Give and Take(23)

軽いノックが耳に飛び込んできた。
悟浄は八戒から離れようとしたが、不意に腕に力を込められ、逆に強く抱きしめられる。

「どうぞ」
「ちょ―――」
「おい八戒、悟浄はこっちに―――」

開かれた扉から顔を覗かせた僧侶が、抱きしめあう八戒と悟浄の姿に絶句する。
これ見よがしに、ぎゅううと八戒が腕に力を込めたために胸を圧迫された悟浄から漏れた苦しげな吐息に、僧侶は我に返ったようだった。

「八戒‥‥テメェ‥‥!」

僧侶がずかずかと近付き、割り入るように二人を引き離す。

「貴様、何の真似だ!」
「いいじゃないですか、ちょっとぐらい。ねー悟浄?」
「あ、えーと‥‥」
「お前は黙ってろ!」

悟浄に向けて一喝したのはほんの一瞬。すぐさま僧侶は八戒に視線を戻し詰め寄っている。大体てめぇは、とか、ベタベタすんな、とか。くどくどと文句を垂れる僧侶と、僧侶にくるりと背を向けて耳を塞ぐ八戒の姿を、悟浄は呆気にとられて眺めていた。

「何だ、その態度は!」
「あーはいはいはいはい。わかりましたよ、もう」
「どうでもいい言い方すんな!」

僧侶からは死角になるように、八戒が悟浄へ向けてぺろりと舌を出してみせた。悟浄は、あ、と思った。これが、さっき八戒の言っていた僧侶の『嫉妬』というものなのだ。悟浄は再び顔に血が上るのを感じて焦った。
だが幸いにも、僧侶は八戒に小言を言うのに夢中で悟浄の様子には気付かなかった。故意か偶然か、八戒が悟浄の顔色が平常に戻るまで僧侶の気を引き続けてくれたおかげだった。
ひとしきり僧侶をからかった後で、八戒が笑いながら僧侶を振り返った。

「わかりましたってば。で?どうしたんです?昼食の用意ができたんですか?」
「テメェらが遅ぇから、猿が騒いで煩ぇんだよ」
「で、悟浄がとっても心配な三蔵様は、珍しくも御自ら様子を見にいらっしゃった、と」
「八戒!」

噛み付くように僧侶が怒鳴ると、笑いながら八戒は悟浄に向かってひらひらと手を振った。つられて悟浄も手を挙げかけて、僧侶に睨まれる。思わず身を竦めると、八戒が楽しそうにドアを開けた。

「ははは。僕、先に行ってますよ。目を離すと悟空に全部食べられかねませんからね。じゃ、ごゆっくり」
「さっさと行け!」

わざわざ首だけドアから覗かせ、『ごゆっくり』を強調した八戒に向かって、僧侶が部屋に備え付けの灰皿を投げつける。安っぽいアルミの灰皿が、そそくさと閉じられたドアにぶつかって、間の抜けた音をたてて転がった。

「おい」

思わず噴き出しそうになった悟浄は、僧侶のひと睨みで慌てて笑いを引っ込め身構える。僧侶と二人きりになるのはどうにも慣れない。どう振舞えばいいのか分からない。
だが。

「お前も、無防備に触れさせてんじゃねぇよ」

拗ねたような僧侶の声。言うなりそっぽを向いた僧侶の表情は残念ながら見えなくて。
今度こそ、悟浄は堪えきれずに噴き出した。

 

 

『俺に惚れさせる』
 

あの廊下の一件があってから、実のところ悟浄はかなり警戒していた。僧侶が、悟浄に対して何らかの行動を起こすものだと考えたのだが、実際は拍子抜けするほど何も起こらなかったのだ。
必要以上に接触を求めるでもなく、だからといって無視をするでもない。
無論、甘い言葉などかけてくるわけもなく、それどころか、少し騒がしくしただけで、どこからともなく取り出したハリセンで容赦なく叩かれた。あの言葉は何だったのかと疑心暗鬼に陥りかけたほどである。

 

「なに笑ってやがる!」

そしてまた、僧侶はハリセンを悟浄の頭に振り下ろした。
こんなかさばる物をどこに仕舞ってあるのかと悟浄が不思議に思ったのは最初の内だけで、今ではすっかり馴染んでしまったそれ。

だが、人に殴られるという行為であるのに、嫌悪は湧いてこなかった。義母のそれとは何かが違う。殴られるから声を潜めようとは思わなかった。殴られて悲しいとも感じなかった。何が違うのかは、悟浄には未だにわからないままだ。
殴られても収まらない笑いを悟浄が持て余していると、急に息苦しさに襲われた。
あ。と思う間もなかった。気がつけば、僧侶に抱きしめられていた。

「情けねぇな‥‥」

真剣な声音。耳元で低く響くその声は、どこか懐かしく、心地よい。やはり八戒に与えられた抱擁のときとは違う感覚に、悟浄は包まれていた。

「時間をかけると決めたばかりのくせに、側にいると‥‥自制が効かねぇ」

僧侶の、悟浄を抱きしめる腕に力が篭る。彼に与えられる二度目の温もりに、悟浄は抵抗を忘れていた。

「あ、の‥‥、俺」

何か僧侶に伝えなくてはいけないことがあるような気がして。だけど、浮かぶ言葉は何もなくて。込み上げるもどかしい気持ちに悟浄が包まれていると、ふと、部屋の外で空気が動いた。

「すげー、ガマンしてたんだ三蔵!エラいっ!」
「三蔵も大人になりましたねぇ」

てっきり部屋から離れたと思っていた八戒と、いつの間にやら食堂から戻ってきたらしい悟空が、二人してドアのところから部屋を覗いている。

「貴様らっ!」

僧侶の恫喝に、わっと声を上げて逃げ出す二人の背中。悟浄を突き飛ばすように身を離した僧侶の狼狽。
どこか芝居じみた光景が、おかしくて堪らない。
再び笑いの止まらなくなった悟浄を、僧侶が苦々しげに見つめる。そんな表情をされても、悟浄は笑いを納めなかった。僧侶が本気で怒っていないと、不思議とわかる。突き飛ばされたことを、拒絶と感じなかった。

僧侶は短く舌打つと、部屋を出ようとして振り返った。

「‥‥メシ、行くぞ」

僧侶の腕が、悟浄へと差し出される。

 

いつにも増して低い声が、照れ隠しであるのだとどうして分かるのだろう?どうして、こんなに懐かしい気分になるんだろう?答えを探して、悟浄は戸惑う。

けれど、漠然とながら感じることがある。

 

もしかしたら、このままここにいてもいいのかもしれない。
この人と、八戒と悟空と。みんなと一緒にいてもいいのかもしれない。

――――信じてもいいのかもしれない。

 

「来い、悟浄」

 

このひとの言葉を。

 

 

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