Give and Take(17)

「悟浄さんが、悟浄さんがっ――――」

星の数ほど湧いて出た妖怪を全て薙ぎ倒し、疲労困憊して宿に戻った三蔵たち三人を出迎えたのは、取り乱した様子で飛び出してきた麗華だった。長い黒髪を振り乱し、美しい顔は蒼白で、声が震えている。そのただならぬ様子に、三蔵たちは悟浄の身に何かが起こった事を悟った。
急いで部屋に踏み込むと、悟浄は部屋の隅で、壁に凭れるようにして昏倒していた。血まみれで、傷だらけの身体を庇うかのような、膝を抱えたままの体勢で。
麗華の話から、悟浄が悟空の後を追って宿を飛び出して行った事を知る。その後に起こった出来事は、容易に推測できた。
ボロボロに傷付いた身体を引き摺るようにして戻ってきた悟浄は、寝れば治るからと麗華の手当てを拒み、部屋にひき篭ってしまったのだという。

「俺らの通ったちょい横の崖ん下で‥‥‥妖怪が死んでた」

確認のために外へ再び走った悟空は、息を切らせながら三蔵たちに報告した。妖怪は酷い有様だったらしい。顔が判別できないほどに崩れていたと、悟空は俯いて告げた。

「貴方があの時に感じた気配は、それだったんですね‥‥」

悟浄に気を当てながら、ため息混じりに呟く八戒の言葉には、隠しきれない悔恨の色が滲んでいる。悟空も、側を離れた自分のせいだと肩を落としていた。
恐らくは生まれて初めて他人に手をかけてしまっただろう幼い悟浄が何を思うのか。悟浄の寝顔を見つめる三人に、重苦しい空気が圧し掛かる。
三蔵は、終始無言だった。細い指を伸ばし、血の気の失せた悟浄の顔にかかる髪をそっと払う。
そんな三蔵の優しい仕草がなんだか哀しくて、悟空は視線を二人から外した。

 

 

 

 

悟浄はもう日付が変わろうかという夜更けに、ようやく目を覚ました。

「出てけよ」

開口一番、側に付き添っていた三蔵に背を向けるように寝返りを打つ。八戒のおかげで目に見える傷は癒されているが、起き出す程の体力までにはまだ回復していないのだろう。

「飲め。薬だ」

悟浄が目覚めたら飲ませるようにと八戒が置いていった薬を差し出したが、悟浄は背を向けたまま動かなかった。肩を掴んでこちらを向かせようとするが、悟浄は身体を強張らせて頑なにそれを拒む。

「触んなよっ!どうせ、アンタは‥‥」
「?」
「‥‥アンタも‥‥殺しとけば良かった‥‥‥あん時。そしたら、こんな‥‥」

ただ事ではない悟浄の様子に、三蔵の眉根が寄る。

「――――何があった」

悟浄ははっとしたようだった。自分が何を口走っているのか、ようやく気が付いたらしい。また少し全身を丸めて、薄いシーツをまるで鎧のように身に纏って。固く目を閉じ、震える指先を隠すように握り込む。
それでも悟浄は何でもない、と振り返らないままに乾いた笑い声を上げた。

「別に。外に出たら妖怪に出くわしただけ。殺されそうになったから、殺しただけ。‥‥そんだけ。どうってことねぇよ―――、あんなの、別に‥‥」

あまりの痛々しさに、三蔵は目を眇めた。

自分にも覚えがある。いや、忘れられないというべきだろう。
初めて人間に襲われ、その命を奪った時の恐怖と嫌悪。今思い出しても、とてもまともに話などできる精神状態ではなかった筈だと思う。
だが悟浄は、小さな心で大きな身体を持て余しながらも、必死に虚勢を張っている。無理矢理とはいえ、笑ってすらいる。
それは、まだ家族と共に暮らしていた幼少の頃から、悟浄が過酷な環境で過ごしていたことを表していて、三蔵は何も言えなくなった。
自分にはまだ、師匠に愛された記憶がある。自分が唯一と慕った相手に、愛情を返された思い出がある。だが、悟浄には何もないのだ。だからこそ、自身が最悪の状態に追い込まれたときに、即座に本能で生存の道を探せる。弱みを晒す事が死に直結すると知っている子供が、目の前にいるのだ。
悟浄の心の傷の深さを思い、三蔵はため息をついた。

