Give and Take(28)

「へ?」

 

目覚めて最初に悟浄がしたことは、瞳を真ん丸にして、大きく口をぽかんと開くことだった。

見慣れた天井から、ここが宿の一室で、いつの間にか運ばれてきたらしい自分がベッドに寝かされていることは理解できた。
しかし、悟浄を驚かせたのは、そんなことではない。

「‥‥‥‥バカ面だな。起きたんなら顔でも洗ってこい」

目の前でふんぞり返っているのは。
相変わらずの無表情で悟浄を見下ろしているのは。

――――正真正銘、あの金髪の僧侶だった。
 

いっそ夢だと言って貰った方が納得できただろう。いや、幻覚だということもあるかもしれない。
呆けた表情のまま、悟浄はしばらく固まっていたのだが。バサリとタオルを顔面に投げつけられた痛みに、これが夢ではないと悟る。しかし、跳ね起きた衝撃でタオルが床に滑り落ちても、悟浄はそんなものに構ってはいられなかった。

「な‥‥んで‥‥?アンタが‥、ココにいるんだよ‥‥‥?」
「答えるなら、ここが俺の泊まってる部屋だから、だな」
「だって‥‥、車が出てって‥」
「出かけたのは八戒と悟空だけだ。最初からあの二人だけ行かせるつもりだったからな」

僧侶の返答に、再び悟浄はあんぐりと口を開ける羽目になった。
では、自分は一人で大騒ぎして一人で拗ねて一人であんなに――――。
羞恥からくる怒りで目の前が赤くなる。ならば、最初からそう告げておいてくれれば――――!

「なんで‥‥っ!」
「言っとくが、怒ってんのは俺の方だ。お前、夕べは麗華の部屋に泊まったらしいな」

文句を言おうとした矢先に出鼻を挫かれ、悟浄は言葉に詰まった。じろりと睨まれて、何故か怯んでしまう。
やましいことは何もないし、そもそも悟浄が何をしようが僧侶に文句を言われる筋合いはないのだが、不思議と反論が出てこない。

「一体いつになったら連れてけと言い出すか待ってれば来ねぇし、朝一番に麗華には怒鳴られるし、痺れを切らせて部屋に踏み込んでみりゃあテメェは居やがらねぇし、見つけたと思ったら泥だらけで倒れてやがるし‥‥ったく朝っぱらから手間かけんじゃねぇよ」

クソ重たかったと愚痴られて、悟浄は倒れていた自分をここまで運んだのがこの僧侶なのかと正直驚いた。
しかし、頭の中は未だに混乱しっぱなしだ。

「まさか、本気で俺と離れるつもりだったのか?甘ぇんだよ」

そんな勝ち誇ったような表情をされても、悟浄も困る。

「けど、それじゃアンタが‥‥」

悟浄を旅から外せという命令に背けば僧侶には失うものがあるのだと、悟浄は漏れ聞いた会話から推測していた。そしてそれは、僧侶にとっては大切なものであるのだろうと理解してもいた。
悟浄の困惑を他所に、僧侶は平然とした態度で側の椅子に腰を下ろす。

「肩書きなんざなくたって、俺は俺のしたいことをやるだけだ」

真っ直ぐに悟浄を射抜く紫の瞳から、目が離せない。強い瞳だった。僧侶の本気が、瞳から、全身から、ひしひしと悟浄にも伝わってくる。
そして、伸ばされる腕。
 

「来い、悟浄」
 

それは、確かに前にも聞いた覚えのある台詞。
もっともあの時は、食堂に誘われただけだったから、その意味するところは全く違う。けれど僧侶は、あの時と同じように、まるで当然のことのように悟浄に手を差し出していた。

「俺と来い。例えこの経文を返上して三蔵法師でなくなったとしても、俺は旅を続ける」

瞳と同じく、強い言葉だった。
この僧侶ならそうするだろう――――。悟浄もまた、当然のことのようにそう思った。

「ただし自分の身は自分で守れ。俺は師から受け継いだ経文を取り返す役目を、他の誰にも渡す気はねぇ。それが変わらねぇ限り、妖怪にも狙われ続けるだろうからな」

例えどんな強大な障害が、彼の目の前に立ちはだかっていたとしても。
他者に曲げられることを許さない、強固なまでの意志。覚えていない筈なのに、きっとこの僧侶らしいのだと悟浄にはわかる。
そっけない言葉の裏に見え隠れする信頼のようなものを、気のせいだと片付けたくない。勝手な言い草に腹が立つよりも喜びが湧くのは、もう誤魔化しようがない事実。
だが、素直に嬉しいと言えなくて、悟浄は不貞腐れてみせた。

「強引に連れてくのに、そこらへんのフォローはナシかよ」
「知るか。言っとくが、一緒に連れて行けと言い出したのはテメェの方だからな。自分で何とかしろ」

悟浄は自分の頬に熱を感じた。
気絶する前に、確かそんなことを呟いた覚えはあった。だが、まさか僧侶に聞かれていたとは夢にも思わなかった悟浄は、あまりの気恥ずかしさにシーツに顔を埋めた。

「汚ェ‥‥」

例の書状が届けられた後、僧侶が最初から悟浄を手放す気がないと宣言しなかったのは、悟浄から逃げ場を奪うためだったのだと気付いても遅い。自分から言い出した以上、どんなに無様だろうが苦しかろうが、旅を放り出して逃げるという情けない真似は真っ平だと意地になるだろう悟浄の性格を、僧侶にはしっかり把握されているらしい。

悟浄が俯いてシーツに埋もれたままでいると、僧侶が座っていた椅子から立ち上がり、そのまま悟浄のベッドに腰掛ける気配がした。ベッドが沈む感触に、悟浄は僅かに緊張した。

「‥‥‥俺、アンタの好きな『悟浄』じゃねぇのに」

シーツ越しのくぐもった声で、悟浄は呟く。
何度も何度も見続けた夢を思った。僧侶に振り払われた腕。『お前は俺の悟浄じゃない』と繰り返し告げられた悲しみ。あの夢を忘れることはできないけれど。

「残念ながら手遅れだ。テメェにだってとっくに惚れてる」

それでも、僧侶が自分を求めてくれていることは真実だと思えるから。

「俺がアンタに惚れないかもしんないよ?」
「言っただろ。惚れさせてやるさ‥‥‥何度でもな」

僧侶は、悟浄を驚かさないようにだろうか、やけにゆっくりと悟浄の頭を引き寄せ、自分の肩口にと押し当てた。

「離れてたら、俺はお前の声を聞いてはやれねぇから」

耳元で聞こえる僧侶の声。
いつの間に、この低音をこんなにも心地よいと感じるようになっていたのだろう。
悟浄の頭を抱く僧侶の腕に、力が込められる。

「直接声が聞こえるところに、―――――側にいるしかねぇじゃねぇか」
 

悟浄は深紅の瞳を、見開いた。
 

 

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三蔵様は麗華さんに怒られたのね…(笑)

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