Give and Take(20)

痛みは、あった。
だが、その衝撃は、悟浄が覚悟したよりは遥かに緩やかなもので。

「てー‥‥」
「!」

下から聞こえる声に、はっとして身体をどかす。

「もー。重てーなぁ悟浄」
「アンタ‥‥」
「アンタじゃなくて悟空、だろ?」

唖然とする悟浄の顔を見上げて、金の瞳がくるくると動く。

「悟浄、どっか怪我は――――うん、ないみたいだな」

がばりと身を起こしながら泥だらけの顔をくしゃりと綻ばせて、悟空は笑った。この若者に庇われたのだと、悟浄はようやく理解した。

「鳥、好きなんだ?」
「――――別に。どうせ、すぐに死んじまうだろ。一度落ちた雛なんか」

座り込んだまま手足を振ったり曲げたりしている悟空の様子を見て、どうやら相手にも怪我はないらしいと内心安堵した悟浄だったが、そんな感情を気取られるのが嫌で、務めてぶっきらぼうに言葉を吐き出した。

雛が巣から落ちるのは、強い兄弟たちに弾き出されるからだと悟浄は知っていた。それでなくとも、あの高さから落下した衝撃で、雛がどこかを痛めていないとは限らない。元々脆弱な固体が、この先の生存競争を勝ち抜けていける可能性は限りなく低いだろう。
だが、それでも。
悟浄には放っておくことなどできなかったのだ。
 

「あのさぁ。俺ら、もちっと仲良くなれねぇかな」
「はぁ?」

唐突な悟空の言葉に、悟浄は目を瞠る。

「お前さ、俺のことあんま好きじゃねぇだろ。つーか、嫌いだろ」

どうやら先ほどの悟浄の口調の冷たさを、悟空は悟浄が自分を嫌っているせいだと思ったらしかった。悟浄は一瞬言葉に詰まったが、真っ直ぐに自分を見つめてくる大きな金色の瞳からは、逃れられそうになかった。

「‥‥‥‥嫌ってなんかねぇよ‥‥‥。けど‥‥」
「けど?」

ぼそぼそと呟くような声で顔を背けた悟浄に、悟空が続きを促してくる。

「‥‥‥‥」

全身で感情をぶつけてくる悟空の姿は、悟浄には眩しすぎた。

だが、それは簡単に説明できる事ではなかった。眩しいとか、僧侶と繋がってるのが何となく腹立たしいとか、口では説明しにくいし、その感情を認めたくもなかった。
言葉を捜しあぐねて黙り込んでしまった悟浄を、悟空はしばらく見つめていたが、やがて、まぁいいかと笑った。その笑顔はやはり、眩しかった。

「お前がどう思ってよーが、俺はお前のコト嫌いじゃねぇし」

まだ二人は、ぬかるんだ山のあぜ道に座り込んだままだ。尻の辺りから冷えが立ち上ってきたが、不思議とどちらも立ち上がろうとはしなかった。

「‥‥違うよ」
「何が?」

本当に分からないのだろう。悟空はきょとんとした表情で悟浄の顔を覗きこむ。

「俺は、アンタらの知ってる『悟浄』じゃねぇもん。アンタが嫌ってない『悟浄』とは違うんだ。‥‥そんな知らねぇ奴の事なんか、俺に押し付けんなよ!」

そうだ。そして当然、自分はあの僧侶が好きだという『悟浄』でもないのだ。

口に出して初めて、悟浄はその事実がどれだけ自分の心の奥でわだかまっていたかに気付いた。自分は『悟浄』ではない。少なくとも、彼らの仲間の『悟浄』ではない。どんなに『好き』と言われたところで。それは自分に向けられた言葉ではないのだ。

