Give and Take(18)

「待て、悟浄!」
「触んな!」

廊下で腕を掴まれて、悟浄は間髪いれずに振り払った。

「少し落ち着け!」
「放っとけよ!」

深夜の宿は静まり返っていて、二人の声は遮るものもなく大きく響く。
廊下でがなりあう二人に安息を邪魔された他の宿泊客が、なんだなんだと部屋から出て集まってきた。勿論、八戒と悟空も気付いて部屋から飛び出してくる。
八戒が、とにかくと二人を部屋へ引き入れようとしたが、悟浄は聞く耳を持たない。三蔵を睨み付けたまま、一歩も引かない状態だ。

不意に、す、と悟浄の指が持ち上がり、悟空を指した。

「アイツの声、聞こえるんだって?」
「え、ええっ、俺!?」

突然に話題に上った悟空の焦った声が聞こえる。だが、悟浄は三蔵から視線を外さず、言葉を続けた。

「でも、俺の声は聞こえないんだろ?聞こえなかったんだろ!?俺、呼んでた!ずっとずっと呼んでたのに!!」
「あ‥‥」

再び、漏れ聞こえる悟空の声。
食堂での自分の発言が、何を意味していたのかに気付いたのだろう。本人には悪気はないのだろうが、僧侶との絆の強さを自慢されたかのように感じた悟浄は、胸中のざわめきを押さえるのに必死だった。
その口で『三蔵は悟浄が一番大事』と言われても、素直に聞ける筈もない。

こいつらを信じるな、と言い聞かせて。
それでも、ひょっとしたらと願う自分がいて。
妖怪に襲われたとき、浮かんできたのはやはり僧侶の姿で。

来て欲しいと思った。
母でも、兄でもなく。金髪の僧侶に、来て欲しいと思ったのだ。

けれど、願いは叶わなかった。

「誰も来てくれなかった!アンタは来てくれなかった!!」

妖怪の僅かな隙を突いて、闇雲に殴って反撃した。
たまたま手に当たった石を掴んで、何度も何度も。妖怪が動かなくなっても、冷たくなっていく身体に乗り上げて、殴り続けた。いつ動き出すかと思うと、怖かったのだ。
ぐずぐずとした手応えに我に返り、ぼとりと石を取り落としても、骨を砕く感触は手から消えなかった。返り血が、手にも顔にも身体にも、いたるところに飛び散っていた。
ようやく、自分が何をしたのか、知った。今まで、何をして生きてきたのか、悟った。

『妖怪を倒しながら旅を』

悟空の話の意味が、やっと飲み込めた。
 

怖い。怖い。怖い―――!
 

一目散に走った。
あの場所から離れたかった。
少しでも早く、少しでも遠く。

途中で、何度となく吐いた。胃の中に何も無くなっても、吐き気は納まらなかった。どうやって宿に辿り着いたのか、覚えていない。麗華の悲鳴じみた叫び声を、聞いたような気がした。
 

「一番大事だとか何とか、テキトーなこと言ってんじゃねぇよ!!アンタにはいるじゃんか!!俺より大事な奴が、ちゃんと他にいるじゃねーか!!」
 

『どうせ捨てられるのに』

妖怪に言われた言葉が、頭から消えない。
他人を殺して生きる意味が自分にあるのか、悟浄には分からなかった。
知っていた筈だった。誰にも本気で愛されることなどないということぐらい。嫌というほど、分かっていた筈だったのに。

僧侶を信じかけていた自分が、何より許せなかった。

 

 

 

 

 

 

「スッゲー!!」

唐突に大声が廊下に響き渡った。
その場に居合わせた全員、声の方向を向いてしまう。勿論、悟浄も例外ではない。
全員の視線が集中する中、大声の主である悟空が、場の雰囲気にまるでそぐわないような笑顔で、両拳を顔の前で握り締めていた。
目を輝かせつつ悟浄を見つめる悟空に、悟浄は思わず一歩後ずさった。

「な、なんだよ‥‥」
「ヤキモチだっ!」

ビシッと人差し指を突きつけられ高らかに宣言されても、悟浄には何のことだか分からない。

「はぁ?」

目を丸くしていると、悟空は隣に佇む八戒に同意を求め始めた。

「な、今のヤキモチだよな!?」
「ええ、そうですね。すごい進展ですねぇ」
「麗華姉ちゃんも、そう思うだろ!?」
「はい、確かにヤキモチだと思います」

「な、何言ってんだよ!」

八戒のみならず麗華までもに笑顔で肯定されて、ようやく固まっていた悟浄の思考が動き出した。その間にも悟空は他の宿泊客にまで、ヤキモチ、ヤキモチと言い回っている。
ほうほうと皆が頷き好奇の目を向けてくるのに、悟浄の顔は自然と赤くなった。

「違っ―――」
「おい」

躍起になって否定しようと悟空の方へ足を踏み出しかけた悟浄の耳に、低いが良く通る僧侶の声が届く。

「何かと思えば、随分くだらねぇこと考えてやがったな」

振り返った先には、腕を組んで仁王立ちになっている僧侶。自分より目線が下であるせいか、心なしか偉そうに踏ん反り返って見える。

「んな誰彼構わず他人の声が聞こえるわけねぇだろが。コイツだけでも十分ウゼぇ」
「‥‥‥そのおかげで今朝助かったクセに」

ぼそりと突っ込んだ悟空をひと睨みして黙らせると、僧侶は益々尊大な物言いで言い切った。

「テメェの声が聞こえねぇから何だ?ああ?テメェだって俺の声が聞けねぇんだろが」
「そーゆー問題じゃ―――」
「テメェまさか世の恋人やら夫婦やらが、全員頭ン中で会話できるとか信じてんじゃねぇだろな」

