Give and Take(26)
「何よ、それ‥‥」 悟浄の話を聞き終えた麗華は、あまりのことに呆然としていた。 『幸せにしてあげて』 あれは三蔵が記憶を失っていた時のこと。自身を壊してまで三蔵を守ろうとした悟浄の姿に、麗華は自分の三蔵への想いを封印することを決意した。 ―――――許せない! 「私、三蔵様のところに行ってくる!」 がばりとシーツを跳ね除けた麗華に、悟浄が慌てて取りすがる。 「待ってよ姉ちゃん!いいんだよ!」 必死の悟浄に宥められて、渋々と麗華は再びベッドに横たわる。
「俺、思い出したかったんだ、ホントは‥‥」 ぽつり、と悟浄が話し始める。 「俺じゃ、あの人の『悟浄』にはなれないから‥‥。思い出さなきゃって思って、でも、駄目だった。あの人のこと考えても、頭、痛くなんないんだ」 悟浄の声は、僅かに震えていた。麗華は黙って、悟浄の背中を優しく擦った。大きな背中だった。かつて三蔵が記憶を失ったとき、全てを背負った背中だった。それが今、麗華の腕の中で悲しく震えている。 「‥‥俺、ホントにあの人のこと、好きだったのかなぁ‥‥」 間髪入れずに返された麗華の声に、悟浄は顔を上げる。 「けど」 麗華は悟浄の瞳を見つめた。明かりを落とした部屋の中では、明瞭にその表情を見ることはできない。だが、麗華は悟浄の瞳を見据え、はっきりとした声音で告げた。 「私はね、ほんの短い間しか貴方たちを知らないの。でも、それでも分かるわ。貴方は三蔵様をとても好きだった。ううん―――今だって、好きなのよ。違う?」 悟浄は答えなかった。ただ、泣き出しそうに悟浄の顔が歪んだように麗華には感じられたが、暗がりの中でそれを確かめる術はない。それでも、麗華は言葉を続けた。悟浄の胸の奥底で揺れる僅かな灯火を、このまま消してしまいたくはなかった。 「今はまだ恋愛感情じゃないかもしれないけど、貴方は三蔵様を好きで、一緒に行きたいって思ってる。でも、連れて行ってって言わなかったのは、三蔵様のため。そうじゃない?」 悟浄はやはり黙ったままだ。 やがて、悟浄は小さく呟いた。 「‥‥邪魔なんだ、俺。母さんもそうだった。俺って、邪魔者なんだ」 麗華は悟浄の瞳を覗き込むように顔を近付けて、頭を横に何度も振った。 「三蔵様は貴方を邪魔者になんかしないわ!貴方の事が大事なんだから!」 小声だが、厳しい口調で断言する麗華の剣幕に押されたのか、悟浄は少し身を引いた。 「三蔵様は貴方のことを本当に大切に想ってるわ‥‥‥。ね、今から一緒に三蔵様のところに行きましょ?きっと三蔵様、待ってるのよ。悟浄さんが、自分から一緒に連れてってって言うのを。きっとそうよ、ね?だから―――」 だが、悟浄は頷かなかった。 「夢、見るんだ。毎日」 どこか朦朧とした口調の言葉が悟浄の口から漏れて、麗華は口を噤む。 「あの人がいて、俺がいて‥‥。俺があの人のところに走って行ったら、黙って抱きしめてくれて」 幸せなはずのその夢を語る声は、何故かどこか寂しい。麗華の受けた印象に違わず、悟浄はベッドに顔を埋めるようにうつ伏せて。 「でも、直ぐに突き放して言うんだ―――『お前は誰だ』って。『俺の悟浄じゃない』って」 麗華は、言葉を失った。悟浄はベッドに突っ伏したままだ。僅かにくぐもった声が、麗華の耳をうつ。 「なんで思い出さないんだろ。思い出したいのに、俺。本当は、俺、」 麗華は思わず、悟浄の頭をかき抱いた。涙が零れそうになるのを必死で押し留める。今、自分が泣くわけにはいかなかった。悟浄が泣いていないのだから。 しばらく無言で麗華の胸に収まっていた悟浄が、やがてそっと麗華の腕を押し返した。 「しばらくさ‥‥。その、ちょっとの間でいいんだ。ここに置いてくれる?俺、ちゃんと働くから」 それは、悟浄の決意を物語る言葉だった。ここに残るという決意。すなわち、三蔵と離れるという決意。 「―――いいわ。旦那さんには私から頼んでおくから」 麗華は躊躇わず、悟浄の申し出を了承した。自分が叶えられる悟浄の望みなど、ほんの些細なものでしかないのが悔しかった。 「ありがと。俺、明日からきっちり仕事するから」 素直に頷くと、悟浄はもぞもぞと身体をずらして眠りやすい体勢を探し始める。狭いベッドでは、どうやっても身体が接触してしまうことを、悟浄は気にしているようだった。幼い子供なりの精一杯の遠慮。ベッドの端ギリギリまで身を引こうとする悟浄に、麗華の胸は熱くなる。どうしようもなく寂しいくせに最後まで甘えることを知らない子供と、麗華は初めて出会ったのだ。 「‥‥麗華姉ちゃん」 小さな呼びかけに、麗華も小さく答える。 「ありがと」 今度は、麗華は答えられなかった。堪えていた涙が溢れ、それを悟浄に気付かれないよう歯を食いしばり、声を漏らすのを耐えていたからだ。 切なかった。
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悟浄さんを前向きにするのは至難の業だなぁ…。