Give and Take(18)
「待て、悟浄!」 廊下で腕を掴まれて、悟浄は間髪いれずに振り払った。 「少し落ち着け!」 深夜の宿は静まり返っていて、二人の声は遮るものもなく大きく響く。 不意に、す、と悟浄の指が持ち上がり、悟空を指した。 「アイツの声、聞こえるんだって?」 突然に話題に上った悟空の焦った声が聞こえる。だが、悟浄は三蔵から視線を外さず、言葉を続けた。 「でも、俺の声は聞こえないんだろ?聞こえなかったんだろ!?俺、呼んでた!ずっとずっと呼んでたのに!!」 再び、漏れ聞こえる悟空の声。 こいつらを信じるな、と言い聞かせて。 来て欲しいと思った。 けれど、願いは叶わなかった。 「誰も来てくれなかった!アンタは来てくれなかった!!」 妖怪の僅かな隙を突いて、闇雲に殴って反撃した。 『妖怪を倒しながら旅を』 悟空の話の意味が、やっと飲み込めた。 怖い。怖い。怖い―――! 一目散に走った。 途中で、何度となく吐いた。胃の中に何も無くなっても、吐き気は納まらなかった。どうやって宿に辿り着いたのか、覚えていない。麗華の悲鳴じみた叫び声を、聞いたような気がした。 「一番大事だとか何とか、テキトーなこと言ってんじゃねぇよ!!アンタにはいるじゃんか!!俺より大事な奴が、ちゃんと他にいるじゃねーか!!」 『どうせ捨てられるのに』 妖怪に言われた言葉が、頭から消えない。 僧侶を信じかけていた自分が、何より許せなかった。
「スッゲー!!」 唐突に大声が廊下に響き渡った。 「な、なんだよ‥‥」 ビシッと人差し指を突きつけられ高らかに宣言されても、悟浄には何のことだか分からない。 「はぁ?」 目を丸くしていると、悟空は隣に佇む八戒に同意を求め始めた。 「な、今のヤキモチだよな!?」 「な、何言ってんだよ!」 八戒のみならず麗華までもに笑顔で肯定されて、ようやく固まっていた悟浄の思考が動き出した。その間にも悟空は他の宿泊客にまで、ヤキモチ、ヤキモチと言い回っている。 「違っ―――」 躍起になって否定しようと悟空の方へ足を踏み出しかけた悟浄の耳に、低いが良く通る僧侶の声が届く。 「何かと思えば、随分くだらねぇこと考えてやがったな」 振り返った先には、腕を組んで仁王立ちになっている僧侶。自分より目線が下であるせいか、心なしか偉そうに踏ん反り返って見える。 「んな誰彼構わず他人の声が聞こえるわけねぇだろが。コイツだけでも十分ウゼぇ」 ぼそりと突っ込んだ悟空をひと睨みして黙らせると、僧侶は益々尊大な物言いで言い切った。 「テメェの声が聞こえねぇから何だ?ああ?テメェだって俺の声が聞けねぇんだろが」 僧侶の口から『恋人』という単語が出て、悟浄は妙にドキマギしてしまう。 「んなこと誰も言って―――」 突然荒げられた声に、悟浄の身体がビクリと竦んだ。俺様な発言に、周囲の野次馬から口笛が飛ぶ。 「俺は、別にアンタなんか好きじゃないんだよ!アンタじゃなくたって平気なんだよっ!」 その場が一瞬しん、と静まった。 流石に、人前で叫ぶ事ではなかったという分別ぐらいは、子供にだってある。僧侶に恥をかかせてしまったのはマズかったかと悟浄が恐る恐る視線を上げると、先程からまったく表情の変わらない僧侶と目が合った。 「それがどうした」 あっさりと返されて、悟浄は口ごもる。 「どうせテメェは俺に惚れる」 居丈高に言い放つ僧侶に、悟浄は先程の反省も忘れ、噛み付いた。僧侶はゆっくりと腕組みを解くと、一歩、悟浄へと近付いた。 「俺が」 ずい、と顔を近付けられて、悟浄の心臓が大きく跳ねる。その意味は、分からないままに。 「もう一度お前を惚れさせるからだ」 ―――――何を言われたのか、一瞬分からなかった。
「覚えとけ」 ふい、と僧侶の顔が離れる。熱くなっていた顔に、急に冷たい空気が触れた気がした。 「な、な‥‥」 ゆっくりと、僧侶の台詞が頭に浸透してくる。あまりの事に口の利けなくなった悟浄の周りで、野次馬たちは盛り上がった。 「よくわかんねーけど、いいぞ、坊さん!」 宿泊客や麗華から盛大な拍手が湧き起こる。様々な冷やかしの声と口笛が悟浄の頭上を飛び交う中で、悟浄はただ呆然と立ち尽くした。 「いやー、なかなか感動的でしたな」 ひとしきりの興奮が冷めると、宿泊客たちは笑い合いながら自室へと引き上げ始める。アンタらそれでいいのかと、悟浄は世の大人たちを見る目が変わりそうだった。 「ちょ、ちょっと待っ―――」 勝手に一段落つけるなと反論しようとしたが、悟空の足は既に食堂へと向かっている。勿論、しっかりと悟浄の腕を掴んだままで。 「ふふ、じゃ温かいものでも作りますね」 夜中にしては賑やかな喧騒が、引き摺られるように去って行く。静かになった廊下には、三蔵と八戒がぽつんと残された。 「‥‥‥悟空に助けられましたね」 悟空と三蔵の、絆。 「あれで誤魔化されたとは思えねぇがな」 三蔵の言葉に、八戒は苦笑した。 「誤魔化したんじゃありません、時間を作ったんです。‥‥‥腹、括ったんでしょう?」 悟浄の記憶を一朝一夕に取り戻す方法を探して焦るより、今のままの悟浄の側でひたすら待つと。例え時間がかかっても、必ず悟浄の心をもう一度自分に向けさせると。 「期待してますよ、三蔵様。男前な啖呵も聞かせていただいたことですしね」 三蔵が煙草に火を点けて、辺りがマルボロの香りに包まれる。
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三蔵様、久しぶりの強気。