今は色々なな出来事が一度に起こりすぎて、悟浄も混乱している。ともかく今は悟浄の身体の回復を優先させるべきだと判断した三蔵は、部屋を出るために踵を返した。

「とりあえず薬は飲め。俺が嫌なら、八戒か悟空を呼んでやる」
「‥‥八戒さんの方がいい。俺、悟空っての苦手」
「なに?」

返事があった事に驚いた三蔵が振り向くと、悟浄が振り返ってシーツから顔を覗かせていた。ただし、瞳は三蔵に挑むように、きつく睨みつけている。

「あんな感じでいかにも『真っ直ぐです』って顔して来られたらさ、俺なんかどーしたらいいのかわかんねぇもん」

眩しくて眩しくて、まるで太陽のような純粋さ。近くに寄られたら、自分の薄汚さが全て照らし出されてしまうような。

「‥‥‥‥」
「俺が何か言うと、いちいち真に受けてさ。俺が嘘ついてるとか全然疑ってねぇんでやんの。アイツ人に騙されたことねぇの?もしかして、お育ちが違うとか?」

確かに、三蔵が悟空から受ける報告の中には、悟空が悟浄に担がれているのだろうと感じる部分も多少あった。だが、悟空はそれに気付いているのかいないのか、悟浄がどうしたとか今日はこんな事を喋ったとか、いつも嬉しそうに三蔵に話しに来るのだ。

『悟浄って俺らのこと忘れてても、やっぱ悟浄っぽい』

いつもそんな事を言っては、悟空は笑った。

傍から見ている限り、悟浄は悟空と仲がいいとは言わないまでも、三蔵に対する敵対心のようなものは見受けられず、だからこそ、多少強引にでも裏なく他人に踏み込んでいける悟空から自分の置かれている環境に慣れさせるつもりで側においたのだが、やはりそう都合良くは運ばないようだ。

「奴には奴なりの過去がある。それなりの修羅場もくぐってきている。もし、奴が今それを感じさせないと言うのなら、それは奴の心の強さによるものだ。育ち方云々とかいう問題じゃねぇんだよ」

それは単なる事実で、三蔵にとっては深い意味は無かった。
だが、悟浄にとっては違ったようだ。急にむくりと身体を起こすと、薄笑いを浮かべて三蔵を上目遣いに見つめてきた。

「なぁ、アンタと俺、デキてたの?」
「ぁあ?」
「だったらさ、ヤる?」

今の会話の何処をどうしたら、そういう発想になるのか。
三蔵が訝しんでいると、悟浄はさっさとシャツを脱ぎ捨てた。幾重にも巻かれた白い包帯が、目に痛い。

「おい!」

悟浄の手がボトムに掛かったところで、流石に三蔵も慌ててその手を押し止めた。至近距離で、視線が交錯する。久し振りに、悟浄の瞳を間近で見た気がした。

「俺が上?下?どっちでもいいけど、もしかしたら身体が覚えてる、ってヤツでさ?思い出すかもだし?」

つ、と悟浄の指が三蔵の首筋をなぞる。その仕草は、つい先日までの悟浄を彷彿とさせるもので、三蔵の肌は粟立った。紅い髪が悟浄の僅かな指の動きに合わせて揺れている。
抱き寄せて、口付けて。思うままに貪りつくして欲しいと髪の先までが誘う淫乱な悟浄の身体が、以前と何も変わらず、三蔵を誘惑していた。

もし、悟浄が心からそれを望むのであれば、三蔵の理性はもたなかったかもしれない。だが、三蔵を見上げてくる悟浄の紅い瞳には、情欲の欠片も見当たらなかった。

小さくため息を零すと、三蔵は首筋を辿る悟浄の指を掴んで止めた。指先同士が触れた瞬間、悟浄が僅かに身体を強張らせたのには、気が付かない振りをした。

「ガキのクセに、粋がってんじゃねぇよ」

乱暴に悟浄の指を引き剥がすと、紅い瞳がきつく睨んでくる。

「ガキ扱いすんなっ!」

掴まれた指先を奪い返すように手を引いて、癇癪を起こす。だが、子供のたわ言と片付けるには、あまりにも悲しすぎる表情だった。悟浄は、泣いていた。涙を零さずに、泣いていた。

「結局、俺なんかに触れたくねぇんだろ!惚れてるなんて嘘つくんじゃねぇよっ!」
 

悟浄は三蔵を押しのけ、部屋を飛び出した。
流されない、涙と共に。
 

 

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信じたいこと。認められないこと。妖怪に言われたこと。…悟浄さん、ぐちゃぐちゃです。

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