Give and Take(21)

「くっ‥く」

悟浄が突然、肩を震わせて笑い出した。悟空にしてみれば、自分の精一杯の真剣な発言を笑われたようで面白くない。

「―――何が可笑しいんだよ」

自然と拗ねたような口調になる。それが、今までの大人びた表情との格差を生んで、悟浄の笑いに拍車をかけているとは、悟空が気付く筈もない。
悟浄はひとしきり腹を抱えると、笑いすぎたのか目元に滲む涙をごしごしと拭い、悟空の顔を指差した。

「だって、アンタ、顔、真っ黒」
「‥‥‥‥‥‥」

下はぬかるみだ。
先ほど、落下してきた悟浄を受け止めた衝撃で、泥に突っ込んでしまった悟空の頭半分は元より、顔にも、服にも、黒い泥がべっとりと跳ね飛んで既に表面が乾き始めている。どうりで顔が引き攣る筈だと悟空は乱暴に顔を拭ったが、生乾きのそれは却って汚れの範囲を広げただけで、それを見た悟浄は、また声を立てて笑った。

「‥‥‥‥‥‥」

べちゃっ。
 

悟空が黙り込んだと思ったら、すぐに嫌な音がした。悟空が、悟浄の顔に掴んだ泥をぐりぐりと押し付けた音だった。

「‥‥‥‥‥‥」

今度は、悟浄が押し黙る番だった。自分に降りかかった事態を把握できずに固まる悟浄の前で、悟空が勝ち誇って胸を反らす。

「へっへっへ、これでおんなじ〜」

ぱちぱちと二、三度瞬きをして、悟浄はふるふると震えだした。

「こ、このヤローっ!」
「やるか!?」

地面に座り込んだまま、二人は手近に掴んだ泥をお互いに投げ合い始める。

びちゃ。べとっ。べちゃっ。

至近距離からの泥合戦は、瞬く間に二人を全身真っ黒に染め上げていく。ムキになった二人は、それでも手を休めない。自分の周りの泥が少なくなったとみると、わざわざ横ににじりながら移動してまで、その攻防は続いた。

「いい加減に降参しろよっ!黒ガッパ!」
「へっ、誰が!黒サル!」

降り続いていた霧雨も、とっくに上がっている。そんな事には全く気付かない二人は、延々と罵りあいながら泥にまみれていたのだった。
悟空と悟浄が手を止めたのは、戦闘開始から十分ほど経過した頃だっただろうか。突然響き渡った悟空の腹の虫に、二人はそろそろ昼食の時間だということを思い出したのだ。
ぜぇぜぇと荒い息をつきながら、悟空と悟浄は、顔を見合わせる。しばらく泥まみれで真っ黒に染まった顔を突き合わせていたが、最初に噴き出したのは、悟空だった。

「悟浄、似合ってんじゃん」

けらけらと笑う悟空に、悟浄もつられて笑い出す。

「そっちこそな、‥‥‥『悟空』」

一瞬、悟空の笑いが途切れた。金色の瞳を大きく見開いた悟空の顔に、止めとばかりに悟浄は手にした泥の最後の一掴みを投げつけた。

「へ‥‥へ、へへ‥‥‥っ」

べっとりと黒い泥が頬を流れ落ちているというのに、悟空はなんだか嬉しそうだ。

「くくく‥‥」
「へへへっ」

それから二人は、大声で笑い合った。
その声は静かな森に、いつまでも響いていた。
 

 

 

 

 

 

「で?二人して何をやってたんですか?」

競うように食堂に駆け込もうとした悟空と悟浄を、すんでのところで阻止した八戒が、二人の前に仁王立ちになっている。

「泥だらけじゃないですか。ああもう、こんなに汚しちゃって‥‥‥。いくら乾燥機があるからって、雨の多いところで洗濯するのって、僕は嫌いなんですよ。なんかこう、太陽の日の下で乾かしたいんですよねぇ。‥‥‥これじゃ、一度洗ったくらいじゃ落ちないなぁ。ちょっと、聞いてるんですか二人とも!」

八戒の小言を喰らっている間にも、真っ黒な二人は隠れて小突き合いながらクスクスと笑っている。ほう、と八戒は目を細めた。今朝までには見られなかった、悟浄の微妙な変化。だが、あえて気付かない素振りで、八戒はモノクルを押し上げた。

「わかりました。罰としてその洗濯は二人にやってもらいましょう」
「「ええーっ!!」」
「文句言わずにさっさと行くっ!」

二人して首を竦めた悟空と悟浄が、一斉に踵を返して走り出す。その背に、八戒は声を張り上げた。

「あ、ついでにお風呂もいただいてきなさいね。食事はその後です!聞こえましたかー?」
「「うぁーい」」

二人声を揃えての良い子のお返事。
バタバタと、煩い足音がふたつ、宿の廊下を遠ざかっていく。

「悟浄、俺が髪洗ってやるよ!」
「えー、やだよー。お前乱暴にしそうだもん」
「いいじゃんか、一回ぐらいやらせろよ」
「今までやったことねぇんだな?絶対にやらせねぇ!」
「んだよ、ケチ!」

走っちゃ駄目ですよ、と注意しようとして、八戒は言葉を飲み込んだ。
悟浄の中で、何かが変わり始めている。
それを素直に嬉しいと、八戒は思った。
 

 

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よし、悟空は悟浄を手なずけたぞ(笑)

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