Give and Take(17)
「悟浄さんが、悟浄さんがっ――――」 星の数ほど湧いて出た妖怪を全て薙ぎ倒し、疲労困憊して宿に戻った三蔵たち三人を出迎えたのは、取り乱した様子で飛び出してきた麗華だった。長い黒髪を振り乱し、美しい顔は蒼白で、声が震えている。そのただならぬ様子に、三蔵たちは悟浄の身に何かが起こった事を悟った。 「俺らの通ったちょい横の崖ん下で‥‥‥妖怪が死んでた」 確認のために外へ再び走った悟空は、息を切らせながら三蔵たちに報告した。妖怪は酷い有様だったらしい。顔が判別できないほどに崩れていたと、悟空は俯いて告げた。 「貴方があの時に感じた気配は、それだったんですね‥‥」 悟浄に気を当てながら、ため息混じりに呟く八戒の言葉には、隠しきれない悔恨の色が滲んでいる。悟空も、側を離れた自分のせいだと肩を落としていた。
悟浄はもう日付が変わろうかという夜更けに、ようやく目を覚ました。 「出てけよ」 開口一番、側に付き添っていた三蔵に背を向けるように寝返りを打つ。八戒のおかげで目に見える傷は癒されているが、起き出す程の体力までにはまだ回復していないのだろう。 「飲め。薬だ」 悟浄が目覚めたら飲ませるようにと八戒が置いていった薬を差し出したが、悟浄は背を向けたまま動かなかった。肩を掴んでこちらを向かせようとするが、悟浄は身体を強張らせて頑なにそれを拒む。 「触んなよっ!どうせ、アンタは‥‥」 ただ事ではない悟浄の様子に、三蔵の眉根が寄る。 「――――何があった」 悟浄ははっとしたようだった。自分が何を口走っているのか、ようやく気が付いたらしい。また少し全身を丸めて、薄いシーツをまるで鎧のように身に纏って。固く目を閉じ、震える指先を隠すように握り込む。 「別に。外に出たら妖怪に出くわしただけ。殺されそうになったから、殺しただけ。‥‥そんだけ。どうってことねぇよ―――、あんなの、別に‥‥」 あまりの痛々しさに、三蔵は目を眇めた。 自分にも覚えがある。いや、忘れられないというべきだろう。 今は色々なな出来事が一度に起こりすぎて、悟浄も混乱している。ともかく今は悟浄の身体の回復を優先させるべきだと判断した三蔵は、部屋を出るために踵を返した。 「とりあえず薬は飲め。俺が嫌なら、八戒か悟空を呼んでやる」 返事があった事に驚いた三蔵が振り向くと、悟浄が振り返ってシーツから顔を覗かせていた。ただし、瞳は三蔵に挑むように、きつく睨みつけている。 「あんな感じでいかにも『真っ直ぐです』って顔して来られたらさ、俺なんかどーしたらいいのかわかんねぇもん」 眩しくて眩しくて、まるで太陽のような純粋さ。近くに寄られたら、自分の薄汚さが全て照らし出されてしまうような。 「‥‥‥‥」 確かに、三蔵が悟空から受ける報告の中には、悟空が悟浄に担がれているのだろうと感じる部分も多少あった。だが、悟空はそれに気付いているのかいないのか、悟浄がどうしたとか今日はこんな事を喋ったとか、いつも嬉しそうに三蔵に話しに来るのだ。 『悟浄って俺らのこと忘れてても、やっぱ悟浄っぽい』 いつもそんな事を言っては、悟空は笑った。 傍から見ている限り、悟浄は悟空と仲がいいとは言わないまでも、三蔵に対する敵対心のようなものは見受けられず、だからこそ、多少強引にでも裏なく他人に踏み込んでいける悟空から自分の置かれている環境に慣れさせるつもりで側においたのだが、やはりそう都合良くは運ばないようだ。 「奴には奴なりの過去がある。それなりの修羅場もくぐってきている。もし、奴が今それを感じさせないと言うのなら、それは奴の心の強さによるものだ。育ち方云々とかいう問題じゃねぇんだよ」 それは単なる事実で、三蔵にとっては深い意味は無かった。 「なぁ、アンタと俺、デキてたの?」 今の会話の何処をどうしたら、そういう発想になるのか。 「おい!」 悟浄の手がボトムに掛かったところで、流石に三蔵も慌ててその手を押し止めた。至近距離で、視線が交錯する。久し振りに、悟浄の瞳を間近で見た気がした。 「俺が上?下?どっちでもいいけど、もしかしたら身体が覚えてる、ってヤツでさ?思い出すかもだし?」 つ、と悟浄の指が三蔵の首筋をなぞる。その仕草は、つい先日までの悟浄を彷彿とさせるもので、三蔵の肌は粟立った。紅い髪が悟浄の僅かな指の動きに合わせて揺れている。 もし、悟浄が心からそれを望むのであれば、三蔵の理性はもたなかったかもしれない。だが、三蔵を見上げてくる悟浄の紅い瞳には、情欲の欠片も見当たらなかった。 小さくため息を零すと、三蔵は首筋を辿る悟浄の指を掴んで止めた。指先同士が触れた瞬間、悟浄が僅かに身体を強張らせたのには、気が付かない振りをした。 「ガキのクセに、粋がってんじゃねぇよ」 乱暴に悟浄の指を引き剥がすと、紅い瞳がきつく睨んでくる。 「ガキ扱いすんなっ!」 掴まれた指先を奪い返すように手を引いて、癇癪を起こす。だが、子供のたわ言と片付けるには、あまりにも悲しすぎる表情だった。悟浄は、泣いていた。涙を零さずに、泣いていた。 「結局、俺なんかに触れたくねぇんだろ!惚れてるなんて嘘つくんじゃねぇよっ!」 悟浄は三蔵を押しのけ、部屋を飛び出した。
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信じたいこと。認められないこと。妖怪に言われたこと。…悟浄さん、ぐちゃぐちゃです。