

「もういいんですか、起きてらして」
「へーきへーき。心配かけちゃったね」

ぱんぱんと手際よくシーツを広げていく娘の後を、籠を抱えた大男が笑顔でついていく。それは、穏やかな日差しと相まって、とてものどかな光景だった。

やがて洗濯籠が空になる頃、悟浄はふと表情を改めた。

「麗華ちゃんには、きちんと謝っておこうと思ってさ。‥‥色々と、ごめんね」

律儀に頭でも下げかねない真剣な口調に、思わず麗華は噴き出した。
予想外の麗華の笑いに、悟浄が口を尖らせて抗議する。

「ちょっとー麗華ちゃん、そりゃないっしょ?ヒトが珍しく真面目にー」
「ふふ、ごめんなさい。つい」
「もー」

拗ねた顔に麗華が笑いを深くすると、悟浄もつられたように笑い出す。ひとしきり笑いあった後、麗華が胸に手を当てて呟いた。

「‥‥ね、悟浄さん」
「ん?」
「私、悟浄さんのこと、結構好きでしたよ?」

穏やかに微笑んで。
それは初めて出会った頃から変わらない、優しい天女の微笑。彼女が気付かせてくれた様々なことを、悟浄は改めて想う。
溢れる何かを抑え、悟浄は大袈裟な仕草で両手を広げ、片目を瞑った。

「あれー奇遇だね。俺も麗華ちゃんのコト、大好きなんだけど。‥‥‥‥同じベッドで眠った仲だしね」
「悟浄さん、あなた‥‥!?」

麗華の瞳が、驚きに見開かれる。
続けて言葉を発しかけた麗華だったが、結局は何も言わずに。
悟浄の穏やかな視線をしばらく受け止めていた彼女の口元に、やがて立ち上ったのは柔らかな微笑。
そして笑みを湛えたまま、麗華は姿勢を正した。伸ばされた背筋は、凛とした彼女そのものを表しているようだった。

「これからも、お気をつけて。旅のご無事をお祈りしています」

最高の微笑に心からの友情を添え、麗華は美しくお辞儀した。
それは、通りすがりの旅人に幾度となく告げられた、ごくありふれた台詞なのだろう。
けれどそこに込められた想いはきっと、かつてないほど大きく深い、たったひとつの特別なものに違いないから。

「―――ありがとう」

悟浄もまた、真摯にそれを受け止めた。

 

 

 

 

 

 

意外なことに、今回の件で三蔵への三仏神からの処罰はなかった。
昨日、かなりの覚悟をして二度目の呼び出しに応じた三蔵に三仏神から下された言葉は。

「『これからも精々励め』――――だそうだ」
「はい?お咎めなしってこと?」
「らしいな」

他の三人が驚くのも当然だった。三蔵法師の位を剥奪される覚悟を決めていた当の三蔵も、あまりにあっさりと許されて拍子抜けした程だ。
ベッドに腰掛けて紫煙を吐き出しながら、三蔵は昨日の映像による謁見の模様を思い出す。

 

 

『沙悟浄の容態が回復しなければ、という条件だっただろう?』
『それに、さて出発はしたものの、心残りがあっていざという時に物の役に立たんのでは、我々としても困るのでな』

含みのある視線とともに随分と棘のある言葉を貰ったが、それぐらいで済んだことを素直に喜ぶべきなのだろう。

『それとも残念でしたか?せっかく沙悟浄を自分好みに育てるチャンスだったのに』
『世間では、光源氏計画とか呼ぶそうだな』

三蔵はなけなしの忍耐力をフル稼働させ、三仏神の皮肉に耐え切ったのだった。

 

 

「――――ったく、どいつもこいつも」

苦虫を噛み潰したような顔で吐き捨てて、三蔵は手にしていた煙草を灰皿に押し付けた。三蔵の部屋には、退屈を持て余した悟浄が押しかけてきている。一時はドン底まで落ち込んだ体力と体調も順調に回復し、いよいよ明日にはここを出立する予定だ。
この町で長い時間を費やした。だが、再び一行は西への一歩を踏み出すのだ。
三蔵のベッドに遠慮もなく寝転がっている悟浄を、三蔵は振り返った。

「おい」
「んー?」

身を起こそうともせず、だらけた表情でベッドに懐いたまま悟浄は気の抜けた返事をした。

「‥‥話がある」
「んだよ、改まっちゃって」

言葉は軽いが、三蔵の口調に何かを感じ取ったのか、悟浄はのそりと起き上がると三蔵の顔を見つめてきた。三蔵は、できるだけ悟浄の正面から向き合うために僅かに身体を捩る。

「すまなかった」
「は?」

大きくはないが、それでも決して小さくはない声で告げられた謝罪に、悟浄が目を丸くする。

「どーしたんだよオマエが俺に謝るなんて。天変地異の前触れか?」

悟浄の戸惑いが滲む軽口を無視し、三蔵はベッドから滑るように降りると膝を床に着いた。寸分の躊躇いもない動作で、両手も床に下ろすと同時に頭を下げ――――。

「ナニやってんだ馬鹿!」

焦った声が降ってきたと同時に、三蔵の身体は自由を奪われた。
三蔵の身体を下から掬い上げるように抱きついて、悟浄が三蔵の土下座を阻んだのだ。そのあまりに俊敏な動きは、悟浄の回復が確かなものであると三蔵が場違いな安堵を覚える程だった。
向かい合って床に座り込んだまま、三蔵はゆっくりと悟浄の両肩に腕をかけて僅かに身を離した。

「お前は覚えてないだろうが‥‥。俺はお前に‥‥酷いことをした」

悟浄の記憶を取り戻すためとはいえ、義母の死を持ち出して悟浄に突きつけた。しかも、手酷い嘘までついてまで。
悟浄がこうして三蔵の腕に戻ってきた今でも、その事実は消えることはない。いや、戻ってきたからこそ悟浄に黙ったままでいることなど許されないのだと、三蔵は思っていた。
罵られることを覚悟して、三蔵はそれでも意を決して口を開いた。
 

「俺は、お前の‥‥」
「ああ―――、お袋ンこと?」

 

悟浄のあっけらかんとした声が、三蔵の思考を停止させた。
 

な、に、?

あんぐりと口を開けたまま固まった三蔵の珍しい表情が余程ツボに嵌ったのか、悟浄はゲラゲラと指を指して笑っている。三蔵はそれを咎める気にすらなれない程に、混乱していた。

目の前の悟浄の様子から、村に入ってから三蔵が悟浄に行った仕打ちの全てを知っていることが伺えた。
誰かが悟浄に先に告げたのか、と一瞬脳裏に八戒と悟空の顔が浮かんだが、三蔵はその考えを即座に否定する。あの二人は、そんな告げ口のような真似はしない。

――――ならば、どうして悟浄が義母のことを?

考えるまでもなかった。残る可能性は、一つしかない。
悟浄は向けられた視線に気付くと、まるで三蔵の考えを読み取ったかのようにひとつ頷いて。

「ぜんぶ思い出したぜ?‥‥おかげさんで、な」

ただ呆然とするしかない三蔵の前で、悟浄は笑んでいた。
容易に本心を掴ませない、完全にいつもどおりの悟浄の笑みだった。
 

 

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纏め前編(汗)です。後編がまた長いのよ…///

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