Give and Take(23)
軽いノックが耳に飛び込んできた。 「どうぞ」 開かれた扉から顔を覗かせた僧侶が、抱きしめあう八戒と悟浄の姿に絶句する。 「八戒‥‥テメェ‥‥!」 僧侶がずかずかと近付き、割り入るように二人を引き離す。 「貴様、何の真似だ!」 悟浄に向けて一喝したのはほんの一瞬。すぐさま僧侶は八戒に視線を戻し詰め寄っている。大体てめぇは、とか、ベタベタすんな、とか。くどくどと文句を垂れる僧侶と、僧侶にくるりと背を向けて耳を塞ぐ八戒の姿を、悟浄は呆気にとられて眺めていた。 「何だ、その態度は!」 僧侶からは死角になるように、八戒が悟浄へ向けてぺろりと舌を出してみせた。悟浄は、あ、と思った。これが、さっき八戒の言っていた僧侶の『嫉妬』というものなのだ。悟浄は再び顔に血が上るのを感じて焦った。 「わかりましたってば。で?どうしたんです?昼食の用意ができたんですか?」 噛み付くように僧侶が怒鳴ると、笑いながら八戒は悟浄に向かってひらひらと手を振った。つられて悟浄も手を挙げかけて、僧侶に睨まれる。思わず身を竦めると、八戒が楽しそうにドアを開けた。 「ははは。僕、先に行ってますよ。目を離すと悟空に全部食べられかねませんからね。じゃ、ごゆっくり」 わざわざ首だけドアから覗かせ、『ごゆっくり』を強調した八戒に向かって、僧侶が部屋に備え付けの灰皿を投げつける。安っぽいアルミの灰皿が、そそくさと閉じられたドアにぶつかって、間の抜けた音をたてて転がった。 「おい」 思わず噴き出しそうになった悟浄は、僧侶のひと睨みで慌てて笑いを引っ込め身構える。僧侶と二人きりになるのはどうにも慣れない。どう振舞えばいいのか分からない。 「お前も、無防備に触れさせてんじゃねぇよ」 拗ねたような僧侶の声。言うなりそっぽを向いた僧侶の表情は残念ながら見えなくて。
『俺に惚れさせる』 あの廊下の一件があってから、実のところ悟浄はかなり警戒していた。僧侶が、悟浄に対して何らかの行動を起こすものだと考えたのだが、実際は拍子抜けするほど何も起こらなかったのだ。
「なに笑ってやがる!」 そしてまた、僧侶はハリセンを悟浄の頭に振り下ろした。 だが、人に殴られるという行為であるのに、嫌悪は湧いてこなかった。義母のそれとは何かが違う。殴られるから声を潜めようとは思わなかった。殴られて悲しいとも感じなかった。何が違うのかは、悟浄には未だにわからないままだ。 「情けねぇな‥‥」 真剣な声音。耳元で低く響くその声は、どこか懐かしく、心地よい。やはり八戒に与えられた抱擁のときとは違う感覚に、悟浄は包まれていた。 「時間をかけると決めたばかりのくせに、側にいると‥‥自制が効かねぇ」 僧侶の、悟浄を抱きしめる腕に力が篭る。彼に与えられる二度目の温もりに、悟浄は抵抗を忘れていた。 「あ、の‥‥、俺」 何か僧侶に伝えなくてはいけないことがあるような気がして。だけど、浮かぶ言葉は何もなくて。込み上げるもどかしい気持ちに悟浄が包まれていると、ふと、部屋の外で空気が動いた。 「すげー、ガマンしてたんだ三蔵!エラいっ!」 てっきり部屋から離れたと思っていた八戒と、いつの間にやら食堂から戻ってきたらしい悟空が、二人してドアのところから部屋を覗いている。 「貴様らっ!」 僧侶の恫喝に、わっと声を上げて逃げ出す二人の背中。悟浄を突き飛ばすように身を離した僧侶の狼狽。 僧侶は短く舌打つと、部屋を出ようとして振り返った。 「‥‥メシ、行くぞ」 僧侶の腕が、悟浄へと差し出される。
いつにも増して低い声が、照れ隠しであるのだとどうして分かるのだろう?どうして、こんなに懐かしい気分になるんだろう?答えを探して、悟浄は戸惑う。 けれど、漠然とながら感じることがある。
もしかしたら、このままここにいてもいいのかもしれない。 ――――信じてもいいのかもしれない。
「来い、悟浄」
このひとの言葉を。
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ようやくここまでたどり着きました…!