Give and Take(25)

深夜、微かなノックの音で、麗華は目覚めた。

「はい?」
「‥‥ごめん麗華姉ちゃん。‥‥俺」

厚手の上掛けを羽織り、麗華が扉へ近付いて小声で応答すると、やはり小声で返答が返ってきた。

「悟浄さん?どうしたの、こんな夜遅く」

急いで扉の鍵を外し扉を開くと、真夜中の来訪者が困惑した表情で立ち竦んでいた。

「‥‥‥‥あのさ‥‥」
「なぁに?」
「‥‥‥‥‥‥」

沈黙の返答。

「とにかく入って?ここじゃ風邪ひいちゃうわ」

言い難そうに俯いてしまった悟浄を、麗華は部屋の中へと誘った。
悟浄はきょろきょろと辺りを見回していたが、麗華に再度促されるとおずおずと部屋に入ってくる。

「お茶でも飲む?それとも、お腹が減った?」

昼間の騒動の後、悟浄は自分の部屋に閉じこもり、夕食にも姿を見せなかった。どこか落ち着かない様子の悟浄を麗華が気遣うと、悟浄は慌てて首を振る。

「あ、ううん、いらない。‥‥‥‥あのさ、姉ちゃん‥‥」
「?」
「あの、‥‥その‥‥」

悟浄の様子がおかしい。
いつまでも消え入りそうな声で口籠りながら、要領を得ない言葉を繰り返している。
麗華は突然閃いた。悟浄が何をしにここへ来たのか。
初めて触れた悟浄の子供らしさに、麗華の口元に微笑が浮かぶ。ただ、それを口にするのには、ほんの少し勇気が必要だった。
麗華は、悟浄に気付かれないように小さく深呼吸してから、口を開いた。

「ね。一緒に寝よっか?」

バッ、と悟浄が顔を上げる。

「いいの!?」
「いいわよ。ちょっとベッドは狭いけどね」

悟浄の顔に、見る間に喜色が走った。

麗華の前で、悟浄は幼い子供の顔を見せている。
傷ついて。でも虚勢を張るしか仕方がなくて。心が張り裂けそうになって、もうどうしようもなくて。ただ、温もりを与えてくれる人を欲しがって。
嬉しそうに笑う悟浄を見ながら、本当に訪ねたい人は自分ではなかろうに、と麗華は胸を痛めた。

 

 

シングルのベッドからはみ出さないようにするために、麗華と悟浄は殆ど抱き合うようにしてシーツに包まるしかなかった。
だが、若い異性との同衾という事実にも関わらず、麗華の心には、恐怖も、まして嫌悪も湧いてはこなかった。それどころか、身体の奥から温かな感情が溢れてくる。それが、悟浄が求め続け、だが得られることのなかった母親の愛情に似た想いだとは、麗華本人も気付かぬままに。

悟浄が、もそりと身じろぎをした。

「どしたの。眠れない?」
「ん‥‥‥」
「ごめんね、狭いから」
「違う、そうじゃなくて――――、あのさ、ちょっとだけ、‥‥‥話しても、イイ‥?」

ぽつ、ぽつと紡がれる言葉は、やはりどこか頼りなくて。

「――――三蔵様のことね?」

麗華の口から出た名前に、悟浄がびくりと身を震わせたのが密着した肌から伝わってきた。

今日、僧服を纏った使いが三蔵を訪ねてきた。何の用事だったのか、それから何が起こったのか、詳細は麗華も知らない。悟浄が部屋に閉じこもってしまった事実と、残された三人の重苦しい空気が、麗華に事の次第を確認させるのを躊躇わせたのだ。ただ、明日の朝食を早めにと依頼された時に、八戒と悟空の表情が歪んだように見えただけだ。

「ね。昼間、何があったの?」

麗華が静かに促すと、悟浄はようやく重い口を開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『‥‥‥悟浄‥‥』

いつも優しく悟浄を見つめていた翠の瞳が、今は驚愕に見開かれている。急に開かれた扉に、悟浄は立ち竦むしかなかった。
部屋の奥を覗く気にはなれなかった。僧侶がどんな顔をしているのか、確かめるのが怖かった。

『行けよ』

とりあえず笑った。どうすればいいのか分からなかったからだ。ただ、漏れ聞こえてきた三人の会話から、自分が捨てられるらしいということだけは明確に理解していた。
裏切られたとは思わなかった。最初から、信じていなかったのだ。信じたりなどしていなかった、絶対に。
だから、悲しくもない。涙も出ない。

『行って、代わりの奴と旅を続けなよ。今まで世話になってさんきゅ。俺、ここに残るよ。何とかするよ、俺はひとりで大丈夫だからさ』

悟浄は一気にそれだけを口にすると、八戒にくるりと背を向けた。

『待ちなさい悟浄、僕たちは―――!』
『聞きたくねぇよ!』

八戒の言葉を遮った。これ以上、何も聞きたくなかった。
信じていなかった筈なのに。悲しくない筈なのに。

『‥‥‥言い訳なんか、聞きたくねぇよ‥‥‥!』

声が、震えるのは何故だろう。身体が、震えるのは何故だろう。
そして一度言葉にしてしまえば、堰を切った感情が溢れ出すのを悟浄は止める術を持たなかった。

『―――――どうして優しくなんかしたんだよ!?どうして側にいろなんて言ったんだよ!?どうせ捨てるのに!分かってたのに!』

問いかけながらも、悟浄は八戒が口を開く暇を与えなかった。答えを聞くのが怖かった。声に嗚咽が混じるのを止められない自分が、情けなかった。

『どうして、抱きしめたりしたんだよ‥‥』

それは、八戒に対しての呟きか、それとも僧侶に対してのものなのか。悟浄にも答えは出ない。答えを出す気にもなれない。
言葉を失い立ち竦む八戒をその場に残し、悟浄は自分の部屋に飛び込んで鍵をかけた。すぐさまベッドの中に潜り込んで耳を塞ぐ。
扉がノックされる音と、幾度も自分の名を呼ぶ声が微かに聞こえたが、悟浄は硬く目を瞑って耳を塞ぎ続けた。

『いずれ捨てられる』

あの妖怪の言ったことは正しかった。それだけだ。
だから別に悲しくなんかない。と悟浄は何度も呪文のように繰り返す。

涙なんか出やしない。ただ、少し疲れただけだ。疲れて、視界が滲んでくるだけ。
もう、終わったのだ。連中も気まぐれな遊びに飽きたということなのだろう。勝手にどこへでも行けばいい。
もう、自分には関係ない。
もう、考えない。
もう、思い出したりしない。

だが、きつく閉じた瞼の裏側に浮かぶのは、あの僧侶の紫の瞳。
無表情の中に時折見せる優しい眼差しが、消しても消しても浮かび上がってくる。

抱きしめられた温かい腕と照れ隠しの仏頂面が、確かにあった。
髪を乾かしてくれた優しい手が、堪らなく嬉しかった。
記憶なんか関係ないと笑った金色の大きな瞳に、つられて笑った。
何もかもが、初めて与えられた温もりだった。

―――――もう、やめてくれよ。

悟浄は幻影を振り払うように、シーツの中で頭を振った。

 

もう、たくさんだ。
最初から、温もりなど知らなければ。

 

知らなければ、ひとりで生きていけたのに。
 

 

BACK NEXT


麗華かよ!?という皆様のお声が聞こえてきそうな展開///

|TOP||NOVEL|