僧侶の口から『恋人』という単語が出て、悟浄は妙にドキマギしてしまう。

「んなこと誰も言って―――」
「つまんねぇことグダグダ抜かしてねぇで、テメェは俺の側にいりゃいいんだよ!」

突然荒げられた声に、悟浄の身体がビクリと竦んだ。俺様な発言に、周囲の野次馬から口笛が飛ぶ。
男が、しかも僧侶が、男と愁嘆場を演じている場面というのは、かなり珍しいものだろう。晒し者にされている気がして、悟浄の頭に血が上った。
気が付けば、僧侶の顔が見えないように俯いて目を瞑り、叫んでいた。

「俺は、別にアンタなんか好きじゃないんだよ!アンタじゃなくたって平気なんだよっ!」

その場が一瞬しん、と静まった。
悟浄は慌てて口を噤んだが、もう遅い。

流石に、人前で叫ぶ事ではなかったという分別ぐらいは、子供にだってある。僧侶に恥をかかせてしまったのはマズかったかと悟浄が恐る恐る視線を上げると、先程からまったく表情の変わらない僧侶と目が合った。

「それがどうした」
「どうした、って‥‥」

あっさりと返されて、悟浄は口ごもる。

「どうせテメェは俺に惚れる」
「な‥‥何でそんな事わかんだよっ!」

居丈高に言い放つ僧侶に、悟浄は先程の反省も忘れ、噛み付いた。僧侶はゆっくりと腕組みを解くと、一歩、悟浄へと近付いた。
意地だけで悟浄は後ずさりこそしなかったが、内心は僧侶の迫力に押されていた。

「俺が」

ずい、と顔を近付けられて、悟浄の心臓が大きく跳ねる。その意味は、分からないままに。

「もう一度お前を惚れさせるからだ」
 

―――――何を言われたのか、一瞬分からなかった。

 

「覚えとけ」

ふい、と僧侶の顔が離れる。熱くなっていた顔に、急に冷たい空気が触れた気がした。

「な、な‥‥」

ゆっくりと、僧侶の台詞が頭に浸透してくる。あまりの事に口の利けなくなった悟浄の周りで、野次馬たちは盛り上がった。

「よくわかんねーけど、いいぞ、坊さん!」
「三蔵様、素敵!」

宿泊客や麗華から盛大な拍手が湧き起こる。様々な冷やかしの声と口笛が悟浄の頭上を飛び交う中で、悟浄はただ呆然と立ち尽くした。

「いやー、なかなか感動的でしたな」
「まったく。最近の若者にしては男気のあるお坊さんで」

ひとしきりの興奮が冷めると、宿泊客たちは笑い合いながら自室へと引き上げ始める。アンタらそれでいいのかと、悟浄は世の大人たちを見る目が変わりそうだった。

「ちょ、ちょっと待っ―――」
「あーあ、一段落付いたらなんかまた腹減っちまったー。悟浄、なんか食おーぜ!麗華姉ちゃん作ってくれる?明日仕事手伝うからさー」

勝手に一段落つけるなと反論しようとしたが、悟空の足は既に食堂へと向かっている。勿論、しっかりと悟浄の腕を掴んだままで。

「ふふ、じゃ温かいものでも作りますね」
「俺は食いたくねぇからいい!って、いや、そうじゃなくて!」
「いーからいーから」
「悟浄さんは食欲ないなら、軽くスープにしましょうか」
「いらねーってば!!」
「三蔵、八戒ィ。俺らはメシ食ってから寝るから。じゃ、オヤスミ〜」
「オマエ人の話聞けって!離せよコラァ!」

夜中にしては賑やかな喧騒が、引き摺られるように去って行く。静かになった廊下には、三蔵と八戒がぽつんと残された。

「‥‥‥悟空に助けられましたね」

悟空と三蔵の、絆。
『悟浄』ですらそれなりに悩んだであろう現実を、子供に一日や二日で理解しろというのは無理な話だ。三蔵にとって悟空と悟浄では魂の求める部分が違うのだと、口で説明されて納得できる問題ではない。悟浄に、自分で掴んでもらうしかなかった。

「あれで誤魔化されたとは思えねぇがな」

三蔵の言葉に、八戒は苦笑した。

「誤魔化したんじゃありません、時間を作ったんです。‥‥‥腹、括ったんでしょう?」

悟浄の記憶を一朝一夕に取り戻す方法を探して焦るより、今のままの悟浄の側でひたすら待つと。例え時間がかかっても、必ず悟浄の心をもう一度自分に向けさせると。
三蔵の強い決意を、八戒は感じていた。

「期待してますよ、三蔵様。男前な啖呵も聞かせていただいたことですしね」
「―――抜かしてろ」

三蔵が煙草に火を点けて、辺りがマルボロの香りに包まれる。
二人はしばらくそのまま悟浄が去った方向を、無言で眺め続けていた。
 

 

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三蔵様、久しぶりの強気。

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