あの僧侶が求めているのは、自分ではない。

その事実は、想像以上に悟浄を打ちのめした。
悟浄は、俯いて唇を噛み締めた。

けれど。

「え〜とぉ‥‥。イイんじゃない?別に。そんなに深く考えなくても」
「なっ‥‥!」

驚いて顔を上げれば、悟空が困ったような顔をしてぽりぽりと頬をかいている。悟浄の胸に、荒んだ気持ちが膨れ上がった。

どうせ、コイツらに記憶を失くした自分の気持ちなど、分かるはずがない。

だが、次の悟空の言葉で、悟浄のささくれ立った気分は急激に萎んでしまった。

「俺もさぁ、昔のこと覚えてないんだよな。話したっけ?」
「あ‥‥」

そういえば。
前にそんな話を聞いたような気がする。あの時は、悟空の口から頻繁に僧侶の名が出てくるのに閉口して殆どを聞き流してしまったような気がするけれど。

「俺さ、ずっと閉じ込められてたんだ。昔、悪いことしたらしくって、こっからずっと遠くの山のてっぺんで、三蔵が見つけてくれるまでずーっとずーっとひとりぼっちでさ」

五百年。確か、あのとき彼はそう言った筈だ。
自分には想像すらできない気の遠くなるような長い間、たったひとりで。ひとりきりで。
そんな途方もない話を聞かされて、あの時の自分は馬鹿なと笑い飛ばした。だが、真正面から悟空の瞳を受け止めている今ならわかる。悟空は、真実を語っている。

「で、雪が苦手だったんだよな。すっげ静かで、ひとりだった頃を思い出してさ。雪が降る日は、怖くて外に出らんなくて。音のない世界って、けっこー怖いんだぜ?」

凄惨な過去を語っている筈なのに、それはとても軽い口調で。なんだか悟浄のほうがいたたまれない気分になる。

「けど、『いこーぜ』って―――俺に外に出るきっかけをくれたのは悟浄だった」

悟浄ははっとして悟空の顔を見た。悟空はやはり笑みを浮かべていたが、それは今までの眩しいばかりの無垢なものとは異なる、少し大人びた笑みだった。

「今まで言ったことねぇけどさ‥‥‥俺、ホントはずっと、悟浄に感謝してる。マジでさ」

優しい笑みで。心からの言葉で。悟空は悟浄に語りかける。
何も言えない悟浄の顔を、少しだけ首を傾げるようにして悟空は覗き込んできた。真っ直ぐに視線を合わせたままで、悟浄、と悟空に名を呼ばれる。
それは間違いなく、目の前の自分を呼ぶ声だった。

「お前、悟浄だよ。だってお前、全然変わってねぇもん。さっき雛を助けたろ?自分で立てねぇ奴を見捨てらんない優しいトコ、ちっとも変わってねぇんだもん。俺らのこと忘れてるだけで、やっぱり悟浄は悟浄だよ」

やはり悟浄は、言葉を返せなかった。
それなりの年齢のくせに、やけに子供っぽいヤツだと思っていた。ヘタをすれば自分より言動が幼いんじゃないかと馬鹿にする気持ちもあった。だが、悟浄は今、初めて悟空の大きさに触れていた。年齢では括れない、大きな何かを感じていた。
悟空の、深い光を放つ金の瞳から目が離せない。ひび割れて悲鳴を上げていた悟浄の心に、悟空の言葉がじんわりと染み込んでいく。

『俺らのこと忘れてる「だけ」で』

記憶があろうがなかろうが、そんなことは大したことではないと。それでもお前はお前だからと。悟空はそう言ってくれたのだ。

悟浄は思わず俯いた。これ以上、悟空の顔を見ていると、堪えきれなくなった涙を零してしまいそうだった。最近、自分が泣いてばかりいるような気がする。泣くのは嫌いなのに。

「なぁ、悟浄。もう、どこにも行くなよな」

優しい声が、悟浄の耳を打つ。

「俺らと一緒にいてくれよ。俺んこと嫌いでもいいから‥‥‥‥、ってやっぱそれはイヤ。出来れば好きになって貰いてーけど、お前が嫌だってんなら無理には言わねーけど、けどやっぱ‥‥‥って?あれ?何言ってんだ俺?」

喋っているうちに興奮してきたのか、だんだんといつもの悟空の調子に戻っていく。先ほどまでの大人びた表情をすっかりと取り落として、悟空はまた普段どおりの人懐こい笑顔でニカリと笑った。

「‥‥‥‥ま、いいや、とにかくお前は俺らと一緒にいること!な!?」

 

『お前は俺の側にいりゃいいんだよ』
 

誰かの台詞が、重なった。
 

 

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やはり、まずは悟空との話し合いが必須かなー、と。短くてごめんなさい